批評

2011/7/17 大阪松竹座 7月大歌舞伎 夜の部

1・〈車引〉 ★☆☆☆☆
2・通し狂言〈伊勢音頭戀寝刃〉相の山から油屋奥庭まで ★★★☆☆

〈車引〉は、杉王丸の巳之助を除き、我當の時平を上置きに松嶋屋一族の出し物。
孝太郎の櫻丸と愛之助の梅王はまだしも、進之介の松王丸は動きも声も制禦が効かず、気の毒なほど。
進之介、今年44歳である。

関西風の〈車引〉をどう見て良いものか、基準の名演を知らない私には正直、分からない。

たとえば、〈十種香〉の古写真を手に取ると、三代目雀右衞門の八重垣姫と二代目延若の勝頼が、ぼってりと噎せ返る色気を発散して寄り添っている。五代目歌右衞門と十五代目羽左衞門の東京風とは明らかに異なる。衣裳も光沢の強い繻子地だった。
モノは異なれど、〈車引〉とて義太夫狂言である。荒事の骨法正しさばかりを関西の役者に求めるのは筋違いだろう。構造的な身体性よりも、情緒的な味付けの濃厚さで見せてしまうのが、古来の関西風〈車引〉か。
ムラビンスキーの〈悲愴〉ではなく、メンゲルベルクの〈悲愴〉、と言えば、クラッシック音楽ファンにはピンと来るかもしれない。

ただ、そうした濃厚さは存外、藝術的に脆いものではある。

〈伊勢音頭〉は〈相の山・宿屋・追駆け・地蔵前・二見ヶ浦〉、休憩を挟み〈油屋・奥庭〉。

仁左衞門の貢は彼優の諸役の中でも五指に入るものだから、実に安心して見ていられる。ちょっと年を取ったせいか、油屋での怒りの噴出力が弱く、刀に魅入られて斬り殺してゆく妖しさには欠けるようだ。もっとも、後者は意識的にこれを際立たせなかったのかもしれないが、やはりここで喪心のさまをハッキリ出しておかないと、結末が安易に見える。
現在の〈伊勢音頭〉は暢気な芝居だが、ムツカシイこと言わんといてとばかりめでたく切り上げる現行演出の結末に、仁左衞門の明るさがよく合っている。

〈宿屋〉は、亡き大松嶋が〈沼津〉の平作を勤めた1987年7月の中座で、やはり十三代目の演じた藤浪左膳が忘れられない。こうした脇役を勤めて実に巧かったし、その人になりきり芝居を大きくしていたものだ。我當は悪い膝をかばって無事に勤めた、というところ。

時藏のお紺は、その中座以来の役。四半世紀経ってもさほど老け込んでいないのは驚異的だが、やはり冷たい。
比較しても仕方がないが、歌右衞門と雀右衞門のお紺に引き比べると、貢に対する芝居の身の丈が高いのだ。
縁切りは〈籠釣瓶〉でも何でもそうだが、男から顔を背け、わが身に問い掛ける心で切々とセリフを紡ぐ中に、遊女の生(セイ)のあはれが溢れなければ、こうした地力の弱い芝居は見ていられない。
時藏、見伊達はすこぶる良いのだが、芝居が虚ろである。

老人と死人ばかり引き合いに出し、申し訳ない。
雀右衞門のお紺は、単純なひとつの感情をどこまでも掘り下げ、煮詰めていったお紺で、間口は狭かったものの、深かった。
歌右衞門のお紺は、正面の暖簾口から風のように現われ、貢の背を膝で軽くツイと突き、「貢さん、キツウ」とたっぷり時代に言い、銀団扇でフワリ軽く打つや、キッパリ息を変え「派手なことの」と実に軽く世話に砕けて言い捨てざま、艶然たる笑みを尻目に、舞台の上手にスルスルと行ってしまう。その中に、女郎としての職業性、顔色の上での愛嬌、胸中に蟠る不審と悲哀、それを隠そうとする冷たさ、そのすべてを見せてしまったものだ。
出て、坐るまで、わずか1分かそこらの間に、やりようによってはこれだけの仕事ができるのである。
歌右衞門のお紺は、かたちこそ真似やすいが、ハラが出来ていないとただの形態模写に終わる。
雀右衞門のお紺は、真似る張り合いがないように見えて、最も大切な心身の花芯に触れるものだから、女形であれば誰しもこれに向き合わない訳にはゆかない。
後継・梅枝をお岸に従えてお紺を勤める時藏は幸せである。すでに自ら身をもってお紺の手本を見せねばならぬ年輩であろう。    

萬次郎と萬野の二役は秀太郎。
前者の、ちょっと頭の弱そうな、それでいて育ちの良い明るさが見つけものの秀演。
心配した萬野はまずまずというところ。手強いところが足りないのは、立役か女形ということではなく、この人のパワーの低下によるものだろう。
目張りも特にキツくはなく、最期もすぐ斬り殺されその場に斃れるばかりで(歌右衞門は行燈に掴まり伸び上がって大見得のあと、お岩さまの形相で上手暖簾口内に倒れ込んだ)、あくまで脇役の心。
貢を木戸口に追いやる件で、歌右衞門は玉手御前よろしく大きくキマったが、多賀之丞はすぐ後ろを向いて貢の芝居を引き立たせたという。秀太郎は初め正面を向いて軽くキマリ、あとで後ろを向いて貢に任せたかたちである。
総体、最近の秀太郎で気になる、「え?」とか「あ!」とか余計な声を出して素に戻ってしまう癖が目立たず、暑中に関わらず気の置けない座組ということもあってか、伸び伸びと演じていたのはめでたい。
衣裳は濃い紫紺だが、透けない。時候柄、うんと透ける透綾や明石縮でもよかった。

喜助は三津五郎。江戸から料理修業に来た感じで御馳走だが、少々勿体ない。いっそ、1962年以来出ていない〈太々講〉を出し正直正太夫をさせたら良かった。貢の叔母おみねは竹三郎か吉彌ができるだろう。

お鹿は彌十郎。商業演劇の味だが、明るく、お人がらというところ。

ちなみに、私にとってのお鹿は、なんといっても故人宗十郎である。
貢に貢いだ金の受取を収めた手箱を持ってきて、出てきた紙人形をちょっと抱いて「これはわたしの大切なお人形さんぢやわいな」と可愛がるところ。
一瞬、清流に臨むような純情が迸った。
紀伊国屋特有の愛嬌沢山、芝居沢山の中に光った、女の媚態であり、はかなさである。

奴林平の愛之助は本役の強み。生き生きと輝く愛之助の芝居を見ていると、林平から貢に成長する役の過程というものが見えてくる。
地藏前で松之助の大藏、當十郎の丈四郎(両人好演)を両童子に従えた不動尊の見得に、大真面目でキチンとした芝居味がある。

ほかに、本物の北六に亀藏、同じく岩次に秀調。
両人とも悪の味はない、普通の人、である。

2011年7月31日 | 歌舞伎批評 | 記事URL

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