批評

2011/1/22 大槻能楽堂企画公演

平成23年1月22日(土)午後2時 大槻能楽堂
◆能〈木曾 願書・恐之舞〉 シテ:山本順之/ツレ(木曾):上野朝義/ツレ(池田):生一知哉
/ツレ(郎等):長山耕三・武富康之・山田薫・上田宜照・水田雄晤/地頭:大槻文蔵
/笛:野口亮/小鼓:久田舜一郎/大鼓:上野義雄
◆能〈巴〉 シテ:多久島利之/ワキ:福王知登/ワキツレ:是川正彦・喜多雅人
/アイ:茂山良暢/地頭:阿部信之/笛:貞光義明/小鼓:吉阪一郎/大鼓:守家由訓

「平家物語を観る」と題する連続公演の一環。大槻能楽堂の好企画で評判も良いらしい。能に先立って井沢元彦氏の講演があった。

現行型の縮約版〈木曾〉は、45分程度の短時間に、眼目の〈願書〉独吟と、袈裟頭巾に直垂上下(装束付には法被・半切も)という異例の扮装で舞う男舞と、二つの趣向が盛り込まれ、祝言の趣もあって、なかなか洒落た一番に纏まっている。演者を選ぶが(国立能楽堂では創立以来1度しか出ていない)、推奨に値する能である。

〈願書〉を謡わせては当代最高技量を有する山本順之だが、銕仙会初会の〈翁〉〈嵐山〉地頭(地頭の声だけが遊離して聴こえるほど調子が悪かった)以来の風邪?が長引いたか、咽喉がまだ本調子ではなく、この日も予想の出来には至らなかったのは残念。
ただ、不調なだけに、この人の謡が咽喉で謡われているのではなく、腹力によって支えられていることがありありと知れた。まさに、謡が腹から聴こえてくるのだ。これは怪我の功名である。
小書「恐之舞」により、五段の男舞に工夫がある。初段オロシに拍子を二つ踏むとシズミあり、二段目はオロシを省いて舞い進めるが、その後半以降は常の男舞で、三段目にはオロシもある。結局、脇座で床几に掛かっている木曾殿の面前を憚って、最もそこに近付く二段目オロシを省き、できるだけ御前から遠ざかるように舞うのがこの能の「恐之舞」の趣向である。
順之の舞いぶりは尋常。舞アト「不思議や八幡の方よりも山鳩翼を竝べつゝ」で目付柱方向から正先へ面を遣い渡すのはさすがに巧み。ここでの奇蹟示現が観客に実感されなければ〈木曾〉の能は成り立たないから、実は〈願書〉より大切な部分である。

多久島の〈巴〉後シテは、床几に掛かる間の腰の力が欲しい。〈木曾〉は大槻文藏が地頭でまずまずだったが〈巴〉は地謡も低調。どこか類似した2番を同時上演する難しさを感じた。

2011年1月29日 | 能・狂言批評 | 記事URL

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