批評

2011/8/6 新橋演舞場 8月花形歌舞伎 第3部

1・田中青滋作/二世西川鯉三郎振付 〈宿の月〉 ☆☆☆☆☆
2・〈怪談乳房榎〉中村勘太郎四役早替りにて相勤め申し候 ★★★★☆
序幕:隅田堤の場
二幕目:柳島菱川重信宅の場/高田の料亭花屋二階の場/落合村田島橋の場/高田南蔵院本堂の場
三幕目:菱川重信宅の場  大詰:角筈十二社大瀧の場/圓朝高座の場

とりあえず初日の第3部のみ見た。
勘太郎がしばしば父と見まがい、聞きまがうほどの勘三郎写しで大熱演。身体を張れば相応の効果が出る演目とて、夏の勉強芝居としてはまず充分の出来ばえである。

蠎三次・下男正助・菱川重信・三遊亭圓朝の4役を勤める中で最も身に合っているのは、やはり正助だろう。これはすでに経験済みの〈籠釣瓶〉治六のイキでできる。
百姓仕事に慣れた生活感(浪江と義兄弟の盃を交わす際に一講釈ある)など役の幅を出すのは今後の課題だが、これはこの芝居を掘り下げて、というのではなく、将来、類似の他の役々をこなす藝道修業の余徳を見るべきだろう。
三次も小気味の良い出来で、三幕目、二重からポンと飛び降り七三でキマって一気に花道を入るイキなど大したものである。これも、ヤクザ者らしい濁りや、花屋二階で酔客に啖呵を切る言葉の切ッ先など、まだ深め、研ぎ澄ます余地はあるものの、これまた今後の余徳を待とう。

重信は、実は難しい役。元は秋元越中守家中で250石取りの武士・間與島伊惣次という気骨はもちろん、絵師としての位取りをどう取るか。
旗本格の奥絵師・狩野4家(宗家・中橋家、鍛冶橋家、木挽町家、濱町家)ではない。当時第一の名手、名からして浮世絵始祖・菱川師宣の系流という見立てであろうが、南蔵院の鏡天井に雌雄双龍を描こうというのだから、粋な錦絵を手掛けた訳でもあるまい。町絵師といっても、それこそピンからキリである。例えば、諸派を学んで田安家奥詰絵師に出世、ついには法眼に叙せられ文阿彌と号するに至った谷文晁の、寫山樓門前に市をなした隆盛ぶりなど参考にもなろう(それにしても菱川家は女中ばかり、浪江以外の門人がいないのは不思議)。
勘三郎もこの重信が最も劣ったが、それは彼の技量不足というよりも、このように役柄の奥底が曖昧で、重信という人物の把握が難しいためである。原作とはいえ落語とは、こうした点は実は好い加減なものだ。大づかみに、〈吃又〉の土佐将監が若くなったようなつもりで演ずればまだしも、だろう。画龍点睛のため幽霊になっても出現するほどの藝道精進の一念と、瑣事に拘らぬ世外の風流をよくよく感じさせないと、この芝居全体が浅いものになる。
落合村・田島橋の螢狩で、〈加茂〉のロンギを謡いながら出てくる。節が思い付きなのはご愛嬌としても、謡の言葉が随所大いに間違っているのは直したい。

最後に散切頭の圓朝になってセリ上がり、今後の一講釈を述べて幕にするのは勘三郎の演出だが、これはやはり、大瀧の場の最後に浪江を出してでも仇討の結末をつけたほうが良い。
勘三郎は圓朝になってから役者の愛嬌で最後まで客を引っ張ったものの、勘太郎にはまだその幅はないから、みな好意的に耳を傾けてはいても場内の空気が次第に痩せてくるのがわかる。これは役者として客を惹き付けるスター性の問題で、いかんともしがたい。

総じて勘太郎の良いのは、演技の角々を崩さず、視線が真っ直ぐなところである。
こうした筋売りに流れやすい世話物は、むしろ時代にキマルところを極力多く、役者の素顔を見せない心用意がなくてはならないが、そうした点に配慮があり、演技の一点一画をゆるがせにしていないところを大いに買う。
蠎三次で、勘三郎にあった色気がまだ足りないのは勘太郎の生真面目なキャラクターの問題でもあろうけれども、逆に、父よりも精悍なところのある勘太郎には、どこか初世・二世の左團次系統を思わせる、硬派の男臭さがある。これは、祖父・父にはなかった個性だ。そうしたところを伸ばし、勘太郎の〈乳房榎〉を作り上げる可能性が今後残されている。

早替わりの連続で場内大喝采。三次・正助・幽霊重信を替わる十二社大瀧本水の立ち回りで、ともすると吹き替えが正面を切って顔を晒してしまうのは極力避けたい。

重信妻・お關を七之助。福助が勤めてきた役で、それと比べる幅が足りないのは致し方ないが、困難な状況に堕とされた翳があるのは七之助の個性。不義に極まる二幕目の重信宅幕切で、貞女としての悩乱ぶりがもっと出ると良い。
三幕目の重信宅、浪江の姦計阻みきれず真與太郎を里子に出すあたりの追い詰められた悲哀が不足してはいるが、不義前の二幕目と、不義後の三幕目と、何とか役の性根を変えようと努力としてることは明確に窺える。
お關はともかく哀れな役である。それだけに、最後に仇討があって浪江が一太刀浴びないと、観客として心持ちがよくないものだ。

磯貝浪江は獅童。
私はこの未熟な役者を内心買っている。勘三郎相手にこれを勤めてきた橋之助がどこか日常温和な生活感を引き摺って色悪の凄みに欠けるのに対し、不羈奔放で愛嬌のある獅童にはその可能性があるからだ。
ただ、勘太郎・七之助と並ぶと、いかにもセリフは棒読み、動きは拙い。これはこれまでの獅童の歌舞伎修業の浅さの結果以外の何ものでもなく、一朝一夕には挽回できない質のものである。
役者として役柄をどう解釈するかということも勿論大切だが、この種の役のセリフはこう、動きはこう、様式的にゆるがせにできない規矩というものが歌舞伎芝居にはあるのだから、遅れて来た獅童はこうした「歌舞伎文法」に埋没するほど学習し直し、習熟しないと、来たるべき40代以降、かなり辛いことになりはすまいか。
昨年8月新橋演舞場第3部〈四谷怪談〉で、勘太郎のお岩様よりも海老藏の伊右衛門よりも、原石としての獅童の直助の将来性を評価した私の、これは真実手向けの言葉である。

監事室に勘三郎の姿があった。久方ぶりに、元気そうではあった。
文字どおり加餐に勤め、まだもう少し浮世は忘れて、息長く気を養うことに専念してもらいたいと念願する。今後20年の歌舞伎は、実に、この人の双肩に掛かっているのだから。

初めの長唄舞踊〈宿の月〉は、私にはちょっと耐えがたい出し物。

「春の月を仲人に、めでたく祝言を挙げたおつると亀太郎。やがて子宝に恵まれ、お宮参りにやってきます。我が子を抱いてはしゃぐ夫に対して、貫禄の出てきた妻は、自分の好まないことをせぬように夫に神様への誓いを立てさせます。歳月を経て、小判磨きに熱心な妻。外で怪しい物音が聞こえ、おつるは夫を外へ突き出します。妻の愛情を確かめようと、賊に襲われたように装う亀太郎。おつるは金包みを放りだして夫を助けてくれと叫びます。互いの心が解かり、手をとりあって美しい宿の月を眺めるのでした。」
松羽目物狂言舞踊(一杯道具の舞台背景は松や竹の模様)に準じた体裁で、以上の筋書(当興行HPから転載)を三段構成で踊る、30分の一幕。おつるの扇雀、亀太郎の橋之助、どちらも暢気に勤めているが、ただそれだけのことである。

これが初演された1955年当時、六代目仕込みの二世鯉三郎も、亀太郎を踊った二世松緑も、この種の作品を新鮮なものとして評価したのだろうし、観客もまたそうだったのかもしれない。思えば、暢気な良い時代だった。
私は、狂言仕立ての歌舞伎舞踊の大半を評価しない。滑稽の感情を単純化して低級な笑いを誘い、全体を浅薄な「人間賛歌」に仕立て上げるのが、こうした作品の常套だからだ。その意味では、踊技は二の次、細部を拡大した野卑な演出の罷り通る現今の〈身替座禅〉だって、第二級以下の出し物である。

こうした安直な作品を手掛けても、役者のためには何にもならない。
長唄物で30分程度ならば、竹本を加えて〈濱松風〉。扇雀の小藤、橋之助の此兵衛、2人がシッカリ踊り込むさまを見てみたかった。

2011年8月 7日 | 歌舞伎批評 | 記事URL

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