2012/2/27 「鄭明勲」って誰?  | 好雪録

2012/2/27 「鄭明勲」って誰? 

先日の報道に「鄭明勲氏、北朝鮮楽団を指揮」というのがあった。
指揮者の名前は大抵聞き知っているが、「鄭明勲」って誰?......と思ったら、パリのオペラ・バステイーユで辣腕を揮った気鋭のマエストロ「チョン・ミョンフン」のことであった。
西欧人が大半を占める在外音楽家に準じてか、わが国では「정명훈」をそのまま音写した「チョン・ミョンフン」として紹介され、漢字表記「鄭明勲」は滅多にお目に掛からない。

昔は韓国・北朝鮮人名は日本語の音読みが普通で、朴正熙はボクセイキ、金日成はキンニッセイだった。中国人名は今もそれが主流。胡錦濤をフー・チンタオと呼ぶ人は少ない。
1988年のことと記憶する、在日韓国人の人名呼称を巡る人格権侵害訴訟事件を契機に、ボクセイキがパク・チョンヒへ、キンニッセイがキム・イルソンへ、徐々にではあるがマスコミ報道が確実に原語音写に変わっていった背景には、被併合国へ対する日本人の屈折した迎合意識があろう。根の深い、デリケートな問題である。

朝鮮半島でも、母国語の漢字表記に対する態度に複雑な「揺らぎ」がある。
北朝鮮では漢字を全廃しハングル専用にしているのは周知の通り。最近では「김정은」が「金正恩」であるとなかなか確定されなかった事実からも、このことが実感された。
韓国でも一時期はこれに近い状態だった。
景福宮の正門・光化門はニ度焼けたあと興宣大院君の命で再建され、朝鮮戦争でまたも焼失したのを1972年に復興した際、朴正熙自ら揮毫した額字は「광화문」とハングル表記だった。
一昨年、旧規に従う建て替えに伴って旧額を下ろし「光化門」の新額を掛けたのは、韓国における漢字復権の象徴とも言えるだろう。

西欧で、こうしたことはあまり問題にならない。
他国の都市名も人名も、自国語の綴りあるいは読みに置き換えて済ます習慣が定着しているためである。
『細雪』を繙くと、白葡萄酒の好きな雪子のために貞之助が「バーガンディ」の1本を開けるシーンがある。これは「ブルゴーニュ」の英語読みである。Parisはロンドンでは「パリス」と発音され、ローマでは「Parigi=パリジ」だ。ドイツ人の「Elisabeth=エリーザベト」が英米人の「エリザベス」であることはよく知られていよう(ちなみに、ミュージカル外題としてわが国で定着してしまった「エリザべート」なる発音・アクセントは誤り。ドイツ語の良識を損じた東宝は国家百年の過ちを犯したわけである)。

表意文字である漢字の問題は、アルファベット専用の西欧では想像がつかないはずだ。
政治的・感情的問題は措くとして、漢字使用国が漢字音だけを残して漢字表記そのものを排することは、表意文字から表意性を排することである。日本語から漢字を排除し、すべてカタカナで書き表すことを思い浮かべれば、その不便さと混乱は言語に尽くせまい。事実、北朝鮮は国是としてこれを行なっているわけで、その時、漢字に籠められる複雑・多様な意味性はすべて排除されるから話者・筆者の真意を明確に伝えることが困難になり、誤解を生まぬためには会話や作文が甚だしく単純化されざるを得ない結果となろう。

わが国の韓国語習得も原則としてハングル専用だが、「안녕=アンニョン」とただ教えるのではなく、「『安寧』の韓国語読みである」とすれば、音読みからの連想で頭にも入りやすく、「安寧」の語義からも類推が効いて、結句ハングルそのものの理解も早いのではないかと思われる。

名は体を表すもので、人名には親あるいは本人の「思想」が籠められているものだから、漢字文化圏の人間が漢字を想定して命名する際、やはりその漢字表記が目にあるほうが良い。戦後の一時期、左翼系を中心とした文化人・学者たちが漢字表記を止めてひらがな表記にすることが流行した(表章先生ですら「おもて・あきら」だった)。これは「旧体制へのアンチテーゼ」が漢字拒否の行為として顕在化したものである。背景は異なるものの、それと似た「揺らぎ」が、韓国・北朝鮮では現在も現実問題としてある、というわけだ。

漢字文化の宗家・中国は「まあ、どうぞご自由に」という大人の態度をもって、フー・チンタオでもコキントウでも構わない、というところだろう。

私としては、正確な中国音は写し切れぬと同時に漢字の面影も浮ばない「フー・チンタオ」と勿体をつけるより、「コキントウ」と読んでそのゴージャスな用字を脳裏に浮かべ申し上げるほうがよほど胡錦濤さんに礼を尽くしているように思う。
そんなわけで、「ミョンフン」を「ミョンファン」とか「ミンファン」とか、舌を噛みながらいろいろ読み誤っていたところ、「明勲」と明確な用字を確認してようやく落ち着いたと同時に、これまでは「ビーフン」などあられもない食品を連想していたことが申しわけない、なかなか雄々しいお名前だと一人感心した次第である。

2012年2月27日 | 記事URL

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