2011/3/14 戦々恐々 | 好雪録

2011/3/14 戦々恐々

震災後の混乱は、安易な予想を軽く超えました。
原子力発電所の変事を加え、まさに戦後未曾有の国難であります。

大海嘯に遭われた無数の方々のことを思うにつけ、言葉もありません。
惨事が報ぜられた地域に顔見知りの方がおられるだけに、他人事とは思われません。

東京でも強い余震の心配があり、まさに戦々恐々たる日々を送っております。

もっとも、この「戦々恐々」は、本来の意味ではないように思います。
この語の出典は『詩經』小雅。本来の用字は異なります。
原典には「戰戰兢兢。如臨深淵。如履薄冰」とあり、「せんせんきょうきょう。しんえんにのぞむがごとく。はくひょうをふむがごとし」、つまり、「深い淵に面する、薄い氷を踏みしめるように」、常に細心の注意を払う心根のことを意味します。

すなわち、出典に則するかぎり、現在ふつう意味するような、ただ「恐れおののくさま」ではありません。

これは、周王室宗家が滅びるきっかけとなった幽王(紀元前781年~71年在位)の悪政を憂いて詠まれた詩句で、この王の寵愛した褒姒は能〈殺生石〉に言及されますし、安田靫彦の代表作〈日蝕〉に描かれて著名。

つまり、「戦々恐々」「薄氷を踏む思い」とは、幽王に欠けていた、ほんらい為政者が心得ておくべき周到細心な心がけを指す語であります。

明確なソースをいま失念しましたが、昭和天皇が側近との会話で、「私は常に薄冰を履む思いでいる」と漏らされたというのは、『詩経』原典に照らして正確な意味でした。

この非常時に要らざる言葉詮索ではありますが、こうした時こそ、指導的立場にある人の、「戦々恐々」「薄氷を踏む思い」が是非とも必要だと思います。
とはいえ、一部被災地では首長あるいはそれに準ずる人々を失った場所も数ある様子。
実にいたましいことでありますし、それだけに、残された一人ひとりの力がなにより大切でありましょう。

これは、当地・東京でもまったく同じ。
夜が明けてから、前代未聞の計画停電が順次実行されるとのことであります。
こうした時は相身互いですから、自分の身の回りだけでも、せいぜい混乱のないように対処したいものだと思っています。

2011年3月14日 | 記事URL

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