批評

2011/4/15 新橋演舞場 4月大歌舞伎 昼の部

1・川口松太郎作〈お江戸みやげ〉 ★★☆☆☆
2・〈一條大蔵譚〉檜垣・奥殿 ★★☆☆☆
3・玩辞樓十二曲の内〈封印切〉 ★★★★☆

予想外の山城屋の好演。
これほどの忠兵衞。この後ちょっと見られないだろう。

純上方の世話狂言というものは、主演するに足る人材が極めて少ない。
上演履歴から言えば、〈河庄〉〈炬燵〉〈封印切〉がその三絶(いずれも「玩辞樓十二曲の内」に数える)。この三絶すら近い将来、幻の演目となりかけていることにお気づきだろうか?

この3つは、近松門左衞門の原作どおりではない、優秀な改作版のかたちで命脈を保ってきた。つまり、あくまで原作を素材として、その上に歴代の役者たちの演技・演出が重層的に苔むした、ほとんど民俗的な演目として生き残ってきた、ということだ。

このうち、まだしも複数の演技様式が伝わるものは〈封印切〉である。すなわち、河内屋の正統が絶えた現在、①初代吉右衞門→先代勘三郎→当代勘三郎→勘太郎の伝承。および、②当代仁左衞門と、③三代目鴈治郎=坂田藤十郎。
頻度からすれば藤十郎が群を抜いて多く、レベルも比較にならない。勘三郎や仁左衞門をもって〈封印切〉の代表演者と見なす人は、おそらくあるまい。
他の二演目に至っては、完全に山城屋の専売である。

過去には、永井荷風が推奨した五代目菊五郎の〈河庄〉という例もあるにはあった。これなどは「江戸伝来の上方世話物」という特異な位置を占めていたと思うが、今となっては想像もつかない。1985年11月の歌舞伎座で、十三代目仁左衞門が歌右衞門のおさんを相手に数十年ぶりの、飛び立つような〈炬燵〉の治兵衞を見せたものの、これが当代仁左衞門に継承され、その手中にあるとは思われない。

つまり、「三絶」すべてを完全に演じこなせるのは今や藤十郎ただ一人、ということになる。しかも山城屋にとってこれらの演目は、初代實川延若+末廣屋の宗十郎→初代鴈治郎→二代目鴈治郎→当代と、累代継承されてきたものだ。
この系譜はまさに、「上方歌舞伎の近代そのもの」である。

次代の継承者は翫雀ということになろうか。これでは何とも寒心に堪えない。
かといって、家筋・藝筋の違う愛之助にその代わりが勤まるかどうか、それは分からない。
そうすると、山城屋没後、これらの演目は一時的にせよ確実に中絶する。
時代物に比べて継承の地盤はるかに脆弱な世話物の特性を考えると、「三絶」に代表される一群の上方世話狂言が、実質そのまま退転してしまう可能性は高いだろう。

さて、今回の藤十郎。
この人には老来「唾をすする」悪い癖があって、口を横に思いきり開いて開口を明瞭にする必要からか、ことに泣きの入る場面になると息継ぎごとに「ヒシーッ」という不快な音が耳につき、どうにも挨拶に困ることが多い。女形の時はなおさらである。
今月、その癖がさほど気にならなかったのが美点の一つ。留意すれば直るのだから、熱演に自己陶酔しない「離見」が大切なのだ。

さすがに今年80歳である。二階から駆け降りる足取りもだいぶん注意深くなった。
だが、藝が老いた、枯れた、ということはほとんど感ぜられない。むしろ、無駄がなくなり、贅肉が落ち、その分、藤十郎の個性だけではない、役の、芝居の、エッセンスが目の前に提示されたような感がある。
冒頭の見世先と次の離れは役者愛嬌を売るだけの「遊び」のようなものだが、このふたつの場の運びに停滞がなく、肝腎の封印切の場がドッシリ中心に据わって見えた。「遊び」の部分で演技を澱ませず、ドラマの核心に向けた芝居の足取りを優先した証左である。
八右衛門とのやりとりも充分突っ込んでいながら、どこか快い藝の余白があって、やはり、ここでも自分自身をどこからか見ているような離見がある。やり方そのものは、練りに練ったこれまでと変わるはずもないが、飽きるほど見たこの人の忠兵衞(しかも内心「またか」と食傷気味に思っていたもの)が、初めて見るかのように面白い。

唾をすする癖が気にならなかったのは、むしろ結果である。
それだけ軽みのある、気合いの充実した芝居だった、ということだ。

八右衛門は三津五郎。これはご苦労な配役。
この役は、あまり言われないが、我當が良い。藤十郎に対しても卑屈にならず、思い入れ少なく、ただしズケズケと言ってのける大胆さが良い配合になるのだが、足を悪くした現在では望めない。
続く適役の仁左衞門でも藤十郎に充分吊り合うとは思われないところ、関西弁を精々使いこなす三津五郎、よく勤めていると言うべきだろう。もっとも、本役ではないことは確かだ。

我當の治右衛門。秀太郎のおえん。これは当代の配役。もっとも、秀太郎のセリフが聞こえにくい。ヴォリュウムを大きくしたり小さくしたり、定まらないラジオを聴くようだ。
おえんと言えば、我童である。不思議なことに、われらが我童は最晩年でも歌舞伎座の幕見席までよく声が徹った。また、セリフの角々に細かな表情をつけなかったが、雰囲気は実に濃厚だった。

梅川は扇雀。持ち役にしてゆかねばならない役だが、時として巾着切りめいた鋭い視線になるのは改められないか。文字辰の如き嫌味な役を普段から勤め過ぎる、また、ともすると他人を押し退けて立ち出る役に充てられるのが、こうした時の損になることを忘れてはならない。
梅川にせよ小春にせは、この世の悲哀を煎じ詰めたような女郎である。

近年、お辻を最大の当たり役とする芝翫に配するに、宗十郎・富十郎・田之助をおゆうに宛てたコンビで頻演された〈お江戸みやげ〉、今回は三津五郎のお辻に、翫雀のおゆうの組み合わせである。
気楽に楽しめる出し物で、それぞれのびのびと演じている。
もっとも、先代勘三郎と勘彌のために書かれたものとはいえ、歌舞伎役者でしかできない性質の芝居ではない。
また、歌舞伎役者が真面目に取り組んで達成する、というような演目ではない。
いわば、役者が余力で勤め、自他ともに楽しむ演目である。良くて当然、というところだ。

錦之助の榮紫に色気がないのは残念。これは日ごろ、枕営業をする役者である。
孝太郎のお紺は勝気なところを見せる。悪くすると、文字辰に似た気の狭い女になる点は注意。
扇雀の文字辰は精々イヤな女でやっている。もう少し枯れた人の役だろうし、先述のとおり、こうした役をしつけていると役者本人まで悪く見えるのは損。
過去には歌江が、糜爛した色気のある如何にもそれらしい役作りをして見せた、酒好きの女形・紋吉を萬次郎。怪演を見せるのに当代この人以上の人材はないが、怪優というより珍優と言いたくなることもある。
鳶頭六三郎は亀鶴。実際は腕の立つこの人、ちょっと逼塞中である。ほかに、角兵衛獅子に巳之助、茶屋の女中お長に右之助。

〈大蔵卿〉の檜垣と奥殿も、ちょっとやそっとでは面白くは見られない、飽きのきた頻演目。もっと曲舞を出せば良いのに、と思う。
菊五郎の大蔵卿、ナンセンス喜劇になりがちのこの人にしては真面目に、硬く勤めたが、先代勘三郎が幕切「暁の明星」の視線に示した、「誰にも理解されない貴人の孤独」は、当代、どの大蔵卿でも感じたことはない。
現代の〈大蔵卿〉は、深い演目、心を打つ演目として機能していないということである。

時藏の常盤御前は形ばかりで実(ジツ)がない。形ばかりといっても見栄えだけで、動きに屈曲がなく、クドキの身体が語リの身体になっていない。
坐ったきりの限られた動きの中に、人生が浮かばない、ということである。
その意味で常盤御前のクドキは、数ある義太夫狂言の女形のクドキの中で、最も難しいひとつである。

お京の菊之助、鬼次郎の團十郎が華を添え、勘解由は團蔵。鳴瀬の家橘は気のなさが目立ち、グッと落ちる。

今回に限らずこの芝居、義太夫狂言という感が薄いのは不満。
それこそ、大藏卿を藤十郎が演じたらどうなるものだろう?

2011年8月 4日 | 歌舞伎批評 | 記事URL

このページの先頭へ

©Murakami Tatau All Rights Reserved.