批評

2011/7/11 新橋演舞場 7月大歌舞伎 夜の部

平成23年7月11日(月)午後4時半開演 新橋演舞場
1・〈吉例壽曾我〉鶴ヶ岡石段の場/大磯曲輪外の場 ★★☆☆☆
2・新歌舞伎十八番の内〈春興鏡獅子〉 ★☆☆☆☆
3・大佛次郎作〈江戸の夕映〉 ★★★★☆

海老藏の復帰作として精選されたはずの演目〈鏡獅子〉だが、端的に指摘すると、「二の腕の裏が身八ツ口からこんなに覗く前シテは論外」である。

九代目團十郎以来の歌舞伎座上演履歴を調べれば分かるとおり、過去においてこの出し物は、限られた者だけに許される別格の舞踊曲だった。〈娘道成寺〉にもこうしたことが言えるが、〈鏡獅子〉はそれが顕著である。当節、色々な意味でどう見ても無理な上演もあるとはいえ、〈鏡獅子〉が本質的に難曲であることに変わりはない。

その難曲たるゆえんは、後シテではなく、前シテにある。

扇子や帛紗を使いながらも、大半は身体の線のみを最大限に活かしきらなければ、この難曲の振リの全体像は浮かび上がらない。いわば、「身を責め抜かなければ本当には踊りこなせない」前シテであり、だからといって「身を責めている」とばかり観客に思わせたら、元も子もない。何の苦もなく踊り楽しんでいるように見える、露の垂れるような芳醇さ、豊かさが、この役の魅力である。

海老藏の前シテは腰や背の線が硬い。
膝と腰で上体を支える中ダメの振リなど、いかにも逃げ腰である。
使い帛紗を左に付けるのは千家流だが、その捌き方はかなりぞんざいだ。
これらは、本格の舞踊の修業を徹底して積んだ人ではなければ望みがたいことだから、海老藏に多くを求めるのは酷かもしれない。九代目自ら振り付けた市川宗家占有物だけあって、他門の名手に教えを乞いにくい事情もあろう。

冒頭に述べた「二の腕の裏が身八ツ口からこんなに覗く前シテ」とは、余計なアラ探しではない。この曲を踊りこなすのに必須の技の有無が露呈した、ということである。

肩幅があるためだろう、胸元を楽に着付けたのかもしれない。それもあってか、身八ツ口がビラビラ開いて見えてしまう。
これはひとえに、脇が締まっていないためである。同時に、肩を落として後方に引く女形のカマエに徹していないためである。
このカマエはツライ。女形舞踊の本当の稽古を積みきっていないと身が持たず、つい肩が前に出て、脇が開き、楽をしたくなる。
「二の腕の裏が身八ツ口からこんなに覗く」原因は、ここにある。

上半身が楽をすると、下半身にもシマリがなくなる。こうなると、強靱な線の徹った身体の造形は成り立たない。
したがって、海老藏の前シテに舞踊的な価値評価は不可能である。
ただその無謀とも見える意志性を買うのみ、ということになる。

後シテは場内を沸かし、たまたま隣席にいたご婦人は、「こんな〈鏡獅子〉、はじめて見た!!」と目の色が変わっていた。
私は感心しない。

カシラを振るのは確かに大変だが、これは振り回す回数を誇るものではない。
大切なのは腰である。
一畳台の上に両足が貼り付き、腰が一点でピタリと定まって、その力に支えられて上体を豊かに使い、毛先まで大きく靡かす。これが本当だ。

海老藏の後シテは、足首から上をすべて無茶苦茶に動揺させ、身体ごとカシラに振り回されている。盤石たるべき足腰の安定は、つゆほどもない。
たしかに、激しい運動性である。
が、これは、酒やドラッグに酔った男がクラブのフロアで体力の限界に任せて踊りまくり暴れまくる感覚、だろう。
狂気の如く全身でガムシャラに動くことは、確かに大変なことである。
しかし、「一畳台の上に両足が貼り付き、腰が一点でピタリと定まって、その力に支えられたままま、正しいフォームを崩さずに強く大きくカシラを振ること」のほうが、ガムシャラに動くよりも何層倍も辛く、キツク、大変なことだ。
前者はノリと体力があれば可能だが、徹底した身体の鍛錬に支えられる後者は決してそうはゆかないからである。
前者は荒々しく激しいが、舞踊として美しくない。
後者は美しく、そして、凄みがある。

総括すれば、海老藏の〈鏡獅子〉は、卑小な自我が抑圧される厳しい修錬を経て内部変化した〈鏡獅子〉ではない。自己解放の〈鏡獅子〉であリ、同時に、きわめて自閉的な〈鏡獅子〉である。
こうした〈鏡獅子〉が熱狂的に受け入れられるということは、われわれ観客にとって、もはやこの演目が個人的な自己解放の具となり、舞台に対して一方的な思い入れを注ぐだけの自閉的な感動装置になってしまっている、ということの証左なのではあるまいか。

海老藏が真価を発揮したのは、最後の〈江戸の夕映〉だった。
これは実に傑作である。

成功の原因は、ひとえに、役柄がニンに合っていた点にある。
一種の佐幕原理主義者であり、すべてを捨てて五稜郭に奔る本田小六は、ひとつの価値観のもとに猪突する点においては、その内部に純粋な一点を確信させる海老藏自身の分身のようなものだ。
落魄し、人知れず江戸に帰ってきた自暴自棄の姿。
堂前大吉の説得に耳も貸さない小六の心の底に、わずかに消え残る人間愛。
お登勢の突然の出現によって、無言の内にその心が融け行くさまを、刮目したまま見せる末尾の張り詰めた表情。
これこそ海老藏の芝居であり、海老藏の役である。

映画にも撮られたこの作品は、1953年3月の歌舞伎座初演時は、映画どおりの後の十一代目團十郎の小六に、二代目松緑の大吉だった。両者の間には、長兄と末弟という世俗の人間関係のアヤもその裏に含まれただろう。性格も生きる道も違う男同士の、まったく異なる人生観を背景に、それでも通じ合う「こころ」というものを描いて胸を搏ったこと、容易に想像できる。

海老藏の小六には、とうぜん祖父とは別の感覚が漂う。
祖父の小六には、「瓦解後」の設定に「敗戦後」の感覚が漂ったであろうのと同様、海老藏の小六は9.11後であり、オウム後であり、近くは3.11後であり福島原発後、ということをわれわれに想起させる。
自閉的で独善的な海老藏の演技はそのままだが、役が、ニンが、周囲の状況を引き寄せた態である。ここには、自閉的にならざるを得なかった若者が、周囲の人間関係によってその淵から脱却する新生の魂のドラマがある。

古い戯曲だが、海老藏が演ずることによって現代性を獲得した。
これは海老藏の力なくしては望まれなかったことだ。

それだけに、最後の「目の芝居」が肝要。
周囲に他者の影のない海老藏が、許嫁・お登勢への同情と共感を、ほんとうに表現できたか、否か。
芝居はここで幕になり、「目の芝居」の結末は示されない。
海老藏にはむしろ、「その後の小六」が問われるだろう。
海老藏という男には、それだけの「愛」を生じさせる女形が是非とも必要だ、ということだ。

團十郎の大吉には明朗な中に、言いたいことを言わずに済ませてしまう無精さと大きな諦観がある。小六を説き伏せる終幕の蕎麦屋での議論は、大吉のほうに「論理」が不足しているが、それを補って余りある情愛の大きさが團十郎にはある。藝者のヒモになっていても鷹揚で恬淡としてるのも、いかにもこの人らしい。快演である。

福助のおりきは、船宿の場では力み過ぎて鬼婆のようになるところがあるものの、お登勢と小六への情が素直に出て、最後は見直した。

壱太郎のお登勢は抜擢。
清純な趣が良い半面、黒目が小さく目つきに情がない女形だから、小六の心を大きく動かす軸になる役としてはいかにも弱い。特に最後、正面を向いて目で芝居をする海老藏に対して、ほとんど背中だけを客席に見せつつ万感を示す役である。いまの壱太郎には荷が勝ち過ぎた。菊之助か七之助の役だろう。

お登勢の父・松平掃部は、先代以来の持ち役で左團次。こうした静かな役でもおかしくないようになったものだ。もっとも、テレビドラマの時代劇の感覚である。妻おむらの家橘は老乳母のようで、ちょっと無理。
蕎麦屋に出るおきんの萬次郎は、腹蔵なくベラベラしゃべって嫌味のない中に特異な色気もあり、ただの妾と違って相応の神経を使うに相違ない寺方の囲われ者らしい独自の性質が良く出ている。
この場の亭主・橘太郎、女房・芝喜松も実によく嵌まっている。もっとも、実年齢で11歳も年上だけあって、だいぶん姉さん女房には見える。

序幕は珍しい〈曾我の石段〉。
石段で八幡の猿彌と近江の右近が対話を交わす。そのセリフとコナシがキチンと型になっている点、猿之助劇団の研修方法の的確なことに今さら感心したが、ある程度以上の時間、見聞きしていると、双方ともまことに単調に思えてくる。
彼らに今後問われる問題ではないだろうか。

がんどう返しで大磯曲輪外の場。
梅玉の工藤が、松江の五郎、笑也の十郎、男女藏の朝比奈、笑三郎の虎、春猿の少将、弘太郎の四郎らを従えてセリ上がる。
さすがに梅玉一人が目立つが、借りもの競争に出されたような工藤ではある。
部屋子の梅丸が喜瀬川で、本興行では初めて傾城姿を見せている。

曾我兄弟の討入は旧暦五月下旬だから、時期としては今頃である。半面、紅白梅の社頭石段の大道具は、現代人に時外れと思わせるばかりかかもしれない。

2011年7月25日 | 歌舞伎批評 | 記事URL

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