2011/3/19 春在枝頭已十分 | 好雪録

2011/3/19 春在枝頭已十分

片山襲名披露能観覧の京都日帰りを無事済ませ、先刻帰宅。

岡崎の観世会館で能が終わると、よほどの悪天でないかぎり白川沿いをゆっくり歩き、時間があれば新門前の道具屋で茶を喫して帰るのが常である。
午後6時前、まだ残照の時分、そうして道を辿ると、川縁に並ぶ柳がちょうどよい具合に芽吹き、文字どおり青柳の糸垂れる風情で美しかった。櫻の莟も十分ふくらんでいる。

そんな京都で、今日は一服ではなく浅酌しながら女将と話していると、いかに今回の諸災厄に関して影響や風評が甚だしいか、思い知らされることが多々あった。
4月の都をどりは、関東・東北だけでなく中国人観光客のキャンセルが続出している由。また、今年は法然上人・親鸞聖人の両遠忌に当たるものの、それと兼ね合うはずの観光客誘致がなりそうもなく、ともかく大打撃だというのはもっともな話だった。

そんな中、能楽堂でも酒亭でも幾人となく聞いたことがある。
「天皇さんも、もう京都に来てはるんやて」。
なまじ現実味を帯びているだけに、「えーっ」と驚きたいところだが、これはあり得まい。

先日のヴィデオメッセージに各方面から大きな反響が寄せられているのも、そこから感ぜられる陛下の人間性はもちろんだが、やはり、天皇という存在の発信する力の大きさゆえだろう。

これは天皇が、「どんな時にも逃げない」、不動の平常心の象徴として機能した感動だと思う。
何よりも陛下ご本人、それを最も自覚なさって、そうされたに相違あるまい。

先の大戦の時、ジョージ6世夫妻は猛爆下のバッキンガム宮殿を離れなかった。昭和天皇・香淳皇后は防火建築の仮御所から動かず、炎上する大宮御所で九死に一生を得た貞明皇后もやはり東京に踏みとどまった。
勝敗の差こそあれ、戦後両国の王室・皇室が戦前以上の支持を得たのは、君主が「どんな時にも逃げない」ことを身をもって示した事実が大きな理由となっているだろう。裏返せば、これが真のトップの宿命であり、存在意義のはずである。

もっとも、今回は原発事故という前例のない椿事である。爆撃は避けられても、放射能の害は避けられない。したがって、こうした「風評」が立つのもある意味で致し方ない。

だが、よしんば「京都遷幸」ということになるにせよ、それにはそれなりの手続きがある。
総理大臣が明確な政府見解を示し、正々堂々とお勧めし、万端取り計らわねばならない。
もちろん、その社会的影響は甚大であろう。
とはいえ、その場しのぎに秘匿したところで後日それが発覚したら、それはもう、天皇制存続の危機につながる。
夜逃げ同然に天子がコソコソと逃げ出すのでは、漢語そのまま「蒙塵」にほかならない。

ちなみに、正式に道を清めるいとまもなく、天子が「塵」を「蒙(こうむ)」りながら慌てて逃走することを「蒙塵」と称する。
安史の乱の唐・玄宗、義和団の乱の清・光緒帝、わが国でも安徳天皇、後醍醐天皇、みな王朝の存亡に関わる一大事だ。

歴史や言葉の重さを正しく考えるにつけ、いろいろな意味で、「天皇さんも、もう京都に来てはるんやて」などと、決して軽々しく言ってはならないのである。

観光資源としての京都の存在意義は限りなく重い。集客力が落ちればそのぶん被災地へ回るべき経済効果も低下する。
ここは風評など撥ねつけるつもりで、花の春の京都にはしっかりきばってお稼ぎ願わねばなるまい。

2011年3月19日 | 記事URL

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