批評

2012/1/6 ル・テアトル銀座坂東玉三郎初春特別公演

1・お年賀 口上
2・〈妹背山婦女庭訓〉道行恋苧環 ★★☆☆☆
3・同 三笠山御殿 ★★☆☆☆

冒頭の口上は、金屏風の前に玉三郎が控え、15分ほどのおしゃべりを聞かせてくれる。
誠実な、心の籠もった、お客をもてなす温かな口上である。
松竹梅や凧などを淡彩で描いた襖絵も、絵の調子に品があって美しい。

玉三郎のお三輪は雪姫と並び、彼の時代物の中で身に合った代表作である。
この役を勤めるのは11年ぶりだが、回を重ねるにつれ稀薄な舞台になっているのは残念。

原因は色々だが、要するに、
1)今回は玉三郎と吊り合わない若手を周囲に配したこと。
2)義太夫に準拠し演出を整理、手順を切り詰めた反面、それと入れ替わりに求められる藝の密度に欠けていること。
「稀薄化」の原因は以上の2点にあろう。

道行は3人で人形振リを試みた前回(2001年12月歌舞伎座)と異なり、今回は普通の演出で尋常に踊る。
玉三郎に限らず誰も普通そうだが、私はお三輪が舞台奥の上手から出るのが気になる。こうしたものは、花道から出て花道へ引っ込むのが定法だと思う。
演出再考を常とする玉三郎には、せっかくの今回、ぜひ一考してもらいたかった。

玉三郎版の〈御殿〉お三輪は、過去に踏襲していた歌右衛門型へのアンチテーゼである。

たとえば、出てすぐ「お留守かェ」は一度きりで、くどく繰り返さない
最も大きいのは、前回もしかり、下座の独吟を省くこと。
すなわち、いじめの官女に突かれて落ち入る演技がなく(したがって島台と紙垂を髪に付けられる悪戯もされず)、胴上げのままお三輪を花道まで持って行くと官女たちは「三国一の」と囃しながら二重上手へ入り、お三輪はその間に思い入れ、すぐ「アレを聞いては」の疑着の相の件となる。

これで分かるように、疑着の相へはアッという間の短時間で変貌する。
この表情が、玉三郎だと拍子抜けするほど淡彩なのだ。

昨年正月、演舞場で福助のお三輪は優秀だったが、彼の癖として、ここで浅ましいほどの醜貌を見せる。福助を教えた歌右衛門も輪を懸けてそうだった。
が、ここはそのくらいのほうが良い。いや、そうでなくてはいけない。
「生き変はり死に変はり、怨みを晴らさでおかうか」
お三輪のこの呪いは、〈四谷怪談〉のお岩とまったく同じ強さと激しさではないか。
玉三郎は今興行のプログラムで「疑着の相にばかり執着してしまったら、再演(1974年2月新橋演舞場)の時は役にならなかった」と回想している。これは「全体性からの局部遊離」ということで、こうした激しい感情の迸る演目では往々にしてあることだ。

だが、「疑着の相にばかり執着しない」ことと、「疑着の相が淡彩に見える」こととは、まったく意味が違う。
玉三郎のお三輪は、ただ「顔を恐ろしく歪め足りない」のではない。
「そこに内包されるべき内的な暴発性に不足している」のだ。

歌舞伎独自の下座独吟や執拗な手順は、役者をそこまで追い詰める仕掛けである。
この仕掛けを省き、文楽の大夫が語る表現に則るならば、大夫が身も心も振り絞って語り詰める激越なイキを、玉三郎もまた切り詰められた短時間の間に示さなければなるまい。
演出をスリム化した分、疑着の相はより突発的に強く、激しく表現される必要がある。

以上、私の述べたことは、論理的にも藝術的にも、誤りではないと考えるが、どうか。

お三輪の落ち入りで玉三郎は白の苧環の糸をかなり長く手繰り、丁寧な思い入れをする。島台や紙垂といった品を用いない分、苧環に観客の視線が集中し、これが求女の象徴であることが明確に印象される(その前のいじめの件で、官女が訝しんで苧環を手に取ろうとすると、動物的に反応し拒む玉三郎の動きは面白い)。
だが、苧環を離さない最期の場でも、内から湧き立つべき感情表現そのものはやはり稀薄である(口紅をすっかり落とさず赤が残り気が変わらないのもその一因)。
したがって、「苧環に寄せるお三輪の虚しい思い」ではなく「苧環をまさぐり続ける無個性な女の行為そのもの」が目に残る。

つまり玉三郎は、「お三輪という個性的な人物の思念を生き抜く役者」というよりも、「お三輪の扮装に飾られたある抽象的な女性の思念を象徴し暗示する自己演出家」なのだ。
私は、今月の玉三郎演ずるお三輪を見ていて、たぐい稀な影絵師が映して見せる精巧な影絵を見せられている気がしてならなかった。

こうした稀薄感、舞台に沈潜せずどこか「我(ガ)」を残した覚醒感覚の一因は、人は見逃しがちなところだが、玉三郎の演技の端々に露呈する「雑さ」に起因する要素も大きいのではないか。

たとえば、道行で出てきて、後ろを向いて履物を脱ぐ。
その脱ぎようと、脱ぐ時の一瞬の身のコナシが、素に戻って何ともぞんざいなのだ。
昨年4月、京都南座での〈将門〉も、最後にブッ返ってからは手足の動きが荒く、男丸出しで当惑した部分が多かった。
瀧夜叉姫は男ではないのだ。

昨春の地震以来、深く篤い思慮に支えられた言動を見聞くにつけ、玉三郎の人生に賭ける潔い覚悟というものは、藝術家として実に尊敬に値する。
だが、それと、老来放恣の心に馴れて所作が雑になったり男になったりする欠点とは別である。

今月のこの劇場の興行そのものがもっぱら玉三郎の「美学」を体現する場、「坂東玉三郎ドラマチックリサイタル」なのだろう。
橘姫の右近(踊りの稽古を重ねていることは窺えるがまだまだ)、求女の笑三郎(ただ出ただけで気の毒)、入鹿と豆腐買の猿彌(どちらも巧みだがどちらも小さい)、鱶七の松緑(役が大き過ぎて「位打ち」に遭っているようだ)、みな共演者というよりも書割の一部に見える。
その中で玉三郎が、自作の台本で、自前の演出・美術・照明で、自作の歌を歌っている。

そう。
美輪明宏がお手盛りで作り上げる「いつものお芝居」を見たのと同じ閉塞感だと言ったら、果たしてそれは言い過ぎであろうか?

2012年1月11日 | 歌舞伎批評 | 記事URL

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