批評

八世観世銕之亟靜雪十三回忌追善能

2012年6月30日(土) 午後1時半 銕仙会特別公演・八世観世銕之亟靜雪十三回忌追善能 観世能楽堂
◆連吟〈海士〉シテ:鵜澤久/子方:鵜澤光/地頭:清水寛二
◆能〈姨捨〉
シテ:観世銕之丞/ワキ:寶生欣哉/ワキツレ:大日方寛・御厨誠吾/アイ:山本東次郎/笛:藤田六郎兵衛/小鼓:大倉源次郎/大鼓:亀井廣忠/太鼓:観世元伯/地頭:浅井文義
◆仕舞〈融〉観世喜正/〈船弁慶キリ〉片山九郎右衛門
◆一調〈勧進帳〉大鼓:亀井忠雄/謡:観世清和
◆狂言〈無布施経〉シテ:野村万作/アド:石田幸雄
◆仕舞〈花筐クルイ〉大槻文藏/〈景清〉片山幽雪/〈野宮〉梅若万三郎/〈西行櫻クセ〉梅若玄祥/〈當麻〉観世喜之
◆能〈猩々亂〉
シテ:観世淳夫/ワキ:寶生閑/笛:一噌仙幸/小鼓:観世新九郎/大鼓:柿原弘和/太鼓:金春國和/地頭:観世銕之丞(追加〈東岸居士キリ〉)

舞台の成果は、まず当代銕之丞の〈姨捨〉初演。

爆発的なパワーを持ち味とする銕之丞は、今日は曲が曲だけにその持ち味を隠し、むしろ不器用に徹して訥々淡々と2時間半を費やし丁寧に一曲を辿った。
とはいえ、以前〈野宮〉や〈西行櫻〉のように静謐な曲で見せたすばらしい充実度ともどこか違う、自分を飼い馴らしたような手加減をも感じて、正直、不愉快ではないものの必ずしも理解でき満足できる〈姨捨〉ではなかった。

いま「飼い馴らした」と称したが、これは身体の追い込み不足が散見されたためでもある。
たとえばクセ。
同じ型で、昨年まことに絶技というべき造形を見せた山本順之と仔細を比べれば明白だ。「蓮色々に咲き交じる」と大小前から三足ほど正面に進みつつ足元を追って面を使う部分。順之は強靱なカマエと厳しい面づかいと悠然たるアユミによって無熱池に咲き乱れる青蓮華の幻想を舞台板に刻印したけれど、銕之丞のここにそうした描写力は感じられない。
「ある時は影闕くる」で角柱を向いて脇正面に立ち扇で面を隠す部分でも、順之のかざした扇、伸ばした腕と背筋と腰の線、それぞれが舞台空間の見えない骨格と一体となったかのような広がりを示したのに比べ、銕之丞の身体にそうした構築性は浮かび上がらない。
要するに、型が甘いのである。

ただ、先日の高林白牛口二の〈伯母捨〉の折にも考えさせられたように、特に老女物の如く人生そのものを賭けて臨む演目の場合、いかなるかたちであれ技術的表現力を下支えする能役者の人間性そのものにわれわれの目が吸い寄せられる。時として微妙な印象評に傾きもするそうした見かたで今日の舞台を考え直した場合、銕之丞の〈姨捨〉には型の甘さを超えた「ある種の魅力」が濃厚に漂っていたことも確かだ。

だが、真の意味での技術性・身体性の達成に依らず、「人間性の魅力」に依拠し〈姨捨〉を世に問うとなれば、今年56歳の当代銕之丞、ちょっと若すぎはしないだろうか?
〈野宮〉や〈西行櫻〉で示し得た強靱な身体の静止感覚が〈姨捨〉でほとんど見られなかったのはどういうわけか?
そもそも、この年配で〈姨捨〉を演ずる意義は、果たして何か?

そんなこと(つまり「能〈姨捨〉を見る際に根源的なこと」)を考えさせられた一番だった。

冒頭、ワキ・宝生欣哉、ワキツレ・大日方寛と御厨誠吾が橋掛リを出て来るにつれ、その場の空気が丸ごと動き寄るような錯覚があった。3人のハコビが内的に良く揃っている充実。
東次郎の間は十全の一級品。リアルな衰死を語る大蔵流台本の描写を客観的に、露悪に傾かず、冷静に聴かせる無常感。
地謡は地頭・浅井文義の右と左に副地頭・片山九郎右衛門と観世喜正が就く。山本順之・浅見眞州はもちろん、清水寛二・西村高夫ら中堅も除き、浅井を軸にあえて若手(ほかに柴田稔・馬野正基・浅見慈一・長山桂三・谷本健吾)で固めた地組みに今後の銕仙会の能へひとつのヴィジョンを思ったが、随所で発音が汚く、表情を外面的に強調しすぎる部分が多かったのは問題である。

トメに観世淳夫の〈猩々亂〉初演。
向上の度合いを評価したいと思う半面、身体修錬上もっとも肝腎な点をなおざりにしたまま稽古を重ねてはいないだろうか?私の見るところ、たとえば亂の随所で、一挙手一投足が理に適っていないのだ。
稽古不足と評することは簡単だが、むしろ懸念されるのは「教わり不足」より「教え不足」のほうだ。「今は基本的なことをシッカリ教え込む力量を具えた大人が少ない」と亀井忠雄が折に触れて口にする指摘が想起される。

野村万作の〈無布施経〉は至藝。丸出しの人間性の中に和泉流三宅派台本の性格付けである品の良さがシッカリ腰を据え嫌味がない。優良檀家を持つ僧は社交感覚が洗練され、身に付いた文化的品性も必須だが、万作はその点まったく遺漏がない。煩悩のすがたを充分描写しつつも、決して露悪に堕さない。

他の演目の中で耳目に残ったのは、ベテランの仕舞5番の地謡が山本順之・浅見眞州を軸とした旧銕仙会の実力の片鱗。一調〈勧進帳〉は巧緻を極めた亀井の大鼓に体当たりで臨む清和の謡。
冒頭の〈海士〉連吟は、女声2人が実に役柄に嵌まった良い謡を聴かせたうえ、学生出身ながらも寿夫晩年に入門し靜夫の熾烈な指導を受けた清水寛二・西村高夫が軸となって岡田麗史・北浪貴裕・安藤貴康・観世淳夫を従えた混声に追善の志が横溢。
ひょっとすると、この日もっとも胸を打ったのはこの〈海士〉の連吟かもしれない。

2012年7月 1日 | 能・狂言批評 | 記事URL

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