批評

2011/4/8 銕仙会定期公演

平成23年4月8日(金)午後6時 宝生能楽堂
◆能〈熊野 村雨留〉 シテ:観世銕之丞/ツレ:谷本健吾/ワキ:寶生閑/ワキツレ:則久英志
/笛:一噌庸二/小鼓:林吉兵衞/大鼓:龜井忠雄/地頭:浅井文義
◆狂言〈歌爭〉 シテ:野村万作/アド:高野和憲
◆能〈鞍馬天狗〉 シテ:長山桂三/子方(牛若丸):田代祐樹
/花見稚児:長山凜三・大倉伶士郎・大倉三奈・馬野桃・谷本悠太朗・泉房之介・北浪瑛次郎・北浪あぐり・馬野訓聡/ワキ:野口敦弘/ワキツレ:野口能弘・野口琢弘/アイ(能力):竹山悠樹・(木葉天狗):岡聡史
/笛:栗林祐輔/小鼓:田邊恭資/大鼓:安福光雄/太鼓:助川治/地頭:山本順之

能2番、狂言1番、いずれも春爛漫の曲を揃えた。不穏の世相をひととき忘れさせる好番組。前月の定期公演はあたかも大地震当日。そののち代替日は設けず、公演中止となっている。

この夜の〈熊野〉。叮嚀な舞台づくりで堪能させた。

あえて「銕之丞の不思議」と言いたいのは、身長はさほど高くはないがまずは肥満体に属し(=結果的に雰囲気を欠く体型であり)、中音域の響きが虚ろで息継ぎが不安定な謡に多くの欠点を抱えているこの人が、ふつうならば柄に合わないはずの演目に時として快演を見せることである。この数年、銕仙会で意図的に採り上げてきた大曲のうち、〈西行櫻〉しかり、〈野宮〉しかり。
この日も中ノ舞アトの地謡「降るは涙か。降るは涙か櫻花」の初句をシテ謡と勘違いして銕之丞が謡い継ぎ、驚いた地謡が謡い止めかけた椿事があった。以前、〈檜垣〉の序ノ舞を扇を開いたまま舞い出した銕之丞という人は、考えてみれば、他の人には考えられない勘違いを多く犯す能役者である。
役者の内心を忖度する趣味はあまりないけれども、私はこうした銕之丞の心理状態にちょっと興味を抱く。
常識では考えられない、「些細であるだけに大きい勘違い」を犯す銕之丞と、予想もしないすばらしい能を見せる銕之丞と。この両者は、表裏一体であるに相違ない。
余人とは違う並外れた繊細さ。ひとたび舞台に没頭すると身も心も置き去りにして突き進むパトス(熱情)。
このふたつが、舞台上の銕之丞のテンションの保ち方に、尋常ではない何ものかを与えているようだ。

こう考えてくると、銕之丞が一種の天才肌、悪く言えばその場の空気に流されやすい「一発屋」のように思われるかもしれない。
私は、そのどちらでもないと思う。
銕之丞とは、基本的に行き届いて誠実な能を演ずる役者である。
現在、ある意味で銕之丞ほど叮嚀な舞台づくりを心掛けている能役者は、他にそうはいない。

この日の〈熊野〉でも、そうした叮嚀さが随所に顕著である。
謡としては頂けない文ノ段でも、次第に内容に没入する役柄の心がよく伝わる。読み終えて地謡「そもこの歌と申すは」で文頭をジッと見込むまなざし。ふつうならば文ノ段に留意しても、それが済んだあとの演技は疎かになりがちだ。
銕之丞はそうではない。こうしたところに気を抜かず、姿態に内容がある。
後段、舞台正中に下居、地謡サシ「鐘は寒雲を隔てゝ聲の至ること遲し」で深くクモルと、そのままクセ「諸行無常の聲やらん」まで姿を保って、おのずと鐘声に聴き入る姿となる。その間のイキの持続。
こうした、型ではない部分、素の部分に、心入れがある。それがこの人の能の厚みとなっている。

繰り返すが、銕之丞の謡は頂けない。謡に重点のある〈熊野〉で、普通ならばこれは重大な欠陥となるはずだ。
にも関わらず、この夜の〈熊野〉は優秀だった。

銕之丞の舞台に漂う、見る者とともに能を作り上げてゆくような感覚。ただしこれは、見所との安直なお仲間意識ではない。そうした「仲良しクラブ」を、先代銕之亟は最も嫌った。
そうではない、観客とともに能を考え、能に生きようとする真摯な姿勢を、私はこの〈熊野〉に色濃く感じ取る。

龜井忠雄の大鼓。
短冊ノ段でシテが扇を筆にして要元を床に墨付けの型、そのあといよいよ短冊に筆を運ばんとする時、ハタと打ち込んだ軽いカシラの絶妙さといったら、ない。能における囃子ならではの表現性を聴き取ろうとする時、まさにお手本の美事さである。

〈歌爭〉の万作は、藝に不足とてないものの、この狂言としては些か枯れ過ぎて起伏に欠ける。これは、単調を極めた高野和憲とのバランスの悪さも一因。少々鼻声だが口跡は良い高野には、一層の奮起を望む以外ない。

若手にとっての〈鞍馬天狗〉はあくまで習作。それだけに、将来へ向けた素材としての声や身体に目が行く。
長山桂三の美質は声。甲が利いて声量もあるだけに、今後の謡の錬成が待たれる。型も綺麗は綺麗だが、それに留まりがちなのは禁物。こうした能では、中入前「さらばと言ひて客僧は」と居立って子方を見上げる力感に、破れかぶれでも良い「何か」が見たい。

2011年4月26日 | 能・狂言批評 | 記事URL

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