批評

2010/12/27 平成22年の能・狂言をふりかえる

多くの人がそうだと思うが、ひとたび見聞きした舞台であれば、たとえどれだけ年月が経っても、その内容は何かしら覚えているものである。が、単に記憶としてではなく、いつまでも「心に残る」となれば並たいていではない。したがって、一年の終わりに当たって、そうした舞台の一つひとつを選り出してみることは、自らをも省みる意味でまことに興味ある作業。能・狂言を愛するみなさんに、この際ぜひお勧めしたいと思う。
さて、私にとって今年は、何だろう?

①能〈胡蝶〉三川泉/1月10日/宝生会月並能(宝生能楽堂)
②素狂言〈武悪〉茂山千作・千之丞・山本東次郎/2月24日/第5回千作・千之丞の会(国立能楽堂)
③能〈松風 見留〉山本順之/10月8日/銕仙会定期公演(宝生能楽堂)
④狂言〈川上〉野村万作/10月17日/能を知る会東京公演(国立能楽堂)
⑤能〈定家〉片山幽雪/11月21日/豊田市能楽堂特別公演

まず、これらが私にとって今年の「五傑」ということになる。番号は日時順であり、等級ではない。勢い70代以上、長老連の舞台が並んだ。これまた、この世界の現状と問題を照射した結果になってもいる。

1922年生まれ三川泉の能。今後そうそう見られるものではあるまい。事実、2011年度の演能予定は、今のところ11月宝生別会〈枕慈童〉ただ一番である。

黒門町の文樂張りにレパートリーを限定しがちだったこの人にとって、〈胡蝶〉は選り抜きの表藝。私も3度まで見ている。今回の美しさ、愉しさはどうだろう。前場下居姿の艶麗。後場中ノ舞のノリとふくらみ。どこを取っても間然とするところがない。その安定の上に、命のあはれを夢幻の蝶に仮託して語る信光の傑作が、十全な「かたち」となって顕われる壮観。誤解を恐れず言えば、この〈胡蝶〉を見て何も感じない人は、恐らく、能の本当の魅力には終生縁のない人であろうと思う。

三川が兄事、結果として人間国宝の立場を引き継いだ松本惠雄(1915~2003年)の能は、より藝格高く根強い巨きさを具えていた半面、不思議なことにその内容はともすると三川に比べて空疎だった。終生〈姨捨〉を勤めず、やはり演目多彩ではなかった松本よりも、〈姨捨〉こそ勤めたれ、なお狭いレパートリーに閉じ籠った三川の能が、松本とは異なり老来光彩を帯びたというのは示唆的である。松本惠雄の能に胚胎していた、「藝格」「巨きさ」と「内容」との乖離(能役者たちは時として前者は重んじても後者には無関心であり、観客もまたそうである)は、16世宝生九郎知榮以来の (そして現在ほとんど消滅寸前の)宝生流の藝術思想に胚胎する乖離だろう。三川泉の能を、そうした前時代と、(どう進むか分からないながら)来たるべき新時代との分岐点に位置する能と見れば、その点が、旧派残存の性格が色濃かった松本惠雄の能と大きく異なると言えるだろう。

三川の〈胡蝶〉は、艶麗の美にあふれながら、劇作品としての「内容」に満ちた能だった。つまり、今回の〈胡蝶〉は、古くて、しかも、いつまでも新しい〈胡蝶〉なのだ。

所作を伴わない「素狂言」の演式は茂山千之丞の発案らしいが、老来立ち居に自由を欠いてもコトバは健在な兄・千作のために考案された側面がある。山本則直が亡くなる直前これに批判的だったと聞いて、同じく足腰は不自由になっても音吐朗々としていた則直その人らしい見識だと思わされた。

そうした付帯条件を考慮すべき変態演式であるにしても(落語の死命を決する「振リ」に類する最低限の演技がほとんど工夫されず、どこで扇を取りどこで置いているかなど微細な所作の規矩がないので、座藝以前の単なる棒読みに終わる危険がある)、ここまでコトバの力と魅力が横溢すれば申し分ない。飽きるどころか千作の主「誰そ居るかやい!」の第一声から目が離せず、気づけば椅子の背からずっと腰が浮いていた。東次郎の太郎冠者が性能のよい蝶番のような役割を果たしていたのも成功の一因だろう。

「自立を志して体制と衝突する個人」の姿を的確に描き出し、ブレないところを見せた仕掛人・千之丞。これから一年をも経ずして世を去ったのは痛恨の一事である。さなきだに、今年は鬼籍に入った役者が多かった。山本則直、宝生英照、金春信高、片山慶次郎、若松健史、そして關根祥人の思いもかけない逝去。折々に追悼文を書くことが実に辛かった。

長く不調をかこち、その価値に足るだけのしかるべき評価を受けてきたとはいえなかった山本順之が、この2年ほどの間ようやく安定した光を放ち、揺るぎない藝格を保つようになったのはめでたい。3月12日・銕仙会での〈忠度〉は古希を過ぎた役者と思えぬほど着実な謡と型の集積、花実相兼の名演で、9月18日・安藤貴康独立披露能での舞囃子〈弱法師 盲目之舞〉は、掃き清めた苔庭に水を打ち済まして大切な客を待つかのように快い緊張感と愉悦に満たされたものだったが、10月の〈松風 見留〉はそれら以上に忘れ難い。

淡々として深い息づかい。上下の音にさほどの振幅を取らず、息の付けかたで謡の音色を変えてしまう技法。凛然たる美声という強みもあるにせよ、名剣の冷光を思わせる鍛錬の結果あればこそ獲得した高度な謡曲技法が、音曲能の最たるこの能で十全に機能。打てば響くような身体のキレと粘りも健在。内的表現として狂乱のゆらぎも充分で、こういう能をこそ「手本」というのである。言葉の真の意味でのオーソドックスということを改めて考えさせられたが、自分自身をよそに置いているような淡々たる安定ぶりは、自己格闘を能に託して身を削る以前の山本の舞台とは全く異なる。しかも、見ている時にはただ面白い、充実の思いだけに満たされるのだから、これまた〈忠度〉同様、要するに花も実もある〈松風〉、ということになる。

山本の〈松風〉を見るのは1986年11月の銕仙会以来。私のその時の手控えには「ワキ・森茂好、小鼓・鵜澤壽とともに山本も不作」とあって、「技術の秀逸だけが目立つ」としてある。なるほど、腰の粘りや謡の巧さの点で昔から完成度の高い人だったし、今もやっていることは本質的に変わらないのに、できあがったものが全く異なっている。これはいったいどういうことであろう。
前回の〈松風〉以来、四半世紀を経た今回の充実を思うと、能の表現や深化の意味という大きな問題を考えさせられて、感動はことさら深かった。

今年は野村万作が静かに充実を見せた年。下半期に限っても、11月27日・万作を見る会の〈樂阿彌〉、12月3日・野村狂言座の珍しい〈唐人子寶〉など、逸することのできない名舞台が続いた。〈川上〉は万作第一の当たり役で、近年重ねて目にするものだが、中森貫太の主催する「能を知る会東京公演」でのそれは格別の出来ばえ。これも今年に入って安定した石田幸雄の妻の好助演と併せて、いわば究極の完成だろう。

この狂言の結末は、究極の悲劇は描かない「狂言の論理」とは、ある意味で対極にある。
地蔵の託宣と夫婦の関係とが対立、いったん晴眼に復したものを再び盲目とする「霊験」は、取りようによっては、人を救済すべき宗教を全否定するものだ。暢気な昔の役者だったら何の屈託もなく演じて見せて、弱者を嗤いのめす (今風にいえば「ブラックな」)笑劇に仕立てて恬としていたかもしれない。むろん、それでこの作品が名作と言われ、現代に残る意味が生ずるとは思われない。

この狂言が至難なのは、要所要所の演技を派手にすればするほど、尋常の理解を超えた結末もまた目立つことになって、劇の行方が混迷してしまう点にある。
石段に躓く痛さ、眼が開く歓喜、それに伴い杖を打ち捨てる激情、こうした所作を克明に演ずれば見所への訴え掛けは強くなるが、そのぶん、不条理な結末もまた克明に際立ち、これをどう解釈したら良いのか、見るわれわれは当惑を隠せまい。

万作はこれらの箇所をごく淡々としこなす。したがって、舞台の印象は洵に静かで、喜怒哀楽の感情すら平均化された感触である。それでいて、藝の呼吸は深く、気韻は全体を覆って弛緩することがない。万作の盲人は、中間に挟まれる激情を忘れ去ったかのように、ただ登場して退場するだけであるかのようだ。これを諦念の表現と言うとありきたりだが、見るべきは身体そのものであり、風に従い流れに棹差す自然体は、表面張力で漲った水面のような緊張を湛えて美事である。

良寛の有名な言葉に、「災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候。死ぬべき時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候」(文政11年12月8 日・山田杜皐宛消息)。
これは非情無道な言葉ではない。宗教者として最高に親切な教化、真理を射抜く寸鉄の一語である。
万作の〈川上〉を見て得た感は、この語を玩味する時に油然と湧き起こる感と等しい。この〈川上〉を、たとえば〈芭蕉〉や〈遊行柳〉のような能と併せて、西欧で公演することがあったら実に面白かろう。功利的な救済を超えた宗教性を示す〈川上〉と、汎神論的発想なくして成り立たない草木成仏の能と、いずれも狭い意味でのキリスト教的発想ではとうてい理解しがたい、日本の藝能の根源を支える思想に直結する演目だからだ。

万作の今回の〈川上〉は、そんなことを私に夢想させる名舞台だった。

片山幽雪は昨年(2009年)10月3日・塩津哲生の會に客演した舞囃子〈木賊〉が実に美事、同年12月20日・九郎右衛門の名としては最後に演じた京都観世会の〈俊寛〉も名演だったが、その前後から今年に入って不発の舞台が続いたのは存外だった。
本年2010年元日から幽雪と名誉の改名、続く3月16日の賀宴では2011年元日を期して嫡子・清司の九郎右衛門襲名を表明しただけに、だいぶんホッとした結果でもあろうかと思われたが、11月の〈定家〉に至って漸く本領発揮である。

名古屋から1時間といえば相当の遠隔地・豊田市に、このような完備した能楽堂があるとは、初参の私は驚いた。その立派な舞台に相応しい十二分の成果。「まさに能」という意味で、初めに挙げた三川泉の〈胡蝶〉と等しい。この日の〈定家〉を見た豊田市のみなさんは実に幸せである。

そう、幽雪の下居姿は三川のそれに通じていて、これは小柄な体格というばかりではなく、キッと纏まった居ずまいが整っていながらゆったり悠然としている点が共通しているのだ。
静止の姿に色彩を感ずるというのも妙なことだが、実際、同じような姿を保っていても無色の人もあり、何となく騒がしい人もあるのは誰もが実感するところだろう。幽雪も三川も実に色美しく艶やかなので、これは女面を掛け紅入唐織着流で端然と下居した時に極まる、この2人に特有の美感である。

〈定家〉そのものは決して艶麗一方の能ではない。が、万作の〈川上〉しかり、淡々と積み上げた末に立ち顕れる劇世界というものは、劇的分析に説明を加算した舞台とは比べものにならない力を持つ。
幽雪の舞台について、昨年の〈木賊〉や〈俊寛〉を語ることと、今回の〈定家〉を語ることとは、良い意味で恐らく一緒になってしまうだろう。それは平成17年3月に再演した〈關寺小町〉で幽雪が獲得した藝境の延長であり、体力・気力が相伴う限り有効な「かたち」のなすわざである。

三川にせよ幽雪にせよ、老来すっかり円融した藝のすがたは、一見誰にでも真似られそうに簡単に見えるものである。

将来こうしたすがたを手にできそうな60代以前の役者といえば、さて、誰だろう。

2010年12月27日 | 能・狂言批評 | 記事URL

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