批評

2011/4/24 喜多流職分会自主公演能

2011年4月24日(日) 正午 十四世喜多六平太記念能楽堂
◆能〈東岸居士〉 シテ:友枝昭世/ワキ:寶生閑/アイ:三宅近成
/笛:一噌幸弘/小鼓:曾和正博/大鼓:龜井廣忠/地頭:粟谷能夫

整い尽くしたシテの出来ばえ。同時に、無味を極めた一番である。

水衣と大口はどちらも薄黄色で、品の良い白地縫箔の着付ともども、抜けるように晴れ渡ったこの日の爽天に通う軽やかな美しさ。
動きに何の無理もなく、五段中ノ舞、クセ、羯鼓と流暢に舞い進め、1時間が瞬く間だった。

が、喝食の面にふさわしいこの若々しい舞姿は、いったい何を語ったものか?

〈東岸居士〉は、喜多流では若手の稽古代わりに時々出されるものの、他流では滅多に見ない。
理由は、地謡にとってクセが極めて難物なことと、シテにとって舞尽くしのほかは能として取り付くシマがないことにあろう。
写真に残る2世梅若實晩年の名演が今も喧伝されるのは、こうした問題のすべてを老匠の藝力と人生の蓄積とで解決した、ある種の離れ業によるものだろう。

私にとって〈東岸居士〉といえば、1997年に亡くなった奥善助の仕舞である。「萬法みな一如なる實相の門に入らうよ」と両手で円相(禅では悟りの本体や道人の境涯を示す無碍の表現)を描く象徴的なトメがこのキリの仕舞のすべて、としても良い。

これはもう、何の表現でもなかった。
いや、最後に何もない境地に突き抜けたからこそ、そこにはじめて「意味」が生じたのだ。
その「意味」とは何か。
その能役者がなぜその作品を演じなければならないか、という必然性。ひいては、役者としての存在証明ではなかろうか。
この時の善助の仕舞には、確かな手触り、能役者として生きてきた積もり積もった厚み、まぎれもなく奥善助その人でありそれ以外の何人でもないもの、そうしたものが濃密に現前し、目前に堂々とせり上がっていた。
近いためし、去る4月6日に片山幽雪の見せた〈高野物狂〉が、まさにそうだったように。

美しいハコビ。潔い背筋。彫琢を尽くした動き。この日これらの点に友枝昭世の美質は確かに感得できる。でもそれは、友枝昭世ひとりに限らぬ、可能性として他の誰にでも望み得る、互換性のある巧さだ。
これがなぜ、〈東岸居士〉という能でなければならないのだろうか?
なぜこれが、友枝昭世でなければならないのだろうか?

能を舞うこと、演ずることとは、いったい何なのだろうか?

小鼓が中ノ舞四段目のはじめに面白い替手を打って、遊狂の能らしい興を添えた。地謡の響きは暗く、荒い。

2011年4月26日 | 能・狂言批評 | 記事URL

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