批評

2012年3月アーカイブ

2012年2月の能・狂言

この月の能評は、『能楽タイムズ』2012年4月号に批評「己身の〈羽衣〉~2月の能・狂言」として執筆、掲載された(2012年4月1日発行)。
ご興味の向きは、高覧を願い上げる。(出版元:能楽書林 03-3264-0846)

以下、当該能評で扱った公演(この月、私が目にしたすべての能・狂言)について、詳細を記せなかった配役等を追記しておく。

続きを読む

2012年3月28日 | 能・狂言批評 | 記事URL

2012年1月の能・狂言(未完)

1月3日(火)午後2時 大槻能楽堂新春公演第1日
◆〈翁  十二月往来之式〉
翁:梅若玄祥・大槻文藏/三番三:茂山千三郎/千歳:浦田保親 /面箱:井口竜也/笛:藤田六郎兵衛/小鼓頭取:大倉源次郎/脇鼓:清水皓祐・吉阪一郎/大鼓:谷口正壽/地頭:斎藤信隆
◆狂言〈鎧〉
シテ:茂山千五郎/アド(太郎冠者):茂山正邦,(すっぱ):松本薫
◆能〈花筐 筐之伝〉
シテ:山本順之/ツレ:山本博通/子方:武富晶太郎/ワキ:福生茂十郎/ワキツ(使者):福生和幸,(輿舁):福生知登・喜多雅人/笛:野口亮/小鼓:久田舜一郎/大鼓:山本孝/地頭:藤井完治

「十二月往来」の翁は珍しい。
観世流の現行詞章は江戸中期の改訂で国学臭が強く、文体が極めて異質。〈梅〉と並んで実に覚えにくいそうだ。同じ〈翁〉の替エでも「舟ノ立合」「弓矢ノ立合」と違って滅多に出ないのはそれが理由だろう。

簡単に言えば、これは二人翁の趣向である。
冒頭「翁渡シ」では面箱に続き玄祥の翁大夫(左翁)が出、文藏(右翁)がこれに続く。玄祥が正先で一礼の間、文藏は向かって左手奥で平伏。翁帰リの正先一礼は文藏が勤め、玄祥は向かってその右手奥で平伏。両人、打ち返しのかたちである。

千歳之舞のうちに両翁とも白式尉面を着け2人が大小前に並び立つと(向かって右に玄祥、同じく左に文藏)、玄祥の右手(笛座前)に千歳、文藏の左手(太鼓座前)に三番三が立ち、4人の並立となる(翁後見が面箱を少し後ろに引いて千歳の立つ場所を作る)。

次に2人の翁が向き合い、玄祥「や。尉殿に申すべきことの候」から囃子は打たず、ここで千歳と三番三は下に居る。文藏「それこそ最もめでたう候へ」で両翁は正面を向き、そこから眼目の十二月の掛け合いとなる。トメの玄祥「みたらはします御調の御寶」から小鼓打ち出し、「参らう」で両翁向き合う。地謡「あれはなじょの」で千歳は立って脇座に、三番三は同じく後見座に退き、以下、常の翁之舞を両翁の相舞にする。
以上、玄祥を「左翁」、文藏を「右翁」と記すのは、雛祭の雛壇に飾る左近の桜、右近の橘と同じく、見る者に対した時の左右。客席正面から舞台を見れば、向かって右に立つのが「左翁」、向かって左に立つのが「右翁」に当たる。むろん、日本の伝統的な考えでは常に「左」が上位である。

ほんらい、〈翁〉で藝評はするものではない。
とはいえ、長年の二人の親密な共働を反映した、他ではちょっと望めない堂々たる二人翁である。記憶力抜群の玄祥も霜月の件でさすがに一瞬、わずかな間が空き掛けたが、事なきを得た。

小鼓は、頭取を勤める力量を有した2人を脇鼓に従えて大倉流らしい重厚さ。関東ではちょっと聴けない、中々の充実ぶりである。最初に出るので否応なく目立つ面箱は、グッと腰を入れて耐える更なる修錬を。

めったに見られない〈鎧〉は、文を披いて読み上げる鎧づくしの美文のカタリが眼目。茂山千五郎家ではこれを新年の謡初にしているはずである。

型どおりの脇狂言というばかりでなく、濃厚な人間味が横溢。「縅(おど)すもの=鎧の小札(こざね)を綴り合わせるもの」を「脅すもの」に置き換え、最後は騙された太郎冠者が武悪の面で主を「脅す」騒動に発展する。
上記のとおり、いささかドタバタ劇なのだが、千五郎も正邦も恥も外聞もなく熱演するので却って不自然さはなく、一種の人間賛歌に昇華する楽しさは無類だ。
ただ、その半面、2人の居所がキリリ引き締まって見えない場面も散見された。

曲柄にも合い期待された山本順之の〈花筐〉は無難な出来ばえ。
後半、足元のグラつく部分もあり、精巧な機械仕掛けを思わせた昔の肉体に比べて老いを思った。

だが、森厳で勁い調子。どこを取っても聴き取れないところのないコトバと謡。前シテの下居姿で周囲の空間が切り取られるような引き締まった造形美など、さすが凡手ではない。

後シテとツレと、どちらも白水衣を着たので、シテの身分が立たなかった。
また、籠には前後とも花を盛ったが、常々述べる如く、本文を読み込む限り間違いである。
「かたみ」とは、「形見」を掛けながら、「堅間=目を堅く編んだ籠」という意味。盛った花に意味はない(ゆえに常は木の葉一枝で済ませる)。道具としての籠に主眼がある。
「何も盛られない」空籠。
この籠は皇子にとって離別の印だったが、シテはこれを逆手に取って、「何でも盛り得る」空籠として呈示、自ら后妃たる地位の復帰を望む強い意志を盛り入れたのである。
(その意味で、長俊改作時に削除された世阿弥原作の末文「安閑天皇の御母、照日の宮と申しゝは、筐の女御の御事なり」には、劇主題的に深い意味があると私は思う。)

1月8日(日)正午 宝生会月並能 宝生能楽堂
◆能〈羽衣 盤渉〉
シテ:三川泉/ワキ:宝生閑/ワキツレ:殿田謙吉・御厨誠吾/笛:一噌仙幸/小鼓:幸清次郎/大鼓:亀井忠雄/太鼓:金春國和/地頭:今井泰男

今年2月で満90歳の三川泉の舞台。

シテの出のコトバに雅味横溢。初段オロシから盤渉に上がる序ノ舞は清浄感に満ち、二段目替のオロシで右袖巻き上げ右ウケ、面を遣ったところで、既に宙空を舞っている浮遊感があった。白地腰巻に桜折枝と楓流水文様の白地長絹が清楚。その印象からも、「霞に紛れて」で幕に入るところは、目の前からスッと白い鳥が飛び去ったようだった。

半面、生命力が稀薄なのは是非もない。「南無帰命月天子」で下居せず立ったまま大鼓前で合掌した姿は肘も落ちて面もクモリがちだが、問題はそうした外形ではなく、それを突き抜けて昇華するものの有無だろう。

老優の個人的人生の足跡と、演目が求める表現性と、われわれ観客にとって「舞台藝術をどう見るか」が問われている。最晩年の友枝喜久夫が、松本惠雄が、中村歌右衞門が、身をもって示してくれた大きな問題である。

亀井忠雄の行き届いた藝。「詮方も」で打ち納めドンと付けて地謡に渡す、その小さな音の深々とした充実と絶妙の間。

1月9日(月)午後1時 至高の華・梅若玄祥舞台生活六十周年記念祝賀能 国立能楽堂
◆能〈松山天狗〉
シテ:梅若玄祥/ツレ:梅若紀彰・鷹尾章弘・鷹尾維教/ワキ:宝生欣哉/アイ:深田博治/笛:竹市学/小鼓・大倉源次郎/大鼓・亀井忠雄/太鼓・助川治/地頭:山崎正道
◆狂言〈末広かり〉
シテ:野村萬斎/アド(太郎冠者):高野和憲/小アド(すっぱ):石田幸雄
◆能〈土蜘 ササガニ〉 
シテ:梅若玄祥/ツレ(頼光):観世喜正,(胡蝶):山崎友正/トモ:小田切亮磨/ワキ:宝生欣哉/ワキツレ:宝生朝哉・則久英志・ 大日方寛 /アイ:石田幸雄・月崎晴夫/笛・竹市学/小鼓:鵜澤洋太郎/大鼓:亀井廣忠/太鼓:金春國和/地頭:梅若長左衛門

晴れの記念能だが玄祥の体調が充分ではなく、その倦怠感が、陰鬱な〈松山天狗〉の前場には却って効果的だった。文字どおり怪我の功名。

〈松山天狗〉は大小前の一畳台前に半畳台を出しT字型に組む。一畳台上の塚の作リ物には松を葺いた上、(吉田流の)幣を3枚付けた七分ほどの太さの注連縄を張った。大相撲の横綱に見紛うこれより、〈三輪〉式に白紐に(伊勢流の)幣のほうが能らしかろうと思う。

前シテがワキを廟所へ誘う件の凄み。中入前「さても西行」と言い掛けると位取りがガラリと変わって、身内から溢れ出る堂々たる帝威。こうしたところは当代には誰も敵する者なき玄祥の独擅場である。
が、健康的ではない。藝に一種の病感が付き纏う。
地謡一杯に作リ物に中入。シテの姿が消えているのに、狂言来序に変わるまでひとしきり来序を打ったのは、着替えの時間稼ぎもあろうが、ひどく間が抜けて見えた。

後シテは黒の単直衣に緋長袴。立纓の冠は能道具の初冠ではなく有職の品で、巾子も大きく磯も高い。笏も赤みがかったイチイ=アララギに見えた(飛騨・位山のイチイの木は笏の用材として著名で、新帝が即位礼で手にする笏は現在もこれで製する)。

ちなみに、雛人形の男雛に見る如く、天皇に限って冠の纓を垂らさず立てる「立纓(りゅうえい)」の習いが起こったのは江戸時代以降のことだが、幕末の孝明天皇の御影を見ても立ち方はゆるく後方45度に跳ねる程度。明治天皇の写真に至って垂直に立つようになり、現在に至る。
デフォルメされた立纓は金冠白衣の歌舞伎の公家悪が先行している。むろん平安末期の崇徳院時代に立纓はなく、臣下同様の垂纓だった。〈絃上〉の後シテ・村上天皇が立纓ではなく垂纓で登場するのは、(冠の形態の異同は別にして)史実に合っているのである。
先代銕之亟もそうだったが、能役者の歌舞伎趣味は感心しない。演劇史的に後代の演技様式や演出を、前代のものに無反省に移入するのは禁じ手だと考える。

舞事は替の楽。二段目から盤渉に上がって二ノ松へ出ると思い入れ、位がグッと締まって笛吹き流し、笏を掻い込んで憤怒の心を示し(演技的には抜群に巧い)、笏で膝を打って急ノ舞に転じ、舞い上げる。束の間の遊舞から「逆鱗の御姿」に変ずるには実に効果的な半面、シテも囃子も表現が万事見え透いて、効果のための効果に思える欠点もある。
最後はツレ天狗を先立てて、地謡が切れたあと花道の幕外のようにナガシの手を際立たせた急調の囃子に乗って入る。これまた、まるで歌舞伎である。

作品として決して第一級の作品でないだけに、スポンジに手を抜きデコレーションで飾ったケーキのような安物感が強い。前場の陰翳と位取りが、さらにストイックな表現によって後場で実体化されないと、至極巧い人だけに、玄祥の能は虚藝に見えよう。注意したい。

ワキが掛絡を掛けていたが、身を飾って見え、西行らしくなかった。

糸沢山に奮発した〈土蜘〉は、まあ、それだけのこと。
ただし、前シテで幕内に立った玄祥の面構えは舞台人として第一級。ここでグッと溜めておいてジックリ一ノ松まで出、ツカツカッと欄干際へ出ざま「いかに頼光」と言い掛ける息は、やはり他人には望めない。
後場の働、初段に派手にナガシの手を入れたが〈松山天狗〉と重複し、散々やりたい放題、という感じである。
間狂言〈ササガニ〉は、石田の飄々たる味が良い。ただしここで「おのおの葛城山に分け入り」と言っているのは能の誤読。原典の『平家物語』に明らかなように、土蜘蛛の塚は都の北野にある。

なお、予定されていた歌舞伎〈土蜘〉から問答の逆輸入は今回試みられなかった。そこでの土蜘蛛塚は、羅生門の鬼よろしく東寺のあたり、ということになっている。

この日の〈末廣かり〉の萬斎はきわめて低調。声の響きも薄く、動きも精彩なく、紙人形の動くような狂言だった。

1月14日(土) 正午 五雲会 宝生能楽堂
◆能〈東北〉
シテ:金井雄資/ワキ:殿田謙吉/ワキツレ:舘田善博・平木豊雄/アイ:山本泰太郎/笛:一噌隆之/小鼓:観世新九郎/大鼓:安福光雄/地頭:小倉敏克

齢の割には老成している金井の能だが、この日はそれが吉と出て、ある意味では取り付く島もない〈東北〉という能に確実な手応えを感じさせた。
亡父や近藤乾之助を通じ、幼少の頃から「深川の九郎の弟子」近藤乾三に近侍する機会が多かったこの人には、理屈で能をつかむ前に「これ」という確たる能のすがたが見えることが多く、それが老成の何割かをなしているのだろうと、私は考えている。

軽くハコビの良い明快な謡。前場ロンギ「この花に住むものを」常座に立ちジックリ正先に向いた身体の重みと、姿および目の付けどころの良さ。
後シテの一声の出もノリよく、車に乗って出る心が充分に窺えた。こうした充実は、普通は老練な能役者の身に添う得分である。

この種の身体の充実、前シテで指摘した「目の付けどころ」の確かさで、舞グセを通じて実に強固に設計された造形美があった。
このクセは、東北という鬼門=聖なる方角から、都という小宇宙を俯瞰する、一種の都市論・空間論であり、それが「東北陰陽」の仏法の哲理に通ずるところに意味がある。色気や雰囲気でダラダラ舞われたら、それだけでこのクセは見当違いのものになろう。〈羽衣〉と並んで初心者の仕舞稽古によく舞われるが、実はこの二番のクセは、三番目物の舞グセの中でも〈芭蕉〉に比肩すると、私は思っている。それに充分応え、梅花の香気(すなわち充実の余得)さえ思わせた金井の藝だ。

あえて注文を付ければ、宝生流の役者の常として、袖の扱いに洗練さを欠く点。キリ「思ひ出づれば我ながら懐かしく」と正中に立ってクモリ、思い入れるところで、背筋でクモルのではなく顎でクモル感があって外面的だった点。完成度が高くなればなるだけ、細部にはより細心でいなければなるまい。
また、後シテが緋大口の上に纏った紫地に破レ業平菱の長絹は、〈井筒〉〈杜若〉の「制服」のようで、あえてこの能で着用しなくとも良いように思われた。

それにしても、金井雄資会心の一番である。

山本泰太郎の間語リは重いというより暗い。位取りを誤り、調子が張らずに滅入ったためだろう。大鼓・安福光雄が雑に聞こえた。先述の三川泉〈羽衣〉における亀井忠雄のような細心さを学ぶと良いはずだ。

1月15日(日) 午後1時半 銕仙会1月定期公演 宝生能楽堂
◆〈翁〉
翁:観世銕之丞/千歳:観世淳夫/三番三:山本東次郎/面箱:山本則秀/笛:藤田六郎兵衛/小鼓頭取:大倉源次郎/脇鼓:田邊恭資・飯冨孔明/大鼓:柿原祟志/地頭:野村四郎
◆狂言〈佐渡狐〉
シテ(佐渡百姓)山本則俊/アド(越後百姓):山本則秀,(奏者):山本則重
◆能〈箙〉
シテ:谷本健吾/ワキ:殿田謙吉/ワキツレ:坂苗融・大日方寛/アイ:山本凜太郎/笛:寺井宏明/小鼓:幸正昭/大鼓:柿原光博/地頭:浅井文義
◆能〈鷺〉
シテ:浅見真州/ツレ:片山九郎右衛門/ワキ:宝生閑/ワキツレ(大臣):宝生欣哉,(従臣)宝生朝哉・坂苗融・大日方寛・高井松男,(輿舁):殿田謙吉・平木豊男/アイ:山本則俊/笛:一噌庸二/小鼓:幸清次郎/大鼓:亀井忠雄/太鼓:助川治/地頭:山本順之

例年吉例の銕之丞の翁大夫。翁之舞に掛かるところ「そよや」で絶叫に近く凶暴になる。少し息を溜め声に発散しないようありたい。今夏〈猩々亂〉を控えた淳夫は稽古のしどころである。

東次郎の三番三、折々咳き込んで気の毒。そのせいか揉ノ段は本来の調子が出なかっただけに、顔や所作など細かな部分の表情が際立った。老練の味がモノを言う鈴ノ段では、同じ動線をジックリと動き重ねるうちに、その線を次第に深く切り裂いてゆくようだ。本当の修業を積んだ力量は、たとえ不調でも、年を取っても、やはり紛れないという例である。

このメンバーでの〈佐渡狐〉は、ちょっと辛い。
ことに若い則重が奏者では型通りのことをこなしているというだけのことで全体に膨らみが生ぜず、よく調いはした稽古狂言を見ているようだった。

勝修羅三番と言うものの、格調の点で優れた〈田村〉〈八島〉に比べ、〈箙〉は軽い能で取りどころがない。中堅以上の主だった役者はまず手掛けない曲だから、若手の谷本は現時点で一応の成果を挙げておかないといけない、ということになる。

素質と意気込みに有望なものを持っている谷本。近年、期待にそぐわぬ粗雑な舞台を見せることもないではなかったが、今回は初会の出番とて、全体に張り切った好演。
前シテの出のハコビの吸い付くような粘り。居グセの間は胸が張れ背筋も伸びてなかなかの姿態。
梅花の香気と言っても、ありきたりな平太(今回は近江の名作)以外に使用面は考えられない能だし、枝葉末節に凝る訳にもゆかず、ただ太い一本の線を引き、そこに総てを託す以外にない。能役者にとってそうは思い入れや深読みのできない作品。最も批評しにくい演目の一つでもある。
とは言うものの、谷本の具える一種の野趣ある個性は、この能で確かに有利に働いた。

高校生の凜太郎が間語リをするようになった。丁寧に憶えて一生懸命に勤めている。

堂本正樹が二世梅若實、十四世喜多六平太、野口兼資、この3名人の〈鷺〉の中で梅若實を最も評価していたのは、ただの動物描写ではない、言語化できない役者の「存在感」に徹するでもない、そこにひとつのドラマを看取したからである。

つまり、われわれにとって〈鷺〉とはいかなる能であるのか。

今回は淺見眞州の初役である。
鷺ノ亂の五段目最後に右膝をついて下に居、扇の要元を逆さに持ち、留メの六段目に移るところでキッと正面を向いたイキが面白かった。単なる無心とか、鳥の心もち(そんなものがあるのか......)とかではない。周到な計算で舞い募る淺見眞州という男の「意志の顔」がそこに見えたからである。

スタイリッシュな淺見だが、私もやはり、前記3人のうち二世實に最も近いように想像した。濃密な三番目物を得意とするこの人が非人間的な能でもある〈鷺〉を舞ってどうなるのか、見る前はおよそ見当がつかなかったのもそれが理由だった。

今回、私は非常に面白かった。

舞が綺麗だとか、動きが安定しているとか、こんな単純な曲にそんなことは何の難しい問題でもない。大切なのは、動物の姿態を描写する〈鷺〉という能であっても淺見眞州は淺見眞州の「能」を演じていた、ということだ。
これが関根祥六のように、帝王と対峙する鳥、双方の生命の対等性の表現まで至れば大したもので、これは、確かに偉大な成果だった松本惠雄の〈鷺〉では考えられないドラマである。そして祥六その人は、何ら劇的な演技もしていなければ、芝居を見せていた訳でもないのだ。

淺見がもっと年を取って、それこそ良くも悪くも「どうでもいい」境涯に至ったら、どんな〈鷺〉を見せてくれるだろうか。

王=醍醐天皇の九郎右衛門は、萌黄地丁字立枠菊桐文様の単狩衣に緋指貫を穿いたが、指貫が無紋なのは気になった。貴人が無紋を着用することはあり得ないからである。
もっとも、緋の指貫自体〈三輪〉〈葛城〉など能独自の発明品で、有職としては存在しない。

中世の天皇が常用したのは緋長袴に白地で丈長く作った特別の直衣を着る「御引直衣(おひきのうし)姿」。別に、普通の直衣に緋長袴を着用した絵も残されている。長袴はもともと女子の料だから、これは天皇の一種の女装化である。
現在も即位大礼および大嘗祭の期日奉告のため「神宮神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に勅使発遣の儀」においてのみ、天皇は立纓の冠に御引直衣姿で臨まれる(今上陛下の場合は平成2年=1990年1月23日で、テレビ等でも報道されたその光景が忘れ難い)。
だからと言って、この能のツレが緋長袴で出るわけには行かないだろうけれども。

閑のワキ、最初はちょっと老いの影が深かったが、動き始めてからは大したもの。ワキツレに子と孫を従え、初めての三代共演となったのはめでたい。

1月22日(日) 午前10時半 片山定期能1月公演 京都観世会館
◆能〈小塩〉
シテ:味方玄/ワキ:原大/ワキツレ:有松遼一・岡充/アイ:松本薫/笛:光田洋一/小鼓:吉阪一郎/大鼓:谷口正壽/太鼓:前川光範/地頭:梅田邦久
◆狂言〈酢薑〉
シテ(酢売):茂山良暢/アド(薑売):茂山正邦
◆能〈鉢木〉
シテ:片山幽雪/ツレ:分林道治/ワキ:宝生閑/ワキツレ:御厨誠吾/アイ(早打)茂山童司,(下人)茂山正邦/笛:藤田六郎兵衛/小鼓:大倉源次郎/大鼓:河村総一郎/地頭:片山九郎右衛門

1月25日(水)午後6時半 国立能楽堂狂言の会
◆狂言〈松脂〉
シテ:山本則俊/アド(何某):山本東次郎,(太郎冠者):若松隆/立衆:山本泰太郎・山本則孝・水木武郎・山本凛太郎・山本則秀/笛:一噌幸弘/小鼓:森澤勇司/大鼓:柿原弘和/太鼓:徳田宗久/地頭:山本則重
◆狂言〈連歌盗人〉
シテ:三宅右近/アド:石田幸雄/小アド(亭主):野村万作
◆狂言〈茶子味梅〉
シテ:野村萬斎/アド(妻):高野和憲/小アド(教え手):深田博治/笛:一噌幸弘/小鼓:森澤勇司/大鼓:柿原弘和/太鼓:徳田宗久

1月28日(土)午後1時 国立能楽堂企画公演 ~観世文庫創立20周年記念~世阿弥自筆本による能
◆狂言〈清水〉
シテ(太郎冠者):茂山千五郎/アド(主):茂山正邦
◆能〈難波梅〉 ※節付・型付・演出:梅若玄祥・観世清和/監修:松岡心平
シテ(老人・王仁):梅若玄祥/後ツレ(梅の精):梅若紀彰/子方(稚児):観世三郎太/ワキ(臣下):殿田謙吉/ワキツレ(従臣):大日方寛・御厨誠吾/アイ(末社の神):茂山七五三/笛:松田弘之/小鼓:鵜澤洋太郎/大鼓:安福光雄/太鼓:小寺真佐人/地頭:観世銕之丞

2012年3月27日 | 能・狂言批評 | 記事URL

このページの先頭へ

©Murakami Tatau All Rights Reserved.