2011/2/4 大雪でした。 | 好雪録

2011/2/4 大雪でした。

立春のお祝いを申し上げます。

今年の裏日本は近年にない大雪で、ご多分に漏れず私も難渋。
1月31日に新潟まで出たところ、その先の列車が動かず、代替のバスが仕立てられ、3時間半ばかり揺られて鶴岡に着き、そこから黒川に入ることができました。
ですから、難渋と言っても予定経路が異なったばかり、ただ数献を重ねつつ椅子に腰かけていれば良かっただけで、暗澹たる雪景色も鉛色の日本海の怒濤も車窓から存分に眺めることを得ました。

黒川能は、2月1日から2日にかけて徹宵で演ぜられる能・狂言を中心とする。今年は上座と下座ともに当屋ではなく公民館を借りての公演。居住事情から、今後はこうした例が多くを占めるものと考えられる。

番組は下座の二番目に据えられた〈一角仙人〉を除き、例年に比して変化のないもののように思われた。この2月1日は、折々吹雪いたほどの大雪。
明けて2日が黒川の正月。一転して浅黄色の透ける空は麗か、深雪の中にも確かな春の到来が思われた。

この日は春日神社の拝殿で恒例奉納の脇能二番と式三番があり、近年私はこれを中心に見ている。午後だいぶん遅く、三番叟にかかる時分、続く競争神事「棚上がり尋常」に出勤の若者たちを中心に大声を立てて気勢を上げ、そこに鈴ノ段の長閑な囃子と足踏みの音が絡むのが実に印象的だ。

黒川能と通称される王祇祭は、地方民間の祭礼の中でも際だって贅沢な祭である。同時に、礼を尽くし儀を整えること、まことに密な祭事である。

先達の馬場あき子さんが昔、亡くなった金春信高氏と一緒に列した時、居並ぶ村人たちを見た信高氏が、「肩衣を着けた男たちがこんなにたくさん集まっているところを、今まで見たことがない」と嘆じたという。
肩衣姿ばかりでない。老若を問わず、儀式の随所に決まった口上や禮式があり、これを厳格に守らないと、村人たちから叱責の声が飛ぶことも珍しくない。

とはいえ、ここは祭の場である。食べ、飲み、声高に談笑し、そうした中に能があり、神事がある。その振幅の大きさが、黒川能を尽きせず魅力的なものにしている。

祭は現地の人のもので、私のような外来者は「まれびと」の本分を守り、常に慎んでいる必要がある。「まれびと」の分を越えることは甚だ僭上の沙汰であり、祭の本義を解せぬ所業である。
その「まれびと」の座にあって感を得るところのものが、日ごろ私が舞台に接するにあたり有意義な何物かとなる。

それは何か。

それは、皆さんが黒川の地に足を運び、祭酒の醉眼を通じて実見し、実地に体感して頂きたい、と言う以外、ない。


2011年2月 4日 | 記事URL

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