平成28年/2016年の能・狂言「心に残る舞台」 | 好雪録

平成28年/2016年の能・狂言「心に残る舞台」

多端に取り紛れ放置してしまった拙HPだが、一年の総括はとりあえず試みようと思う。

本年一年間に見ることを得た能・狂言の総公演数は88公演。精勤に努めたせいか前年に比べて11公演増えた。ちなみに他ジャンルを加えれば実見した舞台総数は(能・狂言を含め)延べ255公演。1ヶ月の間に見た公演数としては10月が最多の35公演だった。

さて、2016年/平成27年、心に残る(優れた)能・狂言の舞台を数え挙げてみよう。(日付順)

1)大槻文蔵〈仲光 愁傷之舞 1月9日/国立能楽堂普及公演
2)大槻文蔵〈三輪 白式神神楽1月24日/TTR能プロジェクト特別公演(大槻能楽堂)
3)梅若万三郎〈雲林院〉 2月6日/大槻能楽堂自主公演能
4)野村四郎〈仲光 愁傷之舞2月20日/横浜能楽堂企画公演
5)梅若万三郎〈百万 法楽之舞4月17日/橘香会(国立能楽堂)
6)山本東次郎〈鱸包丁〉 4月22日/国立能楽堂狂言の会
7)塩津哲生〈頼政〉 4月24日/喜多会(喜多能楽堂)
8)関根祥丸〈松風(ツレ)5月4日/桃々会(宝生能楽堂)
9)大槻文蔵 〈菅丞相〉 5月26日/国立能楽堂企画公演
10)梅若万三郎〈楊貴妃〉 6月5日/観世会定期能(梅若能楽学院会館)
11)塩津哲生〈景清〉 6月17日/国立能楽堂定例公演
12)大槻文藏・塩津哲生〈樒天狗〉 7月23日/大槻能楽堂企画公演能
13)観世清和〈楊貴妃〉 9月9日/銕仙会定期公演(宝生能楽堂)
14)友枝昭世〈融 笏ノ舞9月14日/東京囃子科協議会(国立能楽堂)
15)梅若万三郎〈松風 戯之舞9月18日/豊田市能楽堂特別公演
16)梅若万三郎〈朝長〉 10月22日/橘香会(国立能楽堂)

われながら驚くのだが、こう並べると、昨年に比べても甚だしく「名演の寡占」状況がはっきりする。こうした回顧記録に特定の能役者の舞台が羅列されるのは、役者にも「旬」というものがある以上やむを得ないことではあるけれど、そのような好舞台を印象付けた役者の数が本当に少ないのである。

これはある意味で致し方のないことなのかもしれない。
昨年まで必ず名の挙がっていた関根祥六は、今年めでたく雪号を許され「関根祥雪」と佳名を名のったのはめでたいことだったが、能の舞台はついに勤めず、半ば退隠状態となった。梅若玄祥は経年の不調が一掃されないまま、3月21日「梅若会特別公演」(梅若能楽学院会館)で舞い納めを謳った〈道成寺〉後シテで腰が砕け、立てなくなる椿事があった。
この二人の名を名演リストに挙げることができなかったのは、いわば、時の流れの必然なのだろう。

今年の能楽界の話題として一番に挙げられるのは、野村四郎・大槻文藏の「人間国宝」新指定である。どちらも充分過ぎるほど充分な有資格者だから、われわれ観客の慶びも大きかった。

今年80歳の野村四郎はさすがに年齢のせいか、次第に衰えの兆候が見えなくもないけれど、演出に再検討を加えた2月の〈仲光〉など直面物の醍醐味を堪能させる美事なもので、ここに挙げなかったが10月14日「銕仙会定期公演」 (宝生能楽堂)での〈融 思立之出・白式舞働之伝〉も、四郎自身の老衰の兆しが演出の凄愴と呼応した効果もあってすばらしかった。

これに比べて大槻文藏は本年74歳。数年前からの充実度がさらにアップし、数多い舞台に取りこぼしがない。7月8日「銕仙会定期公演」 (宝生能楽堂)での〈善知鳥〉は、本人は不満足だったと聞いたが、逆に不調なればこそ、放って置いてもモノを言ってしまう身体の充実、崩れない骨法がすばらしかった。〈菅丞相〉と〈樒天狗〉は私が演出を担当した舞台だから「番外」と見て頂いても良いのだが、実際ご覧になった方には分かるように、自ら手掛けた自負も加わってか、この2番での大槻は心身ともに充実度が極めて高かった。

「西の大槻文藏、東の梅若万三郎」と私が以前推したとおり、今年も万三郎の舞台の充実は著しかった。「能好き」ならば誰でもそうだと思うが、その時代を代表する藝力と個性の持ち主の舞台は一番たりとも見逃したくない。無理をしてでも追い続けることがある。私にとって昔の友枝喜久夫、若松健史、三川泉はそれに該当していたが、現在、万三郎はこのリストに入った役者である。
もっとも、役者というのは正直だから気のない、乗りきれない舞台はあって、8月7日「天籟の能」(国立能楽堂)での〈羽衣 和合之舞〉のように形ばかりのご愛嬌もあるにはあった。また、あまり多くてもと思い、10月5日「国立能楽堂企画公演」〈野宮〉は次点として挙げなかったけれど、他の舞台がなければ当然これにも指を屈しなくてはならない。

そうした万三郎の高水準続きの成果の中で、豊田市能楽堂〈松風〉と橘香会〈朝長〉前シテは「現代最高の名手」の名に値する突出した名演だった。
今年ここに挙げた「心に残る舞台」16公演中、最も優れた成果として、私は万三郎の〈松風〉と〈朝長〉を推す。

若手の役者としてこの3年間、連続して関根祥丸の名を挙げた。観世宗家内弟子の身ながら、教えられていることの筋の良さ、教わり方の感覚の鋭さが、その遺漏なき舞台から脈々と伝わってくるさまは壮観である。
ことに、家元の胸を借りた〈松風〉でのツレ・村雨。これは亡き祥人が父・祥雪の相手で何度も勤めていた役である。当然、あらゆるツレの中で最も難しい大役だ。
祥丸はあたかも、観世清和の松風にピタリくっ着いて離れない影のように一番を貫き通した。所作はもちろん、そのツレとしての謡の美事さ。決して出過ぎず、しかし、瞬時もシテと乖離することなく、ここまでツレの分を弁えつつ自己の仕事の丁寧さで唸らされた村雨は、まさに「祥人写し」の成果だった。
修業というものは、ただ我武者羅に努めれば済むのではない。正しい師父の正しい教えに浴し、加えて、教わる本人が「正しい受信力」を持っていないとならない。関根祥丸の現在とこれからは、いかにして「筋の通った能役者」が一本立ちして行けるかの、佳きサンプルとなるだろう。私はそれを大いに期待している。

長らく身体の歪み・震えに悩まされてきた塩津哲生に漸く回生の光が見えてきた。身体の症状が改善したというよりも、内面が吹っ切れたかして、これまで培った五流随一とも言うべき胆力をうまく醇化させ、深く心に響く演技を紡ぎ出すようになった。〈景清〉〈頼政〉に見た、自己をギリギリまで追い込みつつ、外から余裕をもってそれを見つめる「離見」の感覚が、内部に沈潜しながら俗情に溺れない能の骨格を正し、深い感動を呼んだ。ここに挙げなかったが10月1日「清能会・塩津能の会」(喜多能楽堂)での〈花筐〉も、現在の状態では必ずしも適役ではなかろうとの予想を覆し、深い共感を呼び覚ました。
大曲の初演を控えた来年、塩津にとって新たな「仕切り直し」の年となることを望みたい。

このほかにも、細かく拾って論じたい役者はいろいろいる。
意欲に比例した突き抜けた舞台がなかなか見られない香川靖嗣には今一つ力を揮ってもらいたいし、11月5日「浅見真州の会」(国立能楽堂)〈重衡〉で、「あ、これは......」と思わされた浅見には、来年、一皮剥けて大きく飛躍する期待を抱いている。櫻間金記にもまだまだ見るべきものがあろうし、昨年来舞台に立たなくなっている山本順之には是非いま一つ「老木の花」を期待したい。
同時に、宝生流・金剛流の低調ぶりには深い憂いを抱く。両流の心ある役者たちの奮起を期待する以外ないのだが、能は一にも二にも「基礎的身体能力の錬磨」であり、さらに、それを知的に運用する舞台人としての「離見」に掛かっていよう。

どうか玄人、ことに若い役者たちに、流儀の垣根を超えて、大槻文蔵の、梅若万三郎の、また、野村四郎の、塩津哲生の舞台を見聞する機会を積極的に求め、自らの現在と将来に思いを致す契機とすることを願っておきたいと切に思う。

2016年12月31日 | 記事URL

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