批評

2012/1/5 新橋演舞場初春大歌舞伎夜の部

1・歌舞伎十八番の内〈矢の根〉 ★★★★☆
2・五世中村富十郎一周忌追善狂言〈連獅子〉 ★★☆☆☆
3・〈神明恵和合取組〉め組の喧嘩~品川島崎楼より神明末社裏まで ★★☆☆☆

三津五郎の〈矢の根〉がキッカリと気持ちの良い出来ばえだ。
柄も口跡も、派手にパッとしたところはないけれども、見得の一つひとつ、発声の骨法に、「これ」という確信が窺える。

現在の演出だと、〈矢の根〉は歌舞伎十八番のうち最も整然たる演目。
それだけに、ただ何となく「形だけ」で出されているように見えることも多い。

荒事一般と言えば当然「市川宗家」だが、
役者役者としての柄に卓抜した團十郎。
「荒事」の「荒」という側面感覚で突出する海老藏。
それらに対し、「荒事なる身体藝術」ということを最も考えさせるのが三津五郎の〈矢の根〉である。

荒事は勢い専一でなく、身体を一杯に使い、結果としての「かたち」に勢いが籠って、かつ、美しいのが肝腎、だと思う。
たとえば、九代目團十郎の〈暫〉元禄見得の美事な写真を見ても、当代あの写真に匹敵する「かたち」を見せ得る役者は誰一人いないだけに、こうした「荒事の身体の秘密」は容易に想像できる。
三津五郎の五郎はそこまでではないにせよ、十郎夢告のあと荒れて、一つひとつ身体をキメてゆくところに、内からの勢いに任せるだけでなく、「かたち」と「美」への配慮がキチンとなされているのが分かる。

昼の部の大膳といい、今月は三津五郎の好成績である。

わずか1、2分の間しか出ない田之助の十郎が花を添えている。
田之助の十郎は、決して「幽霊」には見えない。
また、セリフにえも言わぬふくらみと雅趣がある。
田之助以上のものを想像すれば、雀右衛門だと雰囲気が変、亡き芝翫では堅く、おそらく故人梅幸や宗十郎ぐらいしか思い浮かばない。

いかんせん、脚の弱り切った人だから、立ったまま上手から押し出され、また入るだけのこの役ならばまだしも、〈娘道成寺〉の所化にまで出番を作らないと舞台で見られないようになっているのが気の毒。女形が本領なのだ。
元気な頃に、政岡を、一度で良いから見てみたかったと思う。

セリフのない大薩摩主膳太夫に歌六が出て、キッカリと居ずまいを正し、キッカリとしこなして帰って行くのは心地よい。馬士畑右衛門は秀調。

天王寺屋追善の〈連獅子〉は、制作担当者と播磨屋の心意気を買うべきだろう。

吉右衛門はもとより舞踊に優れた役者ではない。
前シテで子獅子を谷に蹴落とした直後の早間の振リで、吉右衛門は長唄について行けず、鈍い身体が唄を後からなぞるような及び腰になっている。
後シテで白頭を振り扱うのも、見ていてちょっと気の毒。

だが、それだけにと言うべきか、吉右衛門の〈連獅子〉には、歌舞伎役者としてこれを「演ずる」、幾分かの味の濃さがある。
たとえば、前シテに「狂言師」としての性根めいたものが漂う。
それは、キマリキマリで見せる顔や身体の表情が板についているからである。
後シテの頭の振りようはゆったり、かつ回数も少ないが(これを指折り数える悪趣味が最近はやっているのは困りもの)、つたないだけに骨法を守ろうとしたものか、一畳台上に両足をシカと踏みしめて頭を振る、その腰が存外上下にも左右にも揺れず、両足にウンと力を籠めて上半身と頭を一緒に、大きく大きく扱っているのが分かる。
結果として吉右衛門の白獅子には位取りが具わって、つたないけれども貧相ではない。
いささか裏階段に逃げたかたちではあっても、役者の踊りとして、これはひとつのあり方だと思う。
少なくとも、腰高のまま足首も膝も構わず動かし、全身を揺らして振りまくる無法に比べて、吉右衛門の後シテがさまで劣っているとも思われない。

現行の〈連獅子〉演出に根本的な違和感を抱きつつも(前シテと後シテの性格の不整合)、「踊技に優れない役者が〈連獅子〉を踊ることの意味」を考えさせるのが、吉右衛門の白獅子である。

天王寺屋遺子・鷹之資の赤獅子。
今後、どれほどの苦労をするか分からないけれども、舞踊に秀でることでひとつの地歩を築くことはできよう。
勘太郎の子役時代の踊りのイキの良さに比べて、今回の鷹之資に突出したものは感じなかったが、周囲の教導よろしきを得て、厳格なる舞踊の稽古を積むことを期待したい。

間狂言〈宗論〉は、法華僧蓮念を錦之助、浄土僧遍念を又五郎。
誰がやってもこのツナギは冗漫で閉口する。

〈め組の喧嘩〉は、菊五郎劇団が保存する、貴重な民俗藝能のような演目だ。

町人自警団の鳶VS武家抱えの力士、という階級差。
だが、相撲と鳶と、その棲む社会は、どちらも堅気の人々とは一線を画している。
近似するからこそ、反発する両者。

現行台本の最後では、町奉行と寺社奉行の乗り出しで喧嘩が中断してしまうが、コクーン歌舞伎のように現代の眼で換骨奪胎するならば、当然ここに一種の「読み直し」が加わるはずだ。

〈魚屋宗五郎〉でも〈め組の喧嘩〉でも、現存の世話物狂言の多くは、演技技巧の集積結果を楽しむ点、通行の古典落語とあまり変わらないと思われていよう。
それだけに、演技技巧の集積の果てに、現代に対して有効な異議申し立てのできる独自の「人間像」なり「人生」なりが立ち顕れなくなったら、もはやそれは単なる過去の歌舞伎遺産として、歌舞伎フェチの人にのみ愛されるミニマムな演目となり、矮小化され続けるばかりだろう。
戦争体験者である二世松緑の魚屋宗五郎や、人の世の闇に生きた先代勘三郎の髪結新三は、単なる六代目菊五郎のコピーではない、それぞれの「異議申し立て」だったと、私はハッキリ認識している。
さらに後の世代、ちょうど菊五郎およびちょっと上の世代に、立川談志のような「批評家的表現者」が、歌舞伎世話物に関して出なかったのは、良いことなのか、悪いことなのか。

菊五郎の辰五郎は確かにカッコイイ。
藁の上から菊五郎劇団総帥候補として育った経歴が、生え抜きの鳶頭・辰五郎の出自とピタリ重なり、寸分のゆるぎもない。
だが、これは、当代菊五郎という人間の「地」で持った強みである。

いよいよ喧嘩と決し、辰五郎が勢揃いの場に現われ、ツカツカと歩み来る。
その足取りを見ていると、やはり当代菊五郎という素の人間を感じる。
そこには、鳶の者らしい、こんな時にはさらに殺気をはらんで「一直線に風を切って歩むイキ」」(これは火事場の屋根上や丸太で組んだ高い足場の上を苦もなく歩む、鳶職のダンディズムの身体表現である)が、どうも不足している。

菊五郎としては、すでに役になりきっている以上、「一直線に風を切って歩むイキ」を演技技巧と共に示す必要はないのだろう。
事実、土器を叩き割って喧嘩に雪崩れ込むあたりなど、「なりきった」菊五郎でなければ大勢はついてこないに決まっている。
だが、「なりきる」ことは、観客との空気の共有によって成り立つ。そこに別段の技巧は必要ない。
この時、菊五郎の演ずる〈め組の喧嘩〉という芝居は、客席との心的交流というロマンテイックな幻想に支えられ、「演技技巧の集積結果を楽しむ通行の古典落語」ほどの緊張感すら喪失していたかのようだった。

こうした菊五郎と、われわれ観客と、双方を顧みて、いま改めて考える。
「歌舞伎世話物に立川談志がなぜ出なかったのか」。

この芝居は既に菊五郎をもって主たる継承者としている。
また、こんな役柄を演ずる立派なニンを具えた役者は、当代菊五郎のほかにはない。

技術・技巧とは、単なる役づくりの「テクニック」ではなく、自己を客観化するための、世阿弥の言う「離見」の手段でもある。

〈辰五郎内の場〉には竹本が入る(歴史的に見れば世話物狂言の堕落の根源である)。
辰五郎が人知れず妻子と水盃を交わす件で竹本がその心情を語ってしまうから、辰五郎のハラが実に薄くなる。
これはそう作られた劇構造の欠陥であって、役者の責任ではない、と思われよう。

ここでの菊五郎は素のレベルで「辰五郎になりきる」ことに徹している。
お芝居お芝居した、キッパリとした思い入れや深いハラの表現を、菊五郎は表立たせず、自然体の演技で推移させている。従って、舞台と客席との障壁もほとんどなくなり、菊五郎=辰五郎という親近感をわれわれは容易に抱くことができる。
だが、それだけに、菊五郎の辰五郎は竹本の陳腐な解説的語リに説明されてしまい、結果として役が薄く軽くなっているのだ。

余所事浄瑠璃としての清元〈三千歳〉にも、名曲なだけに、これに近い問題がある。
そのクドキで、三千歳と直侍がただ「素」の愛情表現だけで芝居を続けていたら、この場はまったく見るに堪えない冗漫な場面となるだろう。
そこには「素」の愛情表現を突き放す「かたち」の美があって、キマリキマリをキッカリ(しかも踊るのではなく)しこなしていくことによって、浄瑠璃のロマンティシズムを「余所事」化してゆく努力が要る。
つまり、〈入谷〉という芝居は、逆説的な意味で「技巧」の芝居なのである。
竹本の入る〈辰五郎内の場〉も、そうした場だと考えられないだろうか。

「素でなりきる」菊五郎が、そうした技巧専一の離見を獲得することが、今後あるだろうか。
これから追い追い年を取り、いよいよ「素でなりきる」ことの多くなるに違いない菊五郎に、「技巧」の芝居によってより強靱な「素」に昇華することを期待したいが、どうか。

時蔵のお仲は堅い。
古風な相貌はまみえのない女房役にはピッタリだが、強く出ると継母のような荒さが出る。これは、玉三郎のように、藝者の似合う女形がキッパリとしこなす役だ。
本来、時藏はニンと柄から言って、定高や萩ノ方をしつけるべき人なのである。

左團次の四ツ車は、老いた分だけ崩れかけた凄みが出て、以前よりも良い。
力士、ことに関取という役柄には、色々な意味で異様な妖しさが不可欠だ。
九龍山の又五郎に、まだそれはない。

團蔵の露月町亀右衛門にはこの人特有のネジレた皮肉味があって、辰五郎の真意を汲み取れず切歯扼腕する屈折が良く出ている。 
ハツ山下だんまりに出る芝雀の尾花屋女房おくらには色気がない。梅玉の焚出し喜三郎は鳶よりも官僚がニンだから、陣笠に火事羽織を着て馬で乗り着けたらさぞ立派だろう。
島崎楼女将おなみに萬次郎。江戸座喜太郎に彦三郎。

柴井町藤松を菊之助が勤めるが、幾度も言うように、こうした役に馴れると真女形の藝が荒れよう。
それを承知した上で言うが、線が細いのを補う努力で、菊五郎にはないギリギリ感をもって押してゆく気負いは美事。口跡も凛として心地よい。
それだけに、見ていて複雑な思いである。
この役(と将来必然的に到り付く辰五郎)と雪姫と、どちらも手中にしようと思うのは、如何なものだろうか。
また、手中にできるものか、どうか。

勢揃いの場に駆け出た菊十郎が何か言うのだが、何が何やら舌が回らず、さらに聴き取れない。水盃の先陣を切る山門の仙太の男寅も威勢の良いことを言うらしいが、こちらは恥ずかしさが先に立ってか、やはり何を言っているのやら分からない。
が、菊十郎のような下積みの老錬も、男寅のような未知数の御曹司も、身分を超え一団となって、ひとつの芝居に取り組んできたのが、菊五郎劇団の歴史なのだ。

当代菊五郎を頂点に頂く〈め組の喧嘩〉は、確かにその「重み」の産物である。

2012年1月 8日 | 歌舞伎批評 | 記事URL

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