2012/1/5 ともあれ、腰。 | 好雪録

2012/1/5 ともあれ、腰。

「活動記録」に予告しましたように、本日から日本経済新聞夕刊連載「歌舞伎に転生する能・狂言」(1月毎週木曜日)が始まりました。
初回は私の顔写真が入ってお恥ずかしい限り。
来週掲載の2回目の原稿は、いま書き綴っています。

今回の「〈道成寺〉の変容」には、私にとって決して忘れられない〈娘道成寺〉である、故人歌右衛門が最後に勤めた白拍子花子の、亂拍子の件の写真を載せてもらった。 その時はもうだいぶん衰えて一人で全部は踊れず、芝翫と2人立ち〈二人道成寺〉の趣向だったのだが、いま改めて見直すと、この時の歌右衛門の亂拍子、能で言うなら中ノ段で中啓を左手に取り直し、膝を折って斜め上の鐘を見上げた姿の、何と立派なことだろう。 首の角度。背筋。そして何より重心低くシッカリと落とされた腰が、日本舞踊の身体の根幹というものをハッキリと示している。 衰えたからこそ却って顕在化した、最も核心の姿、と言えるだろう。

「腰を入れる」ことは、能の身体の基本。
「腰を落とす」ことは、日本舞踊の身体の基本。
これらがいま、いかに崩れているか。
「腰高」というのは、持って生まれた身体のありようではない。「腰が入っていない」「腰が落ちていない」欠点を言うのである。
現在の、ことに若手の〈鏡獅子〉や〈娘道成寺〉が、いかに「腰高」になっているか。
それでも、見た目が綺麗でカッコイイ役者ならば、すべてが許されるのが風潮というもので、多くの批評もそれに追従しているように見えるのは、僻目だろうか。

さっき見てきた新橋演舞場の夜の部は、〈連獅子〉が富十郎一周忌の追善狂言だったが、亡くなる前年、最悪の身体で千穐楽まで1ヶ月を踊り通した天王寺屋の〈うかれ坊主〉は、衰えたりといえども決して「腰高」な踊りではなかった。
いや、鍛え抜いた舞踊家は、たとえ衰えて身体を矯正する体力は減退しても、ちょっとしたコツや気力で「腰」の一点を低く保つことができるのである。
晩年の芝翫は、その気力が続かなかった。

ともあれ、腰、である。
武智鐡二ならずとも、古典藝能を評する者が、避けて通れぬ問題である。

2012年1月 5日 | 記事URL

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