批評

2011/3/5 東京清韻会別会

平成23年3月5日(土)午後1時開演 観世能楽堂               
◆能〈定家〉 シテ:大槻文藏/ワキ:寶生閑/ワキツレ:大日方寛・御厨誠吾/アイ:小笠原匡
/笛:一噌仙幸/小鼓:大倉源次郎/大鼓:龜井忠雄/地頭:淺見眞州

大槻の藝格が上がったことを示す秀演。「内なる自己」と対話した、静謐な〈定家〉である。

たとえば、初同で常座から4足ほど正面へ出、「軒端の夕時雨」と佇立、「古きに歸る涙かな」と手でシオラず上体でクモリ、続いて右ウケ、「露の宿りも枯々に」とゆっくり正面に向き直る推移。
むろん定型を踏んでいるのだが、たとえば、手でシオルのではなく「上半身を俯けて身体でクモル」というのは、「型そのものが、周到に内に取った表現になっている」ということだ。

手を使ってシオルほうがまだ具体性が伴うし、手を使う分、感情表現として発散もされる。
これに対し、上体でクモルとなると完全な抽象であり、感情表現としても発散されないぶん、ここには内攻した鬱情が圧縮されていなくてはならない。

このあたり、容易には手の内を見せない大槻は、「内攻した鬱情」の内実すらまだ示さず、ただ静かに動く。
この静けさに、内容が伴っているのだ。
この静けさの中にあればこそ、クリに先立つカタリ末尾「共に邪婬の妄執を」で、にわかに白熱し神憑った声調に転じたのが効いた。
嫋々たる美女が隠し持つ氷の白刃が、胸元から覗いた風情である。

「なほなほ語り參らせ候はん」とシテが謡いつつ正中大鼓前に行き、ワキは圧されるように脇座に下がるところは、〈定家〉全曲の中でひとつの大切な注目点。ここもことさら「霊威」を顕示するのではなく、入江の浅瀬に潮が満ち込むようなひそやかさで通す。

これら「内に取る静かな表現」が、全体を通じ意図的なものであることが明白になったのが中入前。
この日は、「石に殘す形だに」で後退し作リ物に背を当てて立つ、観世流定型「石塔ノ型」をしなかった。
すなわち、「われこそ式子内親王」でワキに向き威を示して立つと(閑がシテの目をシッカリ見詰めたのが効果を挙げてシテの威も勝った)、右に取りアユミ、作リ物向かって左手前で作リ物に向き、「石に殘す形だに」と塚をジックリ見込んだ。

シテと塚とが一体化する斬新な(それだけ説明的な)「石塔ノ型」に比べ、他流のように塚を見込むこの型は、シテの視線から塚=石塔を冷静に見つめる表現である。
「冷静に見つめる」とは、客観的視点を失わない、ということだ。
もちろん、塚=石塔は、自らの墓所である。
つまり、この「見つめる型」を選ぶ以上、自己存在を見透す冷静な内的観照に徹しなくてはならない。
この日の〈定家〉の主張は、実にそこにあった。

塚を見込むとそのまま右に取って正面を向き、タラタラと後退、ちょうど作リ物の向かって左脇にピタリと並ぶかたちとなり、地謡返シで塚に中入という手順。
この中入でも、初同と同じく上体全体を使ったクモリが効いた。先立って作リ物を見込んだ時の、気負わずにいても気力の通じた後ろ姿ともども、大槻の藝が背筋に出た感。
埋留で余韻を残した後シテも周到かつ芳醇、充分の出来だったが、今回は至難の前シテを処理した上記の手腕が強い印象を残した。

仙幸の笛は申し分ない。
こうした位取り高い笛を吹く笛方が、現況この人のあと見られないのはちょっと恐ろしい。手強さで松田弘之、巧みさで藤田六郎兵衛だが、品格の点でまだまだ仙幸には及ばないからだ。
序ノ舞初段に替ノオロシを吹いた。一噌流〈定家〉には長短2つの初段オロシが替手としてあると聞くが、今回は長いほうではあるまいか。

地謡は屈曲ある謡い込みを聴かせたが、最近の銕仙会系〈定家〉によくあるように、表現としてあざとい点も耳に立つ。クセ「あはれ知れ」を最強の力で彫り込むのは当然としても、息ではなく色付けの処理で代用している感。

ほか当日の主要な番組は、阿部信之の素謡〈正尊 起請文〉、野村萬の狂言〈魚説法〉、泉雅一郎の能〈鞍馬天狗 白頭〉。

2011年3月26日 | 能・狂言批評 | 記事URL

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