批評

2011/1/22 国立文楽劇場 初春文楽公演第1部

1・〈鶊山姫捨松〉中将姫雪責の段 
前:千歳大夫・清介/切:嶋大夫・燕三(清友休演) 胡弓:龍爾
/中将姫:文雀/岩根御前:玉也/廣嗣:勘緑/豊成:勘壽/浮舟:清五郎/桐の谷:簑二郎
2・〈傾城恋飛脚〉新口村の段
口:靖大夫・寛太郎/前:呂勢大夫・清治/切:綱大夫・清二郎
/梅川:紋壽/忠兵衛:和生/孫右衛門:玉女/忠三女房:一輔/八右衛門:紋秀

文楽のレベルが極めて落ちているのが憂慮に堪えない。

津大夫、越路大夫の在世中はまだしも、〈九段目〉〈道明寺〉を満足に出せない現在、はたして何をもって藝の規範となせばよいのか。

住大夫を名人視する一部の風潮に、私は賛成しない。
少なくともそういうことは、「住大夫が越路大夫をどの点で超えたか」という説明が論理的になされ得ない限り、言うべきではない。

二代目團平、初代玉造のことは考慮に入れながら、それでもやはり、摂津大掾、山城少掾はおろかそれ以前から、文楽の軸は浄瑠璃であり、その藝の基準は厳然たるものである。藝人一個人の個性など、大抵の場合吹けば飛ぶようなものであることは、たとえば其日庵秋霜烈日の言説を引くまでもない。

山城以後の文楽の藝評は、四代目津大夫と四代目越路大夫の総括を試み尽くしてから、なされるべきである。現在の文楽を取り巻く「ある種の活況」は、これらつい近過去の先人たちをあたかも無視するが如き浮説に基づくもののように、私は考える。

〈雪責〉は至難の語リ物である。摂津大掾以来、充分に語りこなした大夫はないのではあるまいか。
六代目土佐大夫(1863~1941年)のような美声を売り物にする、いわゆる「声屋」の演目としては確かに人気があった。三代目相生大夫(相生翁・1888~1976年)以来、越路大夫が僅かに勤めたが住大夫は手掛けておらず、遡れば山城も語っていないのではないか。現在では、1991年12月初役以来の看板藝として上演を重ねた嶋大夫の出し物ということになる。

もともと声が魅力の人の声が衰えたことは大きく、その苦しさもあろう、「梢の(雪がひと積り)」「手足も(痺れ身も縮み)」といった高音を遣う部分で見台につかまって身をよじる度合いが以前よりも高くなったのは、この出し物に必須の品格を落としてよろしくない。

〈雪責〉は実に凝った作曲になっている。それだけあって、節のひとつひとつを丹念に語り出す必要がある。
今回の嶋大夫は、最初の説教ガカリ「あら勞しの中将姫」、同じく「昨日までも今朝までも」、続く文彌節「勞りかしづく身なりしに」など、充分な余裕をもって語りこなしたとは言えない。
その反面、さりげないコトバや節に表情を籠める。
「(赦させ給へ)母さま」での泣き入り。責メ場の前「西風の吹く時は彌陀の御國のお迎ひと、思へば呵責も辛からず」。死んだふりをして、「あとで知れても大事ないかや」の言葉尻「かや」の音。こうしたところに分かりやすい感情、あるいはあどけない姫ぶりを濃厚に語り籠め、ことに「西風の吹く時は」の件は涙を誘う部分だが、いずれも声の不足を補う代用の味付けという傾きがあるのは否めない。ただし、責メ場での苦悶の声はさほど派手でなく(こうしたところで浪花節になりやすい)、結構ではある。

嶋大夫の魅力は、個々の語リ物に具わる様式性を踏み越えてでも=其日庵的には許されない恣意に傾いてでも、客席の聴衆の心をつかもうとする現実主義である。その意味では、声は衰えても、嶋大夫の〈雪責〉はひとつの「藝」にはなっている。

ただ、浄瑠璃としては、どうか。
華麗な節は安易に歌ってはならず、継子いじめのエグい内容も王代物らしい高雅な格調に収斂されるのがこの〈雪責〉であるならば、〈道明寺〉と同じ覚悟で語り勤めなければならないはずである。その意味で、嶋大夫の〈雪責〉は、もはやストイックな刻苦に耐えない、既に崩れた藝のすがたを示していると言うべきだろう。憎々しく語れば発散できる岩根御前に、案の定、役柄に必須の位取りが欠けたのはその証左である。

どういう理由か清友が休み、燕三が代勤。急な初役とて、覚える当初は大変だったに相違ない。
1987年9月東京・国立劇場小劇場の文楽公演で、先代燕三が休演した大曲〈春日村〉を、当時燕二郎の当代が急ごしらえで代演した時のことを思い出す。〈雪責〉も時間こそ短けれ、これに劣らぬ大曲である。
そんなこともあってか、常は不感症気味な燕三の絃に、今回は客観的ながら体当たりの即興性と、気味合いを量る面白さがあった.

文雀の中将姫は名演と称するに足る。
私はこの人の藝で深く感動したことはこれまでなかった。が、今回はわが目を疑う出来ばえである。

赤姫の着付で引き出される出に隙がなく、受苦の態がよく出ている。
舞台に居直って終始気が抜けず、何ということもない所作に心が籠もる。
たとえば責メ場のあと「ふたりが肩を力草、縋りてやうやう立ち上がり」で左右に控えた桐の谷と浮舟の肩に手を掛ける、その手つきの美しさ。
また、段切に両袖を内に巻き、やはり2人に縋って立った姿の嫋々たる品位。

昔の簑助ならば人間的な感情が多少は過剰に流露しかねないところ、文雀にそのような一種の俗情は皆無である。それでいて、決して気が抜けているのでもなければ、無感情で冷たいのでもない。亡き先代清十郎にちょっと似ているが、清十郎に顕著だった濃い陰翳は文雀にはなく、玲瓏玉の如き充実感がある。すなわち、理想的な中将姫だ。

一体いつから文雀はこのような優れた遣い手になったのだろうか?
それほど、感動的な中将姫である。

千歳大夫は先師・越路に続いて将来この語リ物を修めることだろう。熱演のあまり品格に欠けるのは注意。美音の清介にはすでに切場の位がある。

〈新口村〉は特に評すべきものでもない。
「南無三と、忠兵衛もがけど出られぬ身」など場面の転換でハッキリ語るべきところも、綱大夫はほとんど声が尽きていて聴こえず、したがって全体に音も遣えていない。

段切、「切り株で足突くな」の魂の叫びから、グッとテンポを引き締めて、「届かぬ聲も子を思ふ、平沙の善知鳥血の涙」を急がず、急がずに、ジックリ語り込んだ越路の語リ口が、今も私の耳底にありありと残っている。
「親の手づからどう繩が掛けられうぞ」で、越路がどれほど突っ込んだ藝の切っ先を示したか。こうした「絶対的規範」に照らして、今どう綱大夫を聴けばよいのだろう。

清二郎は地合が弾けるようになった。半面、情なし苦なしの部分も多い。段切は大夫の非力を絃の情で補うべきだ。
時々、建具の入っていない吹き抜けの大部屋を見るような気がした三味線である。


2011年1月31日 | その他批評 | 記事URL

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