批評

2011/1/9 京都観世会1月例会

平成23年1月9日(日)午前10時半 京都觀世会館
◆〈翁〉 翁:観世清和/千歳:宮本茂樹/三番三:茂山良暢/面箱:島田洋海
◆能〈老松〉 シテ:片山清司改メ片山九郎右衛門/ツレ:河村博重
/ワキ:福王茂十郎/ワキツレ:廣谷和夫・森本幸治/アイ:茂山千三郎
/笛:森田保美/小鼓頭取:林吉兵衛/脇鼓:林大輝・林大和/大鼓:河村大/太鼓:小寺佐七
/地頭:井上裕久
◆狂言〈佐渡狐〉 シテ(佐渡):茂山七五三/アド(奏者):茂山千五郎/アド(越後):茂山あきら
◆能〈羽衣 彩色之傳〉 シテ:杉浦豐彦/ワキ:福王和幸/ワキツレ:永留浩史・中村宜成
/笛:杉市和/小鼓:曾和博朗/大鼓:石井保彦(石井喜彦休演)/太鼓:前川光長/地頭:林喜右衛門
◆能〈岩船〉 シテ:河村和貴/ワキ:小林努/ワキツレ:有松遼一・岡充
/笛:左鴻泰弘/小鼓:伊吹吉博/大鼓:井林久登/太鼓:井上敬介/地頭:味方玄

最初に強く述べておきたいのは、「翁付脇能の開曲に音取置鼓を奏せず、礼ワキの所作を欠くのは非法である」という大原則である。この日の〈老松〉は、その「非法」に拠った。

いささか事情を察しもするが、やはり、舞台に接するに理想をもってしなければ、批評者としては藝能の真価に対して申し訳が立たない。

これについては専門的な知識が前提となるので、翁付脇能とその意義について、ひとこと述べることにしたい。以下の記述の多くは、能をよく知る人にとって不要の贅言であろうから、適宜、お読み飛ばしを願う。

〈翁〉を伴わない常の脇能は、勢いのよい笛のヒシギ(最高音の最強吹奏)に始まる真ノ次第の囃子で開曲、ワキが登場する。〈鶴亀(月宮殿)〉などアイの立チシャベリで始まる狂言口開の脇能や、〈道明寺〉など常の次第で僧ワキが登場する特殊な脇能もあるが、〈高砂〉や〈老松〉の如き、神能として標準的な脇能だけを単独で上演する際には真ノ次第で始まり、いわゆる大臣ワキが出る。

ところが、翁付の演式、すなわち〈翁〉に連続して脇能が上演される際は、開曲のありようがまったく異なる。

揉ノ段を終えた狂言方が退場、面箱が引かれる。ここで〈翁〉が終わったことになる。役を終えた脇鼓の2人が去り、地謡は〈翁〉のあいだ控えていた後座から地謡座に移動。これらまったくの無音のうち粛々と済まされると、おもむろに笛が音取を吹き始める。ひとしきりして吹き止めば、ひとり床几に掛かった小鼓が独奏で置鼓を打つ。音取と置鼓が交互に繰り返され、やがて同時演奏となり、小鼓の所定の手を聞いて幕が上がり、ワキが静々と橋掛リを出る。舞台に至り、笛のヒシギを合図に平伏一礼(いわゆる「礼ワキ」の所作)、ここで大鼓が打ち出し舞台の空気が一変。嵐の如き急調で真ノ次第の後半を奏して能に入る、という展開である。

以上、煩を厭わず記したのは、音取置鼓と礼ワキの演式は特異な習事に関するだけに、玄人やよほど能を知る観客にしか分からず、結果として、舞台裏の都合で省き変えられる危険性が高いからである。

音取置鼓で始まり礼ワキの所作を伴う翁付脇能の開曲演式は、能の演式の中でも際立って格調高く、また、これでなければ挙げ得ない舞台効果と藝術的意義が伴う。

前の記述をお読み頂ければ分かると思うが、〈翁〉を伴わない、真ノ次第から開曲する脇能単独の演奏は、初めから極めて勢いが良い。〈老松〉のように老体のシテが出る能でも、脇能である以上これは変わらない。

が、翁付となると、開曲の囃子事の雰囲気が全く違う。

まずは〈翁〉の後の静寂。そこに、密やかな低音から吹き始める音取(真ノ音取)の笛が、夢のように湧き起こる。これに、晴れやかな掛ケ声による小鼓の円転滑脱な独奏が応える。両者反復の中から次第に能の雰囲気が醸成されて、極まるところ、笛のヒシギと大鼓裂帛の気迫によって清泉奔出し瀧となって落ちるかの如く真ノ次第へ激変、脇能に移る。

つまり、脇能単独上演と翁付脇能と、両者の開曲効果は動と静、陽と陰、両極と言って良いほど異なるのだ。

翁付の脇能が始まるのを客席で見ている長閑な心持ちは、実に何とも言われないものである。能を見るものに取って、実に至福のひとときと言う以外にない。
また、笛方に取って音取は、小鼓方に取って置鼓は、それぞれの技藝を最も端的に示す腕の見せどころである。

〈翁〉と脇能とは、演目の性質上、本来全く別物である。この別物を「翁付」として連続し演ずる場合、音取置鼓は絶妙の緩衝となって、別個の両者をつなぎ合わせる。
また、ワキ方はもともと〈翁〉には無関係の存在である。が、音取置鼓で登場、非演劇的かつ儀式的な礼ワキの所作で舞台に入ることによって、既に済んだ〈翁〉の余韻に同化した上、新たに真ノ次第の力で脇能中の人物へ変身できる。音取置鼓に伴う礼ワキの所作は、ワキ方を〈翁〉と脇能との連携のなかに有機的に取り込むため必須の行為なのである。

演劇的にも藝能的にも、翁付脇能はこのように演ぜられなければ、あたかも木に竹を接いだようになって、連続上演の意義は消滅する。つまり今回のように、〈翁〉が済み、音取置鼓を省いて、常の脇能のように真ノ次第を囃すと、〈翁〉と脇能〈老松〉が分断され、相互の関係が途絶してしまうのだ。

それならば中に休憩を入れ、それぞれ別に演ずれば済むだろう。この日のように内実が分断された〈翁〉と〈老松〉に、〈佐渡狐〉(これも厳格な意味では例外的な脇狂言である)まで続演、3時間20分ものあいだ観客を座席に縛り付ける必要はない。ちなみに、音取置鼓はキチンと勤めても5、6分そこそこで済むものである。

以上の理由で、〈翁〉と脇能を連続上演する際に音取置鼓を奏せず礼ワキの所作を省くことに、私は強く反対する。
2008年9月3日の国立能楽堂25周年記念能初日、観世流〈繪馬〉が翁付で出た際、やはり同じ問題が出来、私はこれを指摘したことがある。現実的には公式非公式さまざまの「理由」あっての処置だろうが、古典藝能、特に周年や正月といった節目の晴れ舞台では、藝術的にも伝承的にも意義あるオーソドックスを崩さないことがきわめて大切ではなかろうか。
今後、翁付脇能を出す際には、関係各位是非とも一考して貰いたいと思う。

観世清和の翁大夫ぶりは品があり充分に手に入ったものだが、その分、管理職がスピーチをしに来たような日常性も伴う。尋常とはいえ勢いのある宮本茂樹の千歳。
茂山良暢の三番三。これは上出来である。
鈴ノ段で思い切って腰を曲げ老体を模すのが珍しいが、姿勢が正しく、視線もブレない。ハコビに周到な強さは感じない代わりに、柔らかな足さばきの自由さがある。揉ノ段で激しい掛声を掛けても顔の表情が崩れず、動中静の立ち姿が安定しているのは、修養がホンモノである証左だ。小春日和に干し上げた藁の香りのするような三番三だった。
父の良いところを確かに受け継いだ良暢。忠三郎もさぞかし安堵しているに相違ない。

名高い能の割に、〈老松〉は実質的な稀曲である。〈老松〉好きな私でさえ、この30年間に今回わずか4度目の実見であるに過ぎない。
今年元日を期して十世当主を継いだ九郎右衛門。普段ありがちな力みが見られず、ことに後場の謡が清新で落ち着いていたのはめでたい。姿も舞も整って美しいが、前場クセのあたり、思いなしか緊張が切れて面が左傾し俯いたように見える瞬間があった。後シテは薄萌黄と薄茶の玉虫織のような狩衣に薄茶の大口。初冠に松ヶ枝の挿頭、濃萌黄の日蔭ノ糸を垂らす。河村博重のツレはシテに対して年嵩に見える違和感がある。林吉兵衛の小鼓頭取。味のある打ち手だけに置鼓が聴きたかった。
間狂言の千三郎はあとから登場するのではなく、早々と叮嚀に真ノ次第でワキ・ワキツレと共に出て橋掛リ狂言座にずっと控えている作法。間語リの中で「紅梅殿」を「コウバイデン」、「菅丞相」を「カンソウジョウ」と言っていたのは疑問。前者は能に照らし合わせれば「コウバイドノ」である。後者は明らかに「カンショウジョウ」の間違いで、これでは「菅僧正」だろう。

大槻能楽堂新春能で私が疑義を呈した茂山家の狂言。さらに味付け濃厚なこの日の〈佐渡狐〉だが、ボケがいず3人みなツッコミという態の熱演は、確かに面白いこと無類。長時間かしこまっていた見所の緊張をほぐし、頤を解いてくれる効果は大いにある。
が、3人とも随所にコトバの言い淀みが多く、またそれぞれ持ち場を離れると身体が遊び、目が死んでしまうのはどうしたものだろうか。

私は茂山家の狂言が好きで、まだ東京への来演も少なかった昭和の末年も折あらば逃さずにいたし、京都にしばしば見にも行った。手控えを見つつ当時を思い起こすに、多少老衰の兆した最晩年の先代千作は例外としても、当代千作と故人千之丞はまだまだ元気横溢の破天荒ではあったが、こんにちの茂山の狂言に見るような「コトバの言い淀みが多く」「それぞれ持ち場を離れると身体が遊び、目が死んでしまう」ということはまずなかった。
個々の役者が自身厳格に、藝のイキを詰めて掛かれば、どんな悪ノリも当座の興として楽しめるはずである。その締めくくりに欠けている現在の茂山家の狂言に、私は深い危惧を抱く。
藝の融通無碍とは、「コトバや謡を間違えない」「間を外さない」「仕事のないところで息を抜かない」「素の人間性に寄り掛からない」、この4点を厳守することによって保証されよう。これは、能・狂言が(悪い意味での)民俗藝能に陥らないため、絶対に守らなければならぬ要件だと思う。

あきら演ずる越後百姓が御館に参入、奏者に気づかず誰何する。この時、半身に構えて奏者を見下し、脅し付けるような勢いで「こなたは誰ぢゃァー?!!!」と気負うのには驚いた。客席はウケていたが、幾重にも腰を折って参入するはずの主家の館で、一介の農民がこのようにケンカを売る態度を示すだろうか。
もっとも、この種の過剰な演技も、さきほど言った4点がキチンと守られてさえいれば、時宜による即興性として首肯され得るだろう。
私が茂山家の現在を惜しむのは、こうした点にあるのだ。

〈羽衣 彩色之傳〉の杉浦豊彦は背中が美しく、藝にも華がある。ことに序ノ舞が良い。三段目で袖を扱って角柱に背を向け、また向き直るあたり、動きと静止の呼吸が自然で、舞がよほど身体に入っているのが分かる。重ねて見たくなる役者である。
彩色之傳では袖をかづく型が多いが、これらも失策なく上出来。この型が要注意なのは、ちょっとでも不都合があると、そのわずかの空隙に役者の不用意な素顔が露呈してしまうからである。

〈羽衣〉の前後に片山幽雪〈采女 キリ〉を含む仕舞7番。
トメに祝言〈岩船〉。河村和貴はハコビがやや粗雑なものの、頓着なく動く思い切りを買おう。「勅も重しや」で地謡と囃子の間がズレ、ノリが崩潰しかけたのにはヒヤリとした。大鼓の井林久登は素手で打ったが、見掛け倒しではない正真の気迫籠った音色を保持。大いに敬服させられた。

小林努、有松遼一、岡充、3人のワキ方がまことに有望だ。

ワキ方の素質と見識が露呈する何気ない挙措進退が引き締まっている点、下居姿の視線が動じないことなど、この短い祝言能でも舞台行儀の良さは際立っている。人材の限られた高安流ワキ方ゆえに貴重というに限らず、舞台人として若手有為の人材である。周囲で盛り立て、今後の大成活躍を切望する。
たとえば東京に国内留学、2~3年いろいろな舞台を経験してもらうことは不可能だろうか。京阪に比べて圧倒的に舞台数が多く、厳しいシテ方や囃子方の数にも勝る東京で揉まれることが、今後どれだけ彼らのためになるか分からない。
京阪のワキ方といえば、専業で生活を支えるのは現実問題まず無理だろう。何か奨学金の便宜でもあらば、東西往復の融通をしてでも東京で修養の場を持ってほしいものだと、彼らの好舞台を惜しむばかりで恒産とてない私は、無責任ながら本気で夢想する。

2011年1月12日 | 能・狂言批評 | 記事URL

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