批評

2011/1/5 浅草公会堂 新春浅草歌舞伎第2部

1・〈壺坂靈驗記〉 ☆☆☆☆☆
2・〈黒手組曲輪達引〉忍岡道行より三浦屋裏手水入まで  ★★☆☆☆

正月吉例の浅草歌舞伎。例年出勤の勘太郎は不参加だが、1部2部ともに大入の盛況は心強いことである。

〈壺坂〉。浄瑠璃作品としてこの明治新作は、明治の黙阿弥が江戸懐古の世話物を意図的に創作したのに似て、近代ならではの前近代的民俗回帰の試みだろう。が、歌舞伎芝居として、私はこの狂言をまったく評価しない。愛之助と七之助、ともに洋々たる将来のある2人にとって、今こんな愚劇を手掛けるのは何の得にもならない。
が、愚劇であればあるだけ、藝と胆力で内容を高めることもできる。その術を、2人は尽くし得ていない。

〈壺坂〉の浄瑠璃そのものには、音曲として「おいしいところ」がふんだんに盛り込まれている。すなわち、通俗効果満点の作曲だということだ。歌舞伎に移せば移したで、いわゆるポテチンで受けさせる義太夫狂言の演技術を駆使するようにできている。

が、演舞場の〈實盛〉もそうだったように、当代の役者で過剰なまでに竹本に乗れる者はほとんどいない。若い2人の手に余るのは当然である。

たとえば、昔は誰でも知っていた澤市内のクドキ。「お前のお目を治さんと」の直前、三味線がお決まりのハッ、ハツと掛ける。当然、これにアテたお里のコナシがあるべきだ。が、七之助はこの二ツ声を聞き流して「お前のお目を治さんと」のセリフを言ってしまう(知っていながらあえて外したイキではない)。同じようなツボ外れ、ツボ知らずの例は、全幕中枚挙に暇がない。
義太夫狂言のクドキはこうした細部のコナシの積み上げで成り立つのであって、それを欠く七之助のお里には、精神的内容以前に備わるべき、型物に必須の見た目の愉悦感が欠落している。こうした芝居は「型の愉悦あっての悲劇」でなければならない。

澤市はいつ、死を決意するのだろうか。

これは床本には記されず、役者の肚に任されている。
が、ひとつの大きなきっかけがある。

それは、お里が日課の夜参りに携える、おそらくお百度を踏むための数取りの紙縒(こより)束を澤市の手に触れさせる件である。
澤市はすべてを悟った思い入れでハッと取り落とす。お里は勿体ないというコナシでこれを拾い上げる。目の見えぬ澤市にとって紙縒束は、お里の弁明に勝る、動かぬ愛の証拠なのだ。お里にとってはこれが信心の証であるからには、思わず取り落とした非礼失態を咄嗟に仏に詫びる。紙縒束が、夫婦の愛と信仰と悲劇=すなわちこの戯曲のすべて、の焦点となっているのである。
ゆえに、澤市はこれを手にした瞬間、愕然と強い思い入れをする必要があるし、お里は心底この紙縒束を頂き敬う心をかたちに示さなければならない。
だが、愛之助も七之助も、紙縒束について格別の思い入れもない。これでは紙縒束を持ち出す意味すらないだろう。

参詣を決意した澤市が、「罪の深いこの身の上。せめて未来を」と、これはもうはっきりと自害の決意を秘めて口走る時、救い難い因果の闇が舞台に口を開けなくては嘘だ。愛之助がこのセリフに籠める思い入れは、まことに稀薄である。それだけではなく、直前の紙縒の件を彼がシカと演じ出だしてさえいれば、このセリフはおのずから観客の心に印象されるのである。

谷底の幕切は、本来いくら踊り込んでも良い狂喜乱舞の景。それまでの愛之助と七之助の彫り込みの浅い芝居の果てでは取って付けたような〈萬歳〉であり、身体もまた絃に乗っていないから、「言語を絶した苦悩の果てに開けた奇蹟への大歓喜」とはならない。

なお最後は、3階客席上手奥の方角に仏体示現した心で、花道から2人これを礼拝し幕となる。これは、子役の観世音を舞台に再び出したほうが親切だろう。

愛之助は、旧臘の南座で海老藏に替わって勤めた〈外郎賣〉が美事な出来だった。役者として確実に一段上がったその光は、驕らず謹んで舞台に立った愛之助の背後に静かに輝いていた。七之助が正月の浅草で勤めた2008年のお富、昨年の瀧夜叉、それぞれ未熟の初役ではあったが、他の誰にもない陰翳に富んだ魅力を湛えた女形ぶりが私には好ましかった。この2人が成長し、たとえば大判事と定高で並び立つことも、20年先には充分あり得るだろう。
それだけに、愚劇〈壺坂〉を愚劇のまま放置、平淡に一般化された夫婦愛程度で熱演されては困るのだ。愚作とはいえ奇跡劇としての〈壺坂〉と正面から対峙し、義太夫狂言の骨法を踏まえ、役の性根を実体化する知性がなければ、熱演も実績には繋がらない。

澤市内冒頭。愛之助は上手一ト間の内で〈菊の露〉を歌い、三味線が弾けないためだろう、歌い終わって障子を開く。この声が水調子で低すぎる。地歌はもっと高音、ましてや、めくら声はより高めに、少し外し気味に調子を取るものだ。山の段の花道で口三味線に乗った足取りがぎこちないのも含めて、十三代仁左衛門や先代勘三郎ほどの腕はなくとも、この役を勤めるならばある程度以上の糸道があいていなければなるまい。

才人・亀治郎が番頭権九郎、牛若伝次、花川戸助六を早替わりで勤める〈黒手組〉。自身の冒頭「年始ご挨拶」で22年ぶりと言っていたが、それは「猿之助四十八撰の内」と銘打つ今回の上演版では、ということだろう。別に、菊五郎は2006年5月の歌舞伎座で雀右衛門の揚巻を相手に演じている。
忍岡道行で権九郎と白玉の道行の滑稽。仲之町で白酒売りを救う助六の侠気と、実意の籠もった紀文の意見。三浦屋裏手で鳥居新左衛門を討ち果たす壮挙。現行演出では〈助六〉のパロディたる意味以外には演劇としての興味は殆どなく、権九郎が福山雅治の歌真似を演じても一向におかしくないように、全体が一種のショー。戯曲としては黙阿弥の作の中でも調子の低い一作である。助六の亀治郎が水入に挑み、その熱演で客席が湧けばそれで良い。皮肉ではなく、それがこの芝居のすべてである。

一抹の不器用感を振り切って遮二無二演じ通した猿之助の水入には、一座の棟梁として身体を張る者の誇らかな悲愴感があった。器用極まりなく目から鼻へ抜けるような亀治郎のそれには、独立独歩の野心家としての身軽なフットワークがある。同じ芝居、同じ水入でも、役者の個性と資質がおのずと透けて見える。

揚巻の七之助、新造白玉の春猿、白酒売新兵衛の寿猿、三浦屋女房お仲の笑三郎、鳥居新左衛門の亀鶴、紀伊国屋文左衛門の愛之助、みな所を得ているが、特に亀鶴と愛之助が良い。
亀鶴は2001年11月に、当時三代目鴈治郎と亡くなった富十郎に挟まれて〈戻籠〉禿で襲名した時には果たしてどうなるのかはなはだ心配だったが、その後ひと癖ある立役で面白い味を示し始め、私はこの人の成長を見るのを楽しみにしている。中芝居のあった昔なら、仁木弾正だって修業できる表情と口跡だ。
若手には難しいはずの紀文役の愛之助に、立派な風格が出た。まさに〈外郎賣〉で役者ぶりが上がった余徳。
真面目な七之助は水入でのけなげさが良い半面、キマリどころで形が綺麗に決まっていない部分が随所にある点に注意。

2011年1月 6日 | 歌舞伎批評 | 記事URL

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