批評

2012/2/6 新橋演舞場二月大歌舞伎

2月6日(月)午後4時半 新橋演舞場 中村勘太郎改め六代目中村勘九郎襲名披露 二月大歌舞伎夜の部
1・〈御存 鈴ヶ森〉 ★★★★★
幡随院長兵衛:吉右衛門/東海の勘蔵:彌十郎/北海の熊六:錦之助/飛脚早助:家橘/白井権八:勘三郎
2・六代目中村勘九郎襲名披露 口上 勘太郎改め勘九郎/幹部俳優出演
3・新歌舞伎十八番の内〈春興鏡獅子〉 ★★★☆☆
小姓弥生後に獅子の精:勘太郎改め勘九郎/胡蝶の精:玉太郎・宜生/用人関口十太夫:亀蔵/家老渋井五左衛門:家橘
4・〈ぢいさんばあさん〉 ★★☆☆☆
美濃部伊織:三津五郎/宮重久右衛門:扇雀/宮重久弥:巳之助/妻きく:新悟/戸谷主税:桂三/石井民之進:男女蔵/山田恵助:亀蔵/柳原小兵衛:秀調/下嶋甚右衛門:橋之助/伊織妻るん:福助

5ッ★を付けた〈鈴ヶ森〉は必見。
歌舞伎芝居の、藝というものの、現代で望み得る最も良質なものがこの短い一幕の内にはある。
私は実に久しぶりに堪能し、感に堪えた。

勘三郎の権八の艶やかな美しさ。
特にそのまなざしの精気。

雲助たちを相手に刀を抜き花道に流れ七三でキマルまでの動きは、柔らかさを先に立てたせいか、私としてはもう少し詰んだイキと手強い気組みを期待したいところだったが(これは見る者の好みかも知れない)、斬り合いの型一つひとつの活け殺しの巧さと所作の色気は抜群。
内面に生気を湛えているので雲助たちに埋没せず、紅色の脚絆に鶸色の着付が実に良く映る勘三郎の権八が常に浮き立って見える。藪畳から彌十郎・錦之助・家橘が出て勘三郎が消えた途端、火が消えたように舞台が寂しくなるのは、勘三郎の藝が充実している証拠だ。

長兵衛が出、舞台下手の駕籠の内でセリフがある間、勘三郎は正面を向いたまま目だけキッと下手に向け、その視線を動かさない。
長兵衛が駕籠から立ち出てから、おもむろにまなざしをゆるめる。
そこに顕われる、権八としての厳しい性根。

勘三郎の権八は、その後も、長兵衛に対してなし崩しには気を許さない。

長兵衛が提燈の明かりで抜き身を検める間。
同じく、蝋燭の燈で落とし文を読み進める間。
勘三郎は内に心を留め長兵衛から気を離さず、何か異変があればすかさず斬り掛かろうという気組みを内に籠め続ける。

こうした勘三郎をまったく意に介さず、自分のすることを淡々と続ける吉右衛門の大きさ。
その吉右衛門の無造作な態度に対して一瞬たりとも内部の殺気を絶やさず、いくつかの「心の関所」を越すたびに改めて態度を緩める勘三郎の心用意。

こうした内的なやりとりの行き届いた、藝味の濃い、緊張感に満ちた〈鈴ヶ森〉を、こんにち目にできるとは思わなかった。

この手の役に扮した吉右衛門の口跡の良さは今さら言うには及ばないが、ともかく、良い意味で態度が大きい。
駕籠の内の態度からして、権八の手並みに惚れ込んでいながら、自身は常にその一歩も二歩も先に立っているかのような余裕。

折々向き合うと、勘三郎は吉右衛門の瞳を見据えるようにするが、吉右衛門は(名ワキ方だった故人・森茂好がそうしたように)勘三郎の目から下わずかに視線を外して対する。
その、微妙に喰い違った両者の視線が交錯する中、かえって内的な気脈がぶつかり合う。
この対決の、内に秘めた激しさはどうだろう。

これはひとつには、長年の不和を喧伝されたこの2人の内部に萌す「人間関係」の顕われかも知れない。
だが、もっと大切なのは、勘三郎も吉右衛門も、自分の芝居には決して手を抜いていないことだ。
手を抜いていないどころか、客席の反応すら眼中にないだろうと思わせられるほど、勘三郎も吉右衛門も、自身の芝居に打ち込み、相手の出方を腹で窺っている。

先述したように、精妙緻密に攻め込む勘三郎の権八に対し、表面いなすように見えながら内部でしたたかこれを受けて立つ吉右衛門の長兵衛。
藝の応酬とは、まさにこれを言うのである。

仕事の正しさ。
藝格の高さ。
質量・熱量ともに最高の〈鈴ヶ森〉である。
初代吉右衛門から歌右衛門や先代の勘三郎と幸四郎に受け継がれた、旧吉右衛門劇団に特有の、重厚かつ全力投球の藝の饗宴が、当代の勘三郎と吉右衛門によって久しぶりに現前した。

今でさえ必見の名舞台なのだから、これで両人が役者の器量を富ませて、安易な妥協に陥らず現在の緊張関係を良い意味で保ったまま、また10年後に同じ顔合わせで再演したならば、どれほどの名人藝対決が実現することだろうか。

もっとも、雲助連中は総体に卑俗味が稀薄。
客席へ対するエチケットだろうか、下廻りの役者の中にも素足ではなく肉色の股引を穿く人が散見されるが、これは思い切り汚い尻と足を丸出しにして演ずる役柄だ。

この日の舞台を見て、つくづくと思った。

〈鏡獅子〉とは、何と難しい踊りなのだろう。
これを創った九代目團十郎という人は、また、これを復興させた六代目菊五郎という人は、どれほど凄い踊り手だったのだろう。

〈鏡獅子〉を、問題はあるにもせよ、満足に踊り得る資格のある人は、当代に勘三郎ただ一人と私は思っている。
その勘三郎の〈鏡獅子〉を受け継ぐ役者は新勘九郎あるのみと、私は確信している。

襲名口上の後である。
めでたく白(ハク)の片外しで御老女を勤める小山三のお手引きに押し出された勘九郎の〈鏡獅子〉を、正直、私はご祝儀相場を含めた期待の目で迎えた。

にも関わらず、事実として正直に言う。
この彌生はいけない。

むろん、極めて生真面目であり、優れた気組みである。
実(ジツ)のある熱演である。
そうした点の印象評で評価する人も多いだろう。

だが、彌生は女形の踊りの最高峰だ。

貝殻骨を寄せ肩を落とし、尻を落として腰を低く構え、下半身から押し出すように踊り進め上半身は後からついて行く、女形舞踊の骨法が厳格に守られていない。
勘九郎の肩は引けていず、逆に前に寄っている。
身体の脇は締まらず、肘のタメが効かないので二ノ腕が奔放に遊んで、時おり腋の下が丸見えになる。

12月に關兵衛を初役で演じ、今月も昼の部で〈土蜘〉を勤める新勘九郎のことだ。舞踊全般に立役づいている現実が、この背景にあるだろう。
たが、だからと言って彌生を「立役舞踊さながらの熱演」で済ませて良いとは言えない。

若き日の九代目團十郎は、〈娘道成寺〉を稽古に踊ることを日課としていた、という。
「〈娘道成寺〉には舞踊のすべてがあるから」ということのようだが、同時に、女形舞踊の骨法を身から離さない自戒のため、という意味もあろう。
それほど女形とは、女形舞踊とは、技術の産物である。
ここには、守らなくてはならない規範が厳として存在する。

仔細に見てゆけば、型の一つひとつに注文がある。

踊りを見る目のある者ならば誰でも藝の高下が判定できる箇所だと思うから、私はいつもここを採り上げることにしているが、たとえば、「ちょうど廿日草」の両手を開いた中ダメ。
勘九郎は力技で押す半面、大味である。
が、「力技で大味、すなわちいけない」と指摘するだけでは印象評に過ぎず、舞踊批評にはならない。

首と、肩と、肘と、腰と、膝とに、想像を絶する負荷を負いながら、それを腹一つに収めきって、肉体の苦痛を観客に悟らせず、身体の緊張に抗するかたちで上体と両手をゆったり柔らかく一杯に使い、顔の表情はあくまで陶然と、「廿日草=牡丹」の花になりきったつもりでフワリと華麗にキマルのが、この振りの意義なのだ。

それがいかに至難の極みであるか。

ここでの勘九郎は、「肩を寄せて落とし、上体を後ろに倒し目にして尻を落とす、極度に緊張と自制を強いる女形舞踊の骨法」が正しく踏まえられていない結果、この振りが「いかにも力技で大味」に見えると指摘するのが、真の意味で勘九郎のためになる批評だと、私は信ずる。

この「ちょうど廿日草」の中ダメは、考えるだに気の遠くなる、神業に近い至難の振りである。
したがって、誰にでも求められるものではない。
現に、玉三郎のよう、守るべき骨法から逃れ、自分の身に合った美的世界を作って閉じ籠もる人もある。
が、それではこの振りが本来求めるところの、矛盾(身体技としての緊張×表現としての寛闊)の上に立った藝の自在は立ち顕われない。

私は、当代では、勘九郎だけには、この至難な、本当の〈鏡獅子〉を求めたい。
その意味で、★三ッは襲名の祝儀。
本心では、こと前シテに関しては、一からやり直しを願いたい。

勘九郎の後シテには、後シテとしての「骨法」を守り抜こうとする意欲が見て取れる。

一畳台に上がっての毛振り。
人によっては、たとえば海老藏に比して白頭の振りように自在さを欠くと見た人もあろう。
が、これは勘九郎のほうが正しい。
たとえば、半切(袴)の腰帯の結び目を見ると、ほとんど上下に揺れていない。
膝から下もほとんど動じない。
これは勘九郎が、下半身を一畳台に貼り付けるようにして、腰の力ひとつをバネに上体をのみ使って頭を振るよう勤めた結果である。
海老蔵のように足首から構わず滅多矢鱈に動かして毛を振れば、たしかに派手にはなるが、極めて下品である。
下半身を動かさず、腰をキメて頭を振れば、身体的にはきわめて制限された動きとなるが、その緊張の結果、毛先まで神経が徹って、白頭にふさわしい威風と格調が生ずる。

だが、それにはよほど重心を低く取り、腰を据え、身体の軸を効かせて、毛先まで気脈を通じさせないとならない。
海老蔵のような勝手粗雑な振り方に比べ、こちらのほうが何倍も難しい。

勘九郎は、その「骨法」を自らに課そうとしている。天晴れな態度である。
だが、その技法はまだまだ身についているとは言えない
そのため、上体の動きに自在さが不足して、頭を振り続けるうちに腰が持ち切れず身体が次第に前進し、危うく一畳台から落ちかけた。
これは、自身でいくら注意してもまだ腰高で、下半身が一畳台に貼り付ききっていない証拠である。

やはり後シテも、前シテも同様、一からの練り直しが必要だ。

繰り返すが、〈鏡獅子〉を本当に踊ろうとなったら、身命を削る修養が必要である。
この難曲のここかしこに埋め込まれた至難の「振り」が求める本来あるべき表現は、自己完結した「熱演」だけではとうてい実現などできないのである。
それが、〈鏡獅子〉という踊りの価値であり、恐さであり、美しさの源である。

私は、勘九郎にだけは、将来その十全な実現を、あえて求めたいと思う。

私の大嫌いな〈ぢいさんばんさん〉は、正直、もう生涯見たくない芝居。

福助もいつもの爆演を抑えた演技だが、初めの場面の捨てゼリフがぞんざいなのは地が出た証拠。夫を追って来た下島に対し露骨に嫌な顔を見せるのは役が悪くなるから止めたほうが良い。
三津五郎は童心を失わない伊織を演じて見せたが、誰がやってもマイホーム・パパ的に浅い役にとどまりがちだ。鴨川の場で下島を斬ってから、妻の名を呼び守り袋を出して見るのは説明的で、こうした演技からますますこの芝居は浅薄になる。
橋之助の下島は「嫌なヤツ」の感じを極力出さず、どこにでもいそうな男として演じた。扇雀も嫌味がなく自然体の演技。

だが、この芝居。まだ若い役者が老け作りをして伊織とるんに扮するものではなかろう。
鴈治郎×仁左衛門、歌右衛門×勘三郎のように、老いた名優同士が若いなりを見せながら楽しんで演ずるのでない限り、安直に出されても無意味。
その意味で、まだ若輩の巳之助と新悟は、演技こそまるで素人だが、年相応のそれなりの真実があった。

2012年2月 7日 | 歌舞伎批評 | 記事URL

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