批評

2011/3/9 東京能楽囃子科協議会定式能

平成23年年3月9日(水)午後1時半 国立能楽堂
◆一調〈船辨慶〉 太鼓:金春惣右衞門/謠:谷村一太郎
◆能〈屋島 大事・那須與一語〉 シテ:野村四郎/ツレ:野村昌司 
/ワキ:宝生欣哉/ワキツレ:大日方寛・梅村昌功/アイ:三宅右近/地頭:武田志房
/笛:藤田朝太郎/小鼓:觀世新九郎/大鼓:龜井忠雄

初めに舞囃子3番があったが、所用にて見られなかった。

一調は惣右衞門の名人藝。これはもう、嘆賞するばかりである。
藝格の高さ。音色の良さ。間の面白さ。悠然としていながら漲る気迫。
すなわち、囃子藝のすべてがここにあり、老衰の兆しは微塵もない。

もっとも、一調の手をすべて諳んじて聴いているわけではないので、たとえどこか誤りがあってもそれを指摘することはできないが、どこをとっても逡巡の気配は皆無。謡に先んじてリードする勢いに満ち、ことに「追つ払ひ」で半間に打ち込んだ水玉の散るような撥捌きには、思わず髪が逆立つような興奮を味わった。

〈屋島〉では、年頭以来、怪我で休演が続いた野村四郎が復帰を果たした。

前シテの出が驚くほど委縮していたので案じたが、杞憂に終わった。
前場、ツレとワキの応対を聞いている〈松風〉に似た件の、何事もないシテの床几姿に深い内容がある。「なに旅人は都の人と申すか」とワキに向く心持ちが深く、この部分、「われらももとはとて」と過去の都への回想(これは義経の、自己の盛時への回想である)につながる深い心持ちが出て出色。

後シテは白地檜垣文雲板文様の厚板、緋に金立波の半切、紫の法被を肩折り込んで着た姿が美麗。
スルスルと舞台に入り、「春の夜なれど曇りなき」と左足をちょっと引いて右上を見た風情が良い。
「攻め戦ふ」のあとに型どおり挿入される、張り詰めた弓流の働事。角前から脇座に行き掛かる所定のところで、小鼓の乙に合わせて扇を落とす所作(ここで大鼓がチョンと付けた間が絶妙)も良くできた。
以下、一ノ松に流れ、再び謡となり、「駒を波間に」から両手を前に構え騎馬の型。そのまま「既にあやふく見え給ひしに」のあとに、急テンポの素働。
騎馬の型のまま角に出ると小鼓の乙ナガシ。そのまま小さく回りつつ、正先近くの扇に寄り、ヌキ足して流レ足、常座で太刀を抜き斬り払い、再び扇に寄って綺麗に左手でこれを拾い上げ、自ら太刀を鞘に納めて、扇を左手に持ったまま正中の床几(間狂言が終わった時点で後見が鬘桶を小鼓方に譲り、囃子方の床几を受け取る)に直るまで、スリリングな動きが表面的所作に終わらず生命を賭した演技に昇華、実に堪能させた。

クセ上端で扇を右に取り直してし床几から立ったあと、クセドメ「身を捨てゝこそ」でキリリと幕に向き直ったイキの鋭さ。キリ「刺し違ふる」の太刀遣いの切れ味。、「水や空空ゆく」で面を切った鮮やかさなどワクワクする部分が随所にある。
橋掛リの後ろ姿に名残を留めて急調のうちに幕に入り、ワキ残留一クサリに余韻を残すまで、出色の〈屋島〉だった。

年齢的にはそろそろ限界でもあろうが、怪我からの奮起という回生の意気込みもあったのだろう。四郎ならではの、いわば捨て身の即興性が、動きに精彩を与え続け、一番に生命を吹き込んだ。
能が生き物であることを実感するひとときだった。

後場の一声に替の越ノ段を打った。寸法は常の越ノ段と同じだったと思うが、殺気立った位取りの中に大鼓が気迫も鋭く、かつ面白くカシラを打ち重ね、いやが上にも凄愴の気を
漲らせ、近来の聴きものである。「軍陣一声」と称するのだろうか、いずれ葛野流の秘事であろう。
長上下の龜井忠雄が、黒紋付ではなく青灰色の色紋付を着て出たのは、このための心用意だったかもしれない。特別の秘事を勤める大鼓方として、いかにも慎んだ晴れがましさがあって、良い姿だった。
これに応える新九郎の厚みある音色、ことに素働でのナガシが印象的。ただし、もっと手強く打ち込んで良いだろう。

2011年3月26日 | 能・狂言批評 | 記事URL

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