批評

2011/8/16 新橋演舞場 8月花形歌舞伎 第1部

1・作・演出:北條秀司/演出:大場正昭 〈花魁草〉 ★★☆☆☆
2・〈伊達娘戀緋鹿子〉櫓のお七 ★★☆☆☆

今年の夏芝居は、第2部に初演の新作を据え、第1部と第3部も新作物(〈乳房榎〉も広義の新作)中心。純然たる古典物は〈櫓のお七〉だけだが、これは如何なものか。
短い舞踊でもよい。ともかく、しっかりとした古典物を各部に1つは置かないと、若手役者のためにはなるまい。

夏から秋にかけて濃桃色や紅や白の花を次々に咲かせるオイランソウは、近時「花魁」の名を忌み洋名フロックス、別に草夾竹桃(クサキョウチクトウ)の異名がある。夾竹桃じたい享保年間の渡来植物だが、花魁草はずっと下って大正年間、アメリカからの移入と知られている。派手ではあるが雅趣を欠く花容に接するたびに、これはまだまだ和花の籍は得ていない、文化住宅の庭先が似合うハイカラな洋花だと、私は思う。

この芝居は花名「花魁草」を題名としている。
晩秋の第1幕第2場で幸太郎が苗を貰って帰宅し庭に植え、来夏に花咲くのをお蝶が楽しみにしている。
6年後の第2幕第1場で幸太郎が功なり名遂げてこの旧宅を訪れると、花魁草は花咲いているが、お蝶は姿を消している。
花名を借りただけでなく、重要な添景として用いているのだ。
が、大正時代に渡来した西洋種を、安政の大地震を背景としたこの芝居に働かせるのは、決定的な考証ミスである。

花魁草とは、作家にとっていかにも食指の動きそうな、特徴的な花の名である。この花名から直接、作劇のインスピレーションを得ることは、容易に想像できる。
が、いやしくも、北條天皇の作である。単に知らずに用いたのだろうか?
近代の渡来植物を江戸期に実在させた「考証ミス」を、ここではどう解すべきか。
初演は1981年2月歌舞伎座、梅幸のお蝶に菊五郎の幸太郎だった。当時の筋書には何か作者の言があるかも知れない。たまたま他の資料も手元にないので、このことについてはいちおう保留としておく。

いずれにせよ、「花魁草」が安政当時わが国に存在しなかった事実を知る者にとって、この芝居は根源的にリアルさを喪失している、ということになる。
そのためばかりではないけれど、それと暗合するかのように、私がこの芝居で役者たちの演技に感じた一番の欠点も、そのリアルさの欠如にあった。

地震後の猿若町から逃れてきた大部屋役者・中村幸太郎は、吉原を抜け出した安女郎・お蝶と中川の岸辺で出会う。優しい幸太郎は手拭いに川水を浸し、お蝶に飲ませてやる。これは、10歳も年上のお蝶が幸太郎に生涯の愛を誓うことになる伏線だろう。

幸太郎の獅童は、濡れたまま絞りきらない手拭い(本水は使わない)を、そのまま袷の着物の懐に入れてしまう。
「オイオイ、冷たいよ、濡れるよ」と、私は言いたくなる。

栃木の宿に落ち着き、幸太郎の知らぬ「過去」を持つお蝶の事情からあえて枕を交わさぬ夫婦となって、達磨作りの零細な日々。それが一転、たまたま訪れた太夫元に見出だされ江戸に上がり、幸太郎は淡路屋若之助と名を改め花形の人気役者となる。
6年後、日の出の勢いで栃木に下った若之助は勘平と貢を勤め、当地に戻ったはずのお蝶に見せようと切望していたにもかかわらず、実は4年前に出奔して行方知れず。幕切れ、「お蝶さん」と虚しく叫ぶ。

このひと声の響きの浅さ。
演舞場の場内にただ大声を張り挙げる、学生演劇程度の熱演で、どうする。
スター性などという浮動なものに目を晦まさない、役に同化する執心を抱く一般演劇の役者なら、このひとことに夜の眼も寝ぬ工夫を凝らすだろう。
ここは、この芝居で幸太郎が姿を見せる最後の場だ。
周囲の人に聞かせるべき叫びではない。肺腑から絞り出す、内攻し爆発する呻き。
直侍の「モウこの世では逢はねェぞ!」ではないが、「お蝶さん!」のひと声こそ幸太郎の生命、キメゼリフ中のキメゼリフである。

前者の手拭いは外形の問題である。
後者はひと声は内面の問題である。
幸太郎を演ずる獅童はそのどちらも拙く、掘り下げが欠けている。
中川の夜明けで初めて立ち上がった瞬間も、猿若町の役者には見えない。にわか作りの達磨職人となっても消えないはずの、太夫元が内々目を付けていておかしくない「キラリと光る何か」の発露がない。北條がハメ書きした初演当時の菊五郎には、当然、それがあっただろう。
奇しくも獅童は、当時の菊五郎と同年、38歳である。

要するに獅童、悲しくなるほど素人臭いのである。

昔の歌舞伎役者は立役も女形も売り物買い物。贔屓筋への枕営業は当たり前で、しかも幸太郎には芝居茶屋・菊岡の女将という大年増の贔屓がいるのだ。白粉の匂いが骨身に沁みている男で、それがお蝶と枕を交わさぬまま1年間の不思議な同居生活を送る点に、この芝居のひとつの厚みがある。

だが、獅童の幸太郎のちの若狭屋若之助には、終始、男のセックスの匂いがしない。
実生活では派手な女性関係で知られる獅童だが、実生活が芝居に出るには相応の舞台経験が必要で、獅童は個人の「地」すらまだ舞台に活かせる段階ではないのだ。
つまり、獅童の幸太郎=若之助は、演技として拙く素人臭いと同時に、まるで童貞である。

だが、毎度言うように、私はこの役者に惹かれる「何か」を感ずる。
獅童は自らの限界を知ってか、むしろそれを逆手に取っているのかもしれない。

芝居は浅く、着物も身に合わない(太夫元に挨拶に出向くため着替えた帯の二重に回した合わせ目がズレてみっともないこと夥しい)。そんな獅童が、太夫元の江戸への誘いの言葉を聞き、潸々として涙を流す。
何も本当に泣けばそれで良いという訳ではないが、普通の役者だったらお蝶との場面には心が入っても、こうした件はサラリと流すだろう。
ここで獅童は、「真実、ありがたい」という心をシッカリ示す。それまでは歌舞伎役者らしくなかった幸太郎が、実は舞台に執心を抱く若者だったことがようやく明確に演じ出される。
それは、見ている者の心に、直接響く。

そんなに深くもなく難解でもないこの芝居である。獅童にとっても、容易に理解できるものだろう。
今月、獅童がこの一作に骨身を埋める気持ちでいることは、見ている私にも伝わってくる。

だが、容易に理解できる芝居でも、容易に再現できる芝居だとは限らない。
観客が理解できる程度のことの水面下をもっと掘り下げる深さ、作者・北條秀司すら思い及ばなかった「真実」さえを抉り出すのが、役者のまことの腕である。

そのためには、ひたすら、戯曲の中の「リアルさ」を追求しなくてはならない。
その「リアルさ」は、ただ役になりきれば体現できるものではない。
歌舞伎劇の様式の枝葉末節に至るまで熟知し、当の台本を徹底して読み込み再考し、文字どおり「真に迫る」ものとしての具体的作業を伴って、己が役を創案しなければならない。

最近の役者たちの演技を詳細に見るにつけ、義太夫狂言の演技に竹本を活かす知恵が薄まっているのと同じく、新作を含む世話物ジャンル(この〈花魁草〉もしかり)の演技に徹底したリアルさの追求度が低下していることを、はなはだ危ぶむ。
「芝居とは、役者が心で演じ、お客さまの心に届けるものだ」などという美辞麗句は、濡れ手拭い一本が舞台上でキチンと処置できたあとで初めて口にできる言葉だと信ずる。

お三輪や八ツ橋のような、外的拘束に近い規範に対して格闘する時の福助と異なり、新作を演ずる福助は自己解放の爆演に陥りやすい。このお蝶もそうである。

中川端の暁闇から緋の長襦袢姿で起き上がった瞬間、この芝居が悲劇に終わることなど誰ひとり予想しないだろう。年季は勤め上げた自由な身というだけあって、大地震を奇貨として、捨て鉢ながら新たに歩んで行こうという、無定見な積極性がある。
その場その場の感情に忠実に生きたいように生き、その意味では実にアッケラカンと正直な女を描かせて、この人ほど無反省に役に嵌まる人はない。

それだけに次の栃木宿の侘び住まい。一人の男を思い詰める女に一転、心の闇を抱える素地を見せる件となると、前の場の印象とあまりに違い過ぎ、まるで別の芝居に見える。
これは福助の、「その場その場の感情に忠実に生きたいように生き」ることが生む欠点だ。

やがて訪れた太夫元が幸太郎に江戸帰参を説く間ぢゅう、舞台上手に坐ってこれを見守るお蝶は、舞台下手の幸太郎の背中に向けてさまざまな表情を見せる。
例の、福助の百面相である。

福助は口角を上げて笑い顔を作っても、目が笑わない。
父・芝翫の淀の方もしかり、この2人笑い顔は、志村けんのある表情を連想させる。
いわば、自らの芝居を批評し、茶化してしまう滑稽な面(メン)なのだ。

顔面の筋肉に異常な柔軟さを示し、百媚生ずる眸の持ち主だった歌右衞門とは異なり、福助の顔の筋肉は硬く、視線もまたキツイ。
顔だけの芝居に限界があることを、福助はもっと自覚すべきだろう。
たとえば、法廷の白糸はどうか。この場のお蝶も同じこと、後ろを向いたまま、背中だけで芝居を見せてしまう腕は、福助にもあると思う。

最後、巴波橋の橋上で、若狭屋一座の船乗り込みが賑やかに漕ぎ去った後(実際に船を出さず照明で暗示するだけなのは勿体ない。折角なのだから、獅童を最後に出して、華やかな船仕立てで花道を引っ込ませたら良い)、お蝶が姿を見せ、「若狭屋!」と声を掛ける。

この場のお蝶が今どういった境遇にあるものか、今回の演出では皆目分からない。

4年前、湯治に行ったきり行方知れず、死んだと思われている女である。幸福な「現在」があるはずもない。現に今月販売の筋書きには、頭巾を取ると病みやつれた顔を見せる、というようなことが書いてある。

が、福助は小ざっぱりとした藤色小紋を着て髪に櫛目も通り、商家の内儀か踊り師匠か、まずは襟垢のつかない尋常な暮らしを送っている女と見える。手拭いを吹き流しにはしているが、夜鷹で暮すような身なりではない。
お岩様として死んだあと隠亡堀で粋な茶屋女になり代わるのと同じく、最後は綺麗な姿で幕を切りたいのが役者の、女形の生理とはいえ、これはなかろう。
ここにもやはり、「リアルさの欠如」が明白に露呈している。

死なずに生き残ったお蝶の最後の境遇は、病みやつれた白首の酌婦、以外あるまい。
苦界から逃れた女は、また苦界に堕ちるだろう。なにしろお蝶は、母と同じく自らも痴情の縺れで人を殺した、淫蕩と嫉妬の血を自覚し、恐れ続けた女である。藤色小紋なんぞを小奇麗に身に着けて双六が上がる女ではないはずだ。
花魁どころか、達磨作りの果てが田舎の達磨女に落ちぶれ、病苦と孤独に呻吟してこそ、考証錯誤ではあれ、〈花魁草〉の外題がはじめて生きるに相違ない。

米之助は栃木の農夫で、江戸滞在中に地震に遭い、中川を小舟で漕ぎ掛かり偶々お蝶・幸太郎を乗せ栃木に伴ったのが縁となり、地内の藁家を貸して表向き「おば・おい」の仲で通す2人の力になる実直な(とはいえ根は女好きな)、演じ甲斐のある役。勘太郎にとっては〈乳房榎〉の正助と同趣の役だから今月むしろやり易いだろうし、素朴な土の味も相応に出ている。

が、本当はもっと熟した腕を持つ、お蝶・幸太郎より先輩格の役者が勤める役だろう。

問題は、お蝶が故郷の庄内で少女時代、自らを弄んだ博打打ちとその愛人を鎌で惨殺した告白を聞くところと、そのあとだ。
お蝶が2人まで手に掛けて死罪にならなかったのは、八百屋お七が拒んだという15歳以前情状酌量の御定法によるものか。親類預けになって忌み嫌われ、内々に吉原に売られたというのも、ある得るような虚構のような、ちょっと現実離れした設定ではある。

いくら少女時代のことにもせよ、「亡母の教唆の声を聞き2人の命を奪った殺人者」である。
その告白を聞き、この女とその後も変わらず付き合えるものか?
この米之助のように、お蝶を身びいきして、「可愛い女だ」と見続けられるものか?

それには米之助を、農夫ながらよほど腹の出来た、包容力豊かな苦労人として演じ出さなければならない。まだまだ、勘太郎程度の実直さでは、「気の良いお兄さん」だ。それだとこの人物が作リ物に見えるばかりか、お蝶=殺人者というこの戯曲の根本設定が根っから無視されているようにも見える。
つまり、「素朴な土の味も相応に出ている」とはいえ、勘太郎の米之助もやはり、決定的な部分でリアリティを欠いているのである。

米之助女房お松を芝のぶが勤めている。巧みだが、幸太郎の「おばさん」である福助に、さらに「おばさん」と呼ばれる役。勘太郎同様、やはり年功が必要。

座元・勘左衛門に彌十郎。
7月大阪松竹座〈江戸唄情節〉の侠客だと、やくざ者に必須の凄みと暗鬱に欠けるのが瑕だが、こうした役だとこの人の素直な大きさが出る。同時に、芝居復興への真摯な思いと、幸太郎という若手花形発掘への真情とが彌十郎の醸し出す温かな雰囲気と結び付き、良くニンが生きた。
なるほど、この人は守田勘彌を継いでおかしくない役者なのだ。

座元に連れ立って田舎見物に出て、駕籠からたまたま幸太郎を発見する芝居茶屋菊岡の女将・お栄に扇雀。
大部屋役者の幸太郎に下心と贔屓心を持ち、やがて売り出しの若狭屋の後見となる金満家の後家、猿若町に権威を張る芝居茶屋の女主となればいくら権高でも良いが、いつもの扇雀の癖として、リアルになろうとすると露悪になる点に気を付けないと、真心で幸太郎に肩入れしようというようには見えなくなる。

達磨職人の幸太郎に思いを寄せる在所の娘お糸に新悟。
背が高く、器量も良くないのはハンデキャップだが、良くも悪くも芝居に馴れた若手女形にはない、清純な誠心がある。嫉妬する福助のお蝶に邪慳にされても、何も気づかぬふうで自然にふるまっているのが良い。
心を磨く女形になって欲しいものである。

残暑の季節に雪景色を見せる〈櫓のお七〉。
七之助のお七の良いところは、目の動きだ。

玻璃で作ったように無機質に光りつつ眼が的確に動くさま。
女形の人形振りが根源的に持つ妖しさを射ぬいている。この妖しさは、菊之助にはない。

ダメなのは、絃に就く部分を中心に、演技自体の無味なところ。

こうした派手な娘役は、動きにもっと花を持たせ、しこなしを大きくしないといけない。
「お杉、どうぢゃぞいな」と下手側から首を回し拝んでキマルところ。人形身になればそれこそ随所に。最後の引っ込みで花道七三でオコつく上体の動き。
みな屈曲不足、短距離の直線運動で、義太夫に就いた味、動きそのもののコクがない。

竹本に就いて角々を決めてゆく演技は、初代吉右衞門などは幼少の頃、床に合わせてセリフナシ動きだけの首振り芝居、俗に言うチンコ芝居で叩き込み、後に義太夫狂言の名手として大をなす下地を作った。
五代目歌右衞門が嫌っただけあって、成駒屋系統には人形振りを忌む土壌がある。が、亡き大成駒は絃に就く名人だけあって、若い頃は集中的にこれを試みた。
チンコ芝居はなくなったが、人形振りはそれに代わり、若手役者にとって義太夫狂言の演技術開眼に一つのきっかけたり得るのではないかと、私は思う。

女形の持つべき陰翳ある色気については、私は七之助に最も期待している。
七之助の最大の欠点が動きの単純さにあることは、浅草での〈将門〉〈壺阪〉を代表にこれまでも実感したところ。
それだけに、人形身に代表される、「竹本に就き何も考えずただ動くことの骨法」だけは、一日も早く身に着けてもらいたいと切望する。
私の見るところ、七之助はきちんと三姫のできる役者なのだ。

お杉は芝喜松。〈花魁草〉の女按摩と共に、これはもう貧乏揺るぎもしない嵌まり役である。

鳴門太夫以下の竹本は、あまり褒められたものではないようだ。

2011年8月17日 | 歌舞伎批評 | 記事URL

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