本日は宝生能楽堂・五雲会にて金井雄資〈東北〉が優秀な出来ばえ。
「梅の花の香りがするかどうか」などという主情的視点で見ているようではこの能は真価は終生分かるまい、と思わせられる、造形性に優れた三番目物のアプローチだった。
話変わって、表題は銀座の和装小物店である。
天保8年(1837 年)といえば英国ヴィクトリア女王即位の年だが、この年創業の「くのや」は銀座6丁目の目抜きに暖簾を掲げ、毎年大晦日の商い納めには従業員が店の前を綺麗に掃除して水を打つさまが如何にも老舗らしく、頭の下がるものだった。
それが、この1月末で店を畳む由。
HPに告知はされていないものの、既に昨年末に告知葉書が到来、今月になっても店から同様の報せがあったので、虚報ではない。
私は誂えの足袋型がここにあり、閉店されると実に困却する。
神田の足袋屋・いせや閉店の際に型をここで受け継がせた能楽師にも、同じく困る向きが多数あろうかと思う。
日本一地価の高い土地柄。あるいは相続などの問題も絡むように仄聞する。
とはいえ、最大の原因は、和装小物そのものの売り上げの減少だろう。
近年は、正月の歌舞伎芝居に行っても、趣味の良い和服を召したご婦人の姿を見ることは実に少なくなった。和服そのものはある程度目にするが、奇妙キテレツな、いかにも安手なものが増えているのだ。
いや、何も金銭を掛ければ良いのではない。
たとえば色無地ならばさほど値も張らず、その代わり生地と染め色を吟味し洒落た加賀紋でも付け、適当な帯を張り込めば、相応に筋の通った立派な装いが出来上がる。
多くの場合、和服が個人の「我の表現」(「個性の発露」ではない)となって、お金の掛け方をはき違えているように見える。
銀座では近年、ちた和、きしや、この二大名店が暖簾を下ろし、老舗・志ま龜も外堀通りの路面店から縮小・移転を余儀なくされた。
それに続く悲報として、新年早々、和装文化の行く末の心細さをつくづく思わされる「事件」である。
2012年1月14日 | 記事URL