批評

2010/12/31 平成22年の歌舞伎をふりかえる~歌舞伎座さよなら公演を中心に~

何といっても、4月30日の歌舞伎座閉場式に向けた一連の「さよなら公演」終結に尽きた一年である。

「歌舞伎座は暫く閉場しますが、歌舞伎がなくなるわけではありません」とは閉場式での中村芝翫の言葉。客席からは笑い声が挙がったが、冗談とばかりは聞いていられないようで、その後、新橋演舞場ほか東京の歌舞伎観客動員数が目に見えて落ちたのは周知の事実である。「歌舞伎座の最後に立ち会う」のは一種のバブル景気だったから、1、2月は2部制で1等20,000円、3、4月は3部制で15,000円すなわち通して見れば45,000円という滅法界な高額切符が闇値さえ付いて飛ぶように売れた。5月以降の不入りはその揺り戻しと言えるわけで、それだけに、内容よりも圧倒的に話題性が先行した点、歌舞伎芝居を支える観客の今後というものを考えさせられた。
出来はともあれ尾上菊之助が〈合邦〉通しに挑むというのに12月の日生劇場が埋まらず立見席を仕立ててまで空席を減らす半面、暴力騒動後の海老藏復帰公演はいつのことか予測もつかないにせよ確実に割れんばかりの大入札留に相違あるまいとの予想など、観客論についてはさまざま一考に値することがらが思い浮かぶ。

【〈車引〉への疑義】
歌舞伎座さよなら公演に話を戻す。

1月から4月までの4ヶ月、いったい何が印象に残ったかと言えば、感心・感動した芝居は実はほとんどない。一部で喧伝された1月の〈車引〉など、酷いものである。1928年生まれの芝翫が初役でこの場の櫻丸を勤める意慾は意欲として、吉田社頭の場でジッと立つ間、ほとんど素に戻って時に視線さえ遊ぶ気の抜けようはどうだろう。

能の居グセと同じで、荒事の要諦はこうした静止の充実にある。むろん、たとえ老人であっても尋常の能役者なら、居グセで素に戻ったりはしない。これは細部の瑕僅ではなく本質に関わることなので、これを看過し「老練」「存在感」と評するのは誤りである。
吉右衛門の梅王、幸四郎の松王、ともに身体の魅力を根本的に欠いている。富十郎の時平は蒼古な公家悪を避けたのが仇となり、その藝風と相俟って新歌舞伎である。

〈車引〉とは一体どうあるべき出し物なのだろうか。
〈車引〉とは、身体と声に卓抜した役者が身を責めて力を尽くし、しかも、悠然と演じ済ますものではないのか?
写真で見る六代目菊五郎や七代目三津五郎の姿かたちの強靱と柔和、たとえば少なからぬ能役者たちは今もこれらを幾分か体現しているというのに、現代の歌舞伎は芝翫の櫻丸や吉右衛門の梅王や幸四郎の松王レベルに留まっていて良いのだろうか?
そして、これらを名演と思い込み満足する観客は、もはや本気で過去の先人など「なかったこと」にしてしまおうとするのだろうか?

【〈道明寺〉の分裂】
さすがに毎月「極付」の演目が並んだ中、3月の第3部では十三代目片岡仁左衛門と十四代目守田勘彌の追善狂言として〈道明寺〉が出た。

当代仁左衛門の菅丞相は既に名品として認められているが、重演のたびに泣く演技が増え、芝居が水増しになって評価できない。これは1995年2月、十三代の一周忌追善として孝夫時代に初役で勤めた丞相の、溢れる思いを押し包んだ謹直な美事さを思えばこそ付ける注文である。前回もそのきらいはあったが、今回さらに、自らの思いの赴くまま悲嘆に暮れるさまは、仁左衛門としての真実ではあろう。また、こうした仁左衛門に同化できる観客は良いだろう。が、それは仁左衛門にとっても観客にとっても、お互いに自己陶酔の鏡像である。

私は、歌舞伎芝居の中で最も格調高い奇跡劇〈道明寺〉をことさらに愛するだけに、また、初役の折に実証済みの、涙に抗する力を蓄えて演ずるに堪える仁左衛門の力量を信ずるだけに、今回の菅丞相がこの程度に彽徊していることをひどく惜しむ。

玉三郎の覺壽が話題を呼んだ。ニンにない役だけに、むしろ予想以上に突っ込んだ出来だったというばかりだが、「七人の会」はもちろん国立劇場開場時の二代目鴈治郎も知らぬ私は、義太夫味皆無の梅幸を含めて、理想の覺壽というものを知らない。

かてて加えて、今回の〈道明寺〉で極めて気になったことが二つある。

ひとつは、段切近く菅丞相が詠み残す「泣けばこそ別れを急げ鶏の音の聞こえぬ里の暁もがな」の件。
ここは一幕中で最も大切な場面である。この歌が世に残ればこそ、「道明寺」という寺が出来、この物語が成り立つのだ。文楽では文台を持ち出し、覺壽が短冊に歌を書き残す演技があるのは周知のこと。つまり、この歌は「一字一句を聞き洩らさぬよう、覺壽によって大切に聴き留められなければならない」のである。
ところが、今回のこの場面。上手屋台の仁左衛門は膝を抱え、少し上手を向いて詠吟の態。玉三郎はというと、前からの流れで何ということもなく下手を向いたまま、歌を聴くでもなく聴かぬでもなく身体を遊ばせており、詠吟のあと徐に丞相に向いて、何の感も挨拶もなく「ではさようなら」というようなこなしで別れの演技に移る。
これでは、「泣けばこそ」の歌は後の世に残らないではないか。

私だったら、このように演出する。「心の嘆きを隠し歌」の床で三味線が弾き留めるのに合わせて、覺壽はとくと丞相に向き、「泣けばこそ」の詠歌が始まれば両膝にシッカリ手を突き、少し頭を下手に振ってよくよく耳を傾ける態度で低頭。歌終われば丞相の顔をシカと見込んで、深く一礼。丞相は覺壽を見なくても良い。
この一芝居で覺壽も活き、詠歌も活きることは疑いない。

もっとおかしいのは、幕切のいわゆる天神の見得。
「嘆きの声にたゞ一目見返り給ふ御かんばせ」で片袖を巻き上げ花道から舞台を見込むのはお決まりである。
だが、ここで苅屋姫は泣き臥して袖で顔を覆い、覺壽は姫に気を取られ、つまり、「誰も菅丞相を見ていない」のだ。
ここは菅丞相がただ一目、「姫に顔を見せてやる」ために、義理のしがらみを踏み越えて振り返る一瞬である。ここで姫がその父の思いを受け止めず、つまり、父の顔を見ずして、「丞相名残の段」が成就するだろうか?
これでは、何のために丞相は振り返ったのか、また、それまで何のために姫と顔を合わせまい合わせまいと避け続けたのか、一切が無意味になってしまうではないか。
ここでも、姫、覺壽、照國、舞台に残る全員が丞相を注視し、その視線の中で丞相が姫に今生の別れの顔を見せてやるのであれば、どれだけ感動が深いことだろう。「この部分、観客はみな花道を見ていて、舞台など見ていないから、どうだって良い」とする者があれば、それはまったくの暴論である。

歌舞伎芝居というものは、こうしたところから惰性化し、つまらなくなってゆくものだ。裏返せば、細部(と言っても重箱の隅ではなく根幹に関わる演技の問題)に疑念を持って掘り下げれば、芝居はいくらでも面白くなる。観客の側でも、感動の沸点が低いままでいたら、芝居のレベルはどんどん低くなるだろう。
新聞や雑誌という公器で発表される劇評の責務は、まずはこうした点を指摘することにあるべきはずである。

【〈熊谷陣屋〉の達成】
私が歌舞伎座さよなら公演で最も感心したのは、4月第1部、吉右衛門の〈熊谷陣屋〉だった。今まで幾度となく見たこの人の熊谷のなかで、今回が出色の出来である。
こうした型物になると大抵は変わらないから、見る側も何となく見過ごして、全体の印象評に傾きがちだ。が、今回の吉右衛門は、ことさら周到な演技を工夫しており、それが成功した。型の工夫というより、型扱いの工夫というべきだろう。

それは、妻・相模への愛情表現である。

たとえばカタリの内。「父は波濤に赴き給ひ、心に残るは母人の御事」。これは敦盛の遺言であるから、母・藤の方に聴かせるセリフである。もっとも、二人の女は泣紙を手に泣いているので、熊谷の演技は観客にのみ示され、つまりここは半ば熊谷の独白の様相を呈する。
ここで吉右衛門は、上手の藤の方ではなく、下手に控える相模のほうをジックリと見流す。
相模はこれに気づかない。が、敦盛は実は小次郎である。「母人」とは、実は相模なのだ。この時、吉右衛門の熊谷は、わが妻の心中を思いやって、深い同情の視線を投げ掛ける。これが、この場面の吉右衛門の肚である。
吉右衛門の、このひとしきり視線に、実に情が籠っている。

これとまったく同じ演技が、後段、相模のクドキにある。首桶の蓋を取って「敦盛の首」を示し、藤の方に見せよと相模に促すところで、吉右衛門は目立たぬように、だがシッカリと、「よくやった」というような慈愛の手つきで「敦盛の首」の髪をなでてやる(ここは実に感動的である)。吉右衛門の熊谷は下手に向き直ったまま、腰砕けになって泣き臥す相模をジッと見据えて、しばし視線を動かさず、一切動じない。妻の悲嘆のさまから決して目を離さないのである。
そのまま妻を見据えることしばし、クドキの中段になって、おもむろに退り、扇を構えると、今度は正面はるかにキッと見据えて微動だにしない。相模と藤の方の問答で真相がより明らかになり、相模が夫を怨めしげに見やっても、吉右衛門は静止したまま口を結んでずっと堪えている。
だが、この「無視」は決して冷たく見えない。それは、カタリの間とクドキ前半で、熊谷が相模をずっと見つめ続けていたからである。

最近の熊谷、たとえば仁左衛門や橋之助は、首を渡す際に相模と手に手を取って、悪く言えばベタな悲嘆のさまを見せる。吉右衛門はそうはしない。

が、幕切で相模を残し一人旅立っても、吉右衛門の熊谷は相模を見捨てたようには決して見えない。自分と妻とは、たとえ別々になっても、わが子の死を共有する「同志」。吉右衛門は、妻への周到な視線の藝ひとつでそうした熊谷を演じた。印象評に訴えるのではなく、型の扱いでそう見せたのである。

むろん、吉右衛門にしても今年がすべて万全だったわけではない。ちょっと遠い役になるとセリフの入りが歴然と悪くなったのは、今年に入って顕著な現象だった。
そんな中で、型扱いの妙に加えて一幕の間ずっと精神の緊張が切れず、いたずらに涙に溺れることをしなかったこの〈熊谷陣屋〉は、現代の歌舞伎としてひとつの達成といえるものであったと思う。

そのほかいろいろ、尽きせぬ字数を濫費することになるから、今後の公演に付して随時触れてゆくことにしたい。
本年も残すところあと僅かの時間となり、多分に尻切れトンボに類する項となったが、これにて一応の擱筆とする。

2010年12月31日 | 歌舞伎批評 | 記事URL

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