2012/1/12 歌御會始 | 好雪録

2012/1/12 歌御會始

表題は故実を勘案したもので、「間違い」ではない。
「歌会始」という名称は昭和3年(1928年)以降の新案であることは、存外知られていない。

和歌の皇室における意味合いの重大さは、一般の想像を超えるものがあると思う。
天皇の御製、皇后の御歌、すべて周到な添削・改訂を経て発表されるから、ひとたび公表された歌には、極めて重大な「意味」が籠められていると言ってよい。

本日の「歌会始」(勅題「岸」)の御製・御歌は以下のものだった。

御製:津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる
御歌:帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず

御製は広い意味での「国見歌」である。
ここでは昨春震災後の海を陛下ご自身見下ろされることにより、不慮の死を遂げた無辜の民の魂を鎮めておいでなのだ。
御歌は実に細かな知的発見を糸口に、やはり、あまたの人々の無念の死に思いを致す透徹した理性がありありと顕われている。

どちらも、ベタつかぬ表現の中に、一人の人間としての真摯な思いが満ち溢れる、傑作であると思う。

来年の勅題は「立」の由。
「立」をどう読もうが、どう使おうが、「立」の字が詠み込まれていさえすれば良いのである。
ちょっと考えても、「被災地に立つ溌溂たる若人たちの歌声」とか「生まれてすぐ立ち上がる仔馬のつぶらな瞳」とか、いかにも人の詠みそうな内容が浮かぶが、別に「立川談志という喰えないぢぢい」を詠んだって勅題には適うのである。

2012年1月12日 | 記事URL

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