批評

2011/1/2 新橋演舞場 壽初春大歌舞伎 夜の部

1・〈壽式三番叟〉 ★★☆☆☆
2・〈源平布引瀧〉實盛物語 ★★★☆☆
3・〈浮世柄比翼稻妻〉淺草鳥越山三浪宅の場/吉原仲之町の場 ★★☆☆☆

本来ならば昼の部の冒頭に置かれるべき〈三番叟〉。富十郎初日から休演のため、翁は予定の二人立ちから梅玉の一人立ちとなった。
その富十郎を慮った演出、全員が大ゼリでセリ上がり大夫の一礼なく始まる(翁ノ舞済んで一礼はある)変則である。

富十郎は昨年9月当劇場〈うかれ坊主〉では悪い足腰を庇って一度も膝を突かず、上体だけで踊り通した。身も心も鉋に掛けるようなその姿を思い出す。
もはや充分なこともできずにいながら、生涯最高の当たり役〈うかれ坊主〉から逃げずにいた富十郎。「踊る」とはどういうことか、深く考えさせられたその舞台を忘れない。

観世清和に似る梅玉の翁には品格が備わる一方、その気韻が舞台に充ち満ちて一幕を圧するとまではゆかない。左袖をかづき扇を前に構えるいわゆる「翁ノ型」で、開いた扇を口元下に構えたが、これは顔を隠す型だから目の辺りまで持ち上げていなくてはいけない。

附千歳の鷹之資は覇気がない。能の子方が千歳を勤める際はとにかく勢い専一、キビキビ動くことだけを叩き込まれるものだが、子供役者にもそのイキは必要だ。
三津五郎の三番叟はお手のものたるべきはずが、びっくりするほど生彩がない。翁がセリ下がってからは文字どおりの独り舞台、どう踊り込んでも良いところ、揉ミ出シ以降舞い出すイキに躍動感が欠け、水玉が散るような感がないのはどうしたものか。

魁春の女千歳は踊技拙劣。コナシごとに身体が柔らかく開かず、動きが動きを呼ばない。
が、この一幕で誰よりも立ち勝っていたのは魁春である。
「役者ぶりだけで踊ってしまう」と言えばそれに尽きるのだが、役者の身体の魔術に関わるひとつの切り口が、ここにある。踊っていないところで居ずまいが乱れず、役に納まっている魁春。踊るに巧みではないのに、踊りが良い。これが歌舞伎の不思議である。
最後に三番叟(直垂の肩を上げるが必ずしもその必要はない)と連舞になるところで、魁春が掛直垂と烏帽子を取ってしまうのは勿体ない。この男姿の色気あっての女千歳である。

勘太郎や海老藏の世代までもが持ち役にし始めた実盛。明治以降、〈石切〉共々この狂言が最も持て囃されているのが近年だろう。同じ義太夫狂言の生締物でも〈盛綱〉はさすがにそうはゆかない。
團十郎の実盛の風采の立派さ。これまた立派な段四郎の瀬尾と花道に並んだところは、天晴当代の錦絵である。この2人、どちらもその頭抜けた容貌が芝居の価値を支えている。

義太夫狂言の魅力の半分は、竹本をどう活かすか、また、義太夫と三味線にどう活かされるか、その二つを熟知することにある。十三代目仁左衛門や先代勘三郎や歌右衛門以降それに通暁した役者がほとんどいなくなってしまった中、当代の実盛ならばその点は仁左衛門と勘三郎にまだ片鱗を見るだろう。
團十郎は、昨年10月の〈盛綱〉和田兵衛でもそうだったが、演技の角々で床を完全に活かし得ていない。たとえば、動きの点では前段で最も盛り上がる「あきれ果てたるばかりなり」の瀬尾とのキマリで、舞台の腕を見込み、思い入れをし、それを型としてのキマリに持って行く中で、三味線のイキと不即不離の面白さを見せず、自分主導で動いてしまう。今に始めたことではないが、絃(いと)に乗りきれていないのだ。竹本とは関係のない部分だが最後に近く、太郎吉に鼻をかませてやり懐紙を袖に納めるキマリひとつを取っても、絃に乗り得る身体の律動性さえあればもっと面白く見えよう。

だが、團十郎の実盛は、当代の誰よりも好感が持てる実盛である。特段に面白くはないが、「良い実盛」。この点、モノは異なっても〈三番叟〉の魁春に通ずる。
たとえば、そのセリフ。誰も知る難声をそのまま放置せず、近年ことに開口に留意した結果、発せられるコトバは味こそなけれ、極めて明瞭である。この一幕中、團十郎のセリフで理解できない語はひとつもなかった。これは、團十郎自身の真摯な研鑽の態度を示すと同時に、観客へ自己の芝居を平易に伝えようとする、役者としてのメッセージの現われだろう。
この明快なコトバの力と、義太夫味は少ないものの堂々たる挙措進退と、何よりも立派な風采とが相俟って、團十郎の実盛は媚びることなく見る者の共感を呼び覚ます。それが斎藤別当実盛という歴史上・戯曲上の人物への共感ではなく、十二代目市川團十郎という誠実な役者への共感であるにせよ、團十郎の演ずる実盛には人柄相応の温かな血が通って、懐かしい。

段四郎という役者の存在が、当代の歌舞伎をどれほど面白くしていることだろう。最近次第にセリフの入りが悪くなってきたこともあり、昨年歳暮南座の〈河庄〉孫右衛門のような身に合わぬ上方世話狂言に無理に起用されることは止めて、じっくり取り組んで意義ある役に絞って欲しいものだが、この手の役者払底の折から、色々と使い回されるのは気の毒である。
瀬尾は当たり役のひとつだけあって、初日にも関わらず(黒衣は付いたが)セリフの点では思った以上にしこなした。ただ、團十郎と同じく、この人も絃にノル身体ではない。先述の「あきれ果てたる」でも、扇の要元で腕をいじり、実盛と見合わせ、上手に半身をねじってキマルあたり、勢いに乗って痙攣的に伸び上がる動きがこの人らしく実に面白いのだが、絃を活かしてキマレばもっと大きく見えよう。
とはいえ、いったん下手藪疊に消えるところなど一つの様式を踏んでいて、左團次に比べてもよほど古風。肩衣を頭にかぶるコナシはもっとキッパリしたほうが芝居味がある。注文の付けどころはあるものの、故人羽左衛門よりニンに合った、当代の瀬尾であることに疑いはない。

福助の葵御前は最初の出がお富に見えたが、二重に居直ってからは含み声を静かに使って、冷た過ぎずに位取りもある。魁春の小万は出番が短いだけに、この人の持つ哀れさがかえってにじみ出る。栗梅石持の着付に帽子付の扮装が当代最も似合う一人である。右之助の小よし、市藏の九郎助、どちらも團十郎家お決まりの役者で嫌なことはしないが、これにも義太夫味はない。

新十郎の矢橋の仁惣太が良い。甲走って苦みのある口跡が出色。こうした役に必須のキビキビ弾む動きをもっと体得してくれたら、芝居が大いに面白くなろう。

〈源平布引瀧〉は宗輔の作品である。宗輔を世阿弥とすれば、〈盛綱〉の半二は禅竹、〈石切〉の文耕堂は信光という見立てになろう。本当ならば段切「その時こそ鬢髭を墨に染め」以下の能〈実盛〉引用部分で、宗輔特有の透徹した歴史観、ある種の無常観なり世界観が迫り出すべきかもしれない。
が、当代の誰の〈実盛物語〉にもそのような感はない。これは義太夫のような語リ物でなければ望めぬものか、どうか。

最晩年の十五代目羽左衛門が苛烈な戦時中に演じた実盛を、当時の人びとはいったいどう見ていたことだろう。

〈浮世柄〉は平成16年1月の国立劇場以来。三津五郎の名古屋、福助のお國と葛城、橋之助の不破という配役もその時と変わらないから、7年前とはいえ既視感がある。

福助の3役(〈鞘当〉の留女も勤める)は安定している一方、現代人には伝わりにくい人物像を説明的に演ずるせいか、お國の哀れが減じて見える。
一人の男に思い入れ尽くし上げる女は、今でもざらにいる。この「今でもざらにいる女」というところに観客との接点を見出だし、お國という女をありふれた一人の女に純化し演じて見せようとするのが福助の現代性で、その志向は理解できる。
お國ばかりではない。福助の演ずる女の多くは現代人と同じように自由を求める女であり、江戸時代の桎梏から解き放たれた覚醒した女である。その点、体制や運命に押し潰されて消えてゆく女のどうしようもない悲哀が減じて見えるのは仕方がない、ということになる。
この方向性を今後どう辿るのかが、福助が大成して行く中で最も問われる命題だろう。福助がこれから手掛けてゆかねばならぬ大役の多くは、現代人の理解の範囲内である「個人の思い」だけに留まらず、もっと巨大な世界に関わる女であるに相違ないからだ。

お國に関して極めて細かいことを言う。最初の出で屋台下手の木戸口を開け閉めする手つきと家内に入った時の身のコナシに女らしい繊細さがない。一度引っ込み、葛城に替わった後、お國の二度目の出ではそうでもない。
芝居が始まってすぐ、役になりきっていない内は、普段の地が出たのだろう。こうした地に自我が出ず、女形としての生理が滲み出すような境涯を、福助に望むことはできないだろうか。普段は男らしい自儘を尽くしていても舞台の上では徹底した女形として、当代雀右衛門という偉大な手本がある。
福助にとって葛城は、お國に比べて難しい役ではない。傾城の定石どおり様式に従って勤めていればいかにもそれらしく立派に見える。歌右衛門に叩き込まれた八ツ橋の余徳はこうしたところにも光っている。実際、この場の福助は少し堅過ぎるほどが良いので、立派な傾城ぶりである。あとは容貌と態度にもう少し寛いだところがほしい。後ろに控えた芝喜松の番新が、いかにも安定している。

三津五郎の名古屋はこの役に期待される超然とした面白みが少なく、それがこの芝居をだいぶんつまらないものにしている。とはいえ、三津五郎だけが手に余るのではなく、当代この役を十二分に勤めおおせる役者は皆無だろう。いっそのこと、玉三郎あたりが試みたら似合うのではなかろうか。

彌十郎の浮世又平は突っ込んだ悪人ぶりを示す部分はあっても善人性が随所に露出し、「喰えない親爺」に徹しきれない。〈鞘当〉(両花道ではない)だけの不破では景物程度だが、橋之助は笠を取ってからが立派。ただしこの場、名古屋と不破の六法の寛闊ぶりを愉しむというまでには至らない。
浪宅での、取り立て人や家主(市藏)、遣り手(右之助)を含めた廓の者たちの騒動ぶりが、とんと面白くない。市藏が見世物の口上を真似ても観客には一向に通ぜず、客席は静まり返るばかりである。江戸時代人の低俗な生活感(私は決して否定的ではない)に則した滑稽や猥雑を喜んだ郡司正勝の在世中に比して、鶴屋南北の芝居が将来生き残って行くには相当難しいものがあるだろう。〈四谷怪談〉ですら、そうである。

2011年1月 3日 | 歌舞伎批評 | 記事URL

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