批評

2011/1/13 第53回 野村狂言座

平成23年1月13日(木)午後6時45分 寶生能樂堂
◆狂言〈文山賊〉 シテ:石田幸雄/アド:深田博治
◆素囃子〈神舞〉 笛:藤田貴泰/小鼓:森澤勇司/大鼓:大倉慶乃助/太鼓:大川典良
◆狂言〈麻生〉シテ:野村万作/アド:野村萬齋/小アド(源六):深田博治/小アド(烏帽子屋):竹山悠樹
/笛:藤田貴泰/小鼓:森澤勇司/大鼓:大倉慶乃助/太鼓:大川典良

白い花が供えられた亡き万之介の遺影を祀るロビーである。

勤務の都合で後半から観覧。はじめの〈筑紫奥〉と〈伯母ヶ酒〉は見られなっかたが 後者は末尾だけ覗く。シテ・野村遼太が伸び伸びと演じていて好感が持てた。大酒の酔態を勤めるにはいささか年齢不相応なのも、狂言ならではのご愛嬌である。

〈文山賊〉は万之介のシテだったものが、シテ、アドともに繰り上がって配役変更された。
石田と深田の個性もあって、終始融和の雰囲気が濃厚な〈文山賊〉である。

だが、石田が書き置きの文案の中で「刀の柄に手を掛くる」と読み上げると、抜き打ちかと誤解した深田が「抜かることではないぞ!」と気色ばむところなど、融和を破りキッと殺気立つイキが欲しい。真剣勝負の激しさが所々薬味のように効くからこそ、他愛ない展開が活きるのだ。

シテがカツラをつけずに上演できない〈麻生〉は稀曲だが、装着するカツラが最近は大幅に発達したせいか、舞台上で麻生某の頭の様子に不自然さはほとんどない。
歌舞伎の髪結新三よろしく、櫛で梳き、口に元結を銜えて万作の髷を結い上げる萬斎の手際が見せどころ。万作のカツラは黒髪ではなく年齢相応の胡麻塩髪で、登場時は後方に放ち出した、いわゆる茶筌髪である。

枯淡の藝境の万作は騒がしいこと一切なく、安心して見ていられる。もっとも、この曲も〈末廣がり〉の類作であるからには、「力感漲る」というのが本来だろう。下人2人の囃子物に応える謡ガカリ「前代の曲事」など、萬だったらもっとガーッと押してゆくところである。
そう言えば、以前見た当代千作や萬の〈麻生〉は、自ら一代の力量で築き上げた館に住む成り上がり者のようなシテだったのに比べ、万作は木口を吟味した洒落た数寄屋に住むようなシテぶり。いわば格外の妙味を堪能させる。
なお、深田の勤める「源六」は「ゲロク」と発音される。大藏虎明本では「下六」と表記するように、「ゲロク」は中世の通り名であるから、この発音は正しい。

以下、「五体付け」と烏帽子について。

この狂言では月代(サカヤキ)に張り付ける白奉書の当て紙を「五体付け」としているようで、大蔵虎明本には図入りで示され、その翻刻『狂言集の研究』にもそう注されている。
私はこれに疑念を抱いている。

一般に「五体付け」とは、髻(モトドリ)を寝かせず高く突き上げる結髪のことである(志村けん演ずるバカ殿を思い起こして頂ければ話が早い)。これは、冠や立烏帽子、風折烏帽子を装着固定するため必要な結い方だった。
平安時代、貴族の元服を「加冠」と称した。この時はじめて結った「五体付け」に冠を着せかける役を「引き入れ」と言い、武家では「烏帽子親」と言った。まさに、「五体付け」の髻を冠や烏帽子に「引き入れ」てやったのだ。

この狂言で源六が烏帽子屋から持ち帰るのは、〈翁〉で地謡や囃子方が今でも頂く侍烏帽子。今回は最後のシャギリ留で、萬斎の藤六と深田の源六が、竹竿の先につけた侍烏帽子を主の頭上に翳してトメたのが洒落ていた。
が、実は、「五体付け」では邪魔になって侍烏帽子がつけられないのである。

本稿で言う「侍烏帽子」とは、「〈翁〉で地謡と囃子方が」との記述からお分かり頂けるように、「舟形の侍烏帽子」のことである。これと別に、大相撲の行司が1910年の服飾改定以来着用するようになった烏帽子は、舟形よりも古い様式の侍烏帽子を模したもの。この「古式の侍烏帽子」は「五体付け」の髻が納まるようにできている。すなわち、「古式の侍烏帽子」と「舟形の侍烏帽子」と、同じ「侍烏帽子」と言っても双方は別物である。
※2011年1月14日追記。

劇中の設定で、主人はこれまで「烏帽子髪」を結ったことがない。
しかし、烏帽子は常用のかぶり物だから、「烏帽子をつけたことがない」と言っている訳ではない。

侍烏帽子とは一般の武士が威儀を正す時に必ず用いる烏帽子であり、その時は髷を「五体付け」には結わない。
従ってこの狂言で、麻生某は、「侍烏帽子ではない烏帽子」を初めてつけるために、これも初めて「五体付け」に結った、ということになる。狂言で「侍烏帽子ではない烏帽子」といえば、たとえば、大名役が決まって頂く洞烏帽子(ホラエボシ=大名烏帽子)だろう。
狂言の洞烏帽子は顎紐で固定するが、もともと平安時代の立烏帽子からの変形。いずれも「五体付け」でつける烏帽子である。

狂言の中で、侍烏帽子が武士一般の身分を示すものだとすれば、洞烏帽子は並の武士から抜きん出て頭角を現わした大立者の身分を示すものである。

つまり麻生某は、それまでの一介の武士から、このたび大名に出世。元日を期して初めてそれにふさわしい烏帽子を調え、着するのだ。
いわばこの狂言は、髪型によって語られる「大名誕生」のめでたい出世物語である。
「五体付け」の結髪と烏帽子の調達は、このドラマの根幹に関わる趣向なのである。

したがって、「五体付け」=「烏帽子髪」であり、ここでの烏帽子は現行で用いる侍烏帽子ではなく、洞烏帽子が劇設定上妥当と思う。どうだろう。

2011年1月14日 | 能・狂言批評 | 記事URL

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