批評

2011/7/16 大阪松竹座 7月大歌舞伎 昼の部

1・〈播州皿屋敷〉鐡山館の場 ★★☆☆☆
3・川口松太郎作〈江戸唄情節〉序幕芝居茶屋伏見屋より大詰村山座の舞台まで ★★☆☆☆

幕間に急な所用出来し、中幕の三津五郎〈素襖落〉は残念ながら見られなかった。

〈皿屋敷〉は綺堂〈番町〉の原作である、竹本入りの末期的御家狂言。
当然、大芝居の出し物とは風が違う。
2002年8月の歌舞伎座で橋之助の鐡山、扇雀のお菊で出たが、今回同様さしたる感動はなかった。
残酷な責め場を眼目とする狂言だから、朝幕早々後味が悪いものの、致し方ない。

愛之助の演ずる敵役・淺山鐡山は、〈志度寺〉源太左衞門や〈 躄仇討〉瀧口上野を勤める役者の役。もっとも、それらよりよほど調子の低い役である。
従って、思い切って強悪に徹し、ゑげつない色慾と嗜虐の権化とならなくては意味がない。
「良いお兄さん」がニンの愛之助。精々手強く演じてはいても、その善人性は蔽いがたい。

善人ということならば、岩淵忠太の龜藏もしかり。
これは〈琴責〉の岩永、〈宿屋〉の岩代レベルではなく(役名には通底するイメージがある)、主人・鐡山の意を体してお菊を井戸に吊るし上げ、水攻め嬲り斬りの苦患を与える、無情非道の役どころである。
現在の微温的演出ですらちょっと目を背けたくなる部分があるが、出す側にも見る側にも反省のない昔ならば、美しい若女形を本水したたか濡鼠にしたうえ、水蘇芳ふんだん流血淋漓の修羅場を見せたことだろう。
岩淵とはそんな責場を仕切る役である。実に嫌らしい、憎体で卑屈な、唾棄すべき悪役。だからこそ、幽霊となったお菊に井戸に引き摺り込まれる非業の最期が効く。
龜藏は芝居沢山に演じているのだが、愛之助同様、どう見ても一般人であり、善人の感触である。

このように底の浅い駄作を活かすには、鐡山も岩淵も、徹底的に観客の反感を買う悪役となりおおせなければならない。
たとえば、これは世話物だが、おぞましい愚作〈八百屋献立・新靱〉。
決して歓迎はしないものの、現在もし歌舞伎でこれを出すのであれば(曲への興味で文楽ではたまに出る)、後家おくまは徹頭徹尾、共感を呼ばない、卑猥下劣な人間として演じ尽くさなければ意味がない。〈新靱〉とは、そうした異常性格の老婆を渦中に抱くドラマであり、その周縁にあって初めて浮かび上がる、千代と半兵衞の息苦しい純愛が眼目だからだ。おくまに善人性が泛ぶが最後、その「純愛」はツクリモノに堕してしまう。
ある種の歌舞伎芝居とは、そうしたものなのである。
そして、そうした下劣貧賤の芝居もまた、歌舞伎の劇世界を富ませる糧となる。これは逆説である。

三代目雀右衞門が悪い娘の役で花道を引っ込んだ時、二階からから弁当殻が投げ付けられたという(戸板康二『折口信夫座談』)。役に扮して買った反感ならば、これは役者の勲章である。
生温かい共感と同情の渦巻く現代の劇場で、そこまで観客の反感を受けて立つ腕と覚悟のある歌舞伎役者が、果たしているだろうか。

吊るされて殺される孝太郎の腰元お菊は、幕切れには宙吊りの幽霊になって、鐡山を連理引きで引き戻す大儀な役。
孝太郎は「見た目も声も美しくないのが、この哀れな役らしく得」とは皮肉なことで、その点、死んでから凄まじいところを示す腕はある。
半面、竹本の絃にツク動きが拙く、この芝居らしい味がない。
全曲中で、いわゆるポテチンが2度ある。こうしたところは、チンチンチンチンと絃につれてイキを溜め、グッと一息強く詰めて、ハッと一気にオコツキ、改めて大きくキマル。そのメリハリが肝要である。
こうした芝居はいわば「臭い」典型だが、ボテチン芝居はとことん臭くできる腕がなければ面白くない。
歌右衞門にしろ先代勘三郎にしろ孝太郎の祖父・大松嶋にしろ、この大臭(おおくさ)の、大ポテチンの大芝居が大得意だったものだ。
ポテチンの箇所だけでなく、総じて上方狂言は、ひいては丸本歌舞伎は、こうした絃にノル身体、オコつく身体がなくては面白みを欠く。
現在の歌舞伎界に最も欠けているのは、こうした身体の喪失ではあるまいか。

〈江戸唄情節〉は「えどのうたなさけのひとふし」と読ませる。もとは十五代目羽左衞門が1939年7月に歌舞伎座で初演した〈三味線やくざ〉。
川口作品としては1936年に出版されており、新興キネマで映画化。主題歌は東海林太郎が歌いヒットしていた。
いわば、映画と流行歌の後追いで出来た芝居である。この事情からも分かるように、調子の低い、きわめて通俗的な商業演劇である。

仁左衛門の杵屋彌市は渡世人上がりの長唄三味線の名人という設定。序幕第一場・芝居茶屋伏見屋の場では、病中の師匠に代わり仲間(松之助・三津之助・仁三郎の好演)にダメを出し、その性格の屈折を見せる。癇癖の強そうなのは仁左衞門のニンだが、やくざ者の凄みはない。これは当代が好んで演ずる〈荒川の佐吉〉にも言えることだ。根源的な暗さ、屈折は、仁左衞門の体質にはないものだ。
その代わり、マイホーム的な日常の人情芝居には長けた仁左衞門である。情のない時藏の女房を相手にしても、二幕目・小田原侘住居の情愛は出し得ている。半面、社会の最底辺に落とされた呻きは聞こえない。
仁左衞門の芝居には、何となく、ハッピーエンドの予感があるのだ。

大詰・村山座舞台では、それまで一度も聞かせず取ってあった三味線の腕を、存分に披露する。間狂言〈宗論〉の末尾から、途中省略はするものの、大薩摩以下の〈連獅子〉後半をタテとして弾くのだから、これは驚天動地の大仕事である。
客席は大喜び。
野暮は言いたくないけれども、あえて言うならば、やはり名人の撥捌きなくしては成り立たないこの芝居。杵屋伊十藏のタテ唄に伍して山台に並び、タテ三味線を勤めた仁左衞門。現代の歌舞伎役者一般の中では糸道が開いて達者とはいえ、さすがに弾き落とすところは多く、やはり腕よりも心意気を大いに買いたいところである。

藝者米吉のちに女房お米は時蔵。左褄取る姿の壮麗さに比べ、心の厚みが不足するのはいつものことで、侘住居の逼塞に死の影が迫る恐ろしさが足りない。〈刺青奇偶〉の玉三郎にはそれがあることを思う。
女形という生きものは、必要とあらばマイナスの力と死の影を背負うことができなければ、大成はおぼつかないのではないか。
大詰、戸板に載せられ、大芝居の舞台の上に運ばれて絶命。20年前に映画化された内田康夫『天河伝説殺人事件』は、能〈道成寺〉の鐘入で人が死に、関係者が舞台に乱入する噴飯の演出で嗤われたが、ちょっとそれと似たものがある。
ほか、彌市に米吉を奪われるが最後に許す侠客・小揚げの七兵衛に彌十郎。伏見屋女将おふさに秀太郎。

彌市の腕を買い、蔭に日向に引き立てる坂東彦三郎は三津五郎。今月、立場と腕に相応せず、仁左衞門の引き立て役で損な扱いだったのは気の毒。いっそ昼の部に〈六歌仙〉の通しでも見せてもらいたいところだった。
それかあらぬか、劇中の〈連獅子〉白獅子に精彩がない。赤獅子を勤めた市村家橘役の愛之助のほうが、むしろ気が入っていると見える。

新橋演舞場の〈鏡獅子〉評でも触れたが、後場の毛振りで腰がグラつかない役者が、当今いかに少ないことか。
実は、この劇中〈連獅子〉で、愛之助の腰がかなり安定、ピタリ定まって、踊りが端正だったのに驚いた。
ちょっと目に器用に見えても、ほんらい愛之助は舞踊が巧みな役者ではない。だからこそ、稽古を積んだのではあるまいか。基本に忠実に、という正直な心構えが、この下半身の安定を生んだものと推察する。
踊れる人だけに「お付き合い」程度に踊り流して済ませた三津五郎には、その腰の安定がなかった。

村山座で坂彦の〈連獅子〉といえば、原作者・黙阿弥の改訂、3代目杵屋正治郎の改曲による明治5年(1872)7月、二代目澤村訥升を相手に踊った「瀬戸連」。これが興行演目としての〈連獅子〉初演である。
今回の脚本は奈河彰輔の補綴版で、前回(1995年5月・南座)を踏襲。「瀬戸連」云々などと考証的なことをとやかく言っても始まらないが、もしその時代相が反映されるならば、江戸から明治への世相人情の変遷を濃厚に映した別種の脚本改訂が可能なのではないか。
歌舞伎舞台の幕内で女を死なせる悪趣味は除き、散切物の特殊な雰囲気の中で、社会階級のはざまを生きる特殊な男の孤愁を際立たせる新改訂版を作れば、この作品の内実はグッと深くなるのではないだろうか。
役者にとって労多い割に、現状は使い捨て大衆劇レベル。初演は十五代目と河合武雄、戦後も新派で上演されたにもせよ、仁左衞門歌舞伎以来の関西演目となった現在、このままで箱根の関は越させたくない、というのが正直なところ。

2011年7月31日 | 歌舞伎批評 | 記事URL

このページの先頭へ

©Murakami Tatau All Rights Reserved.