2012/6/3 狂言における性差と体制の問題~野村萬の〈花子〉 | 好雪録

2012/6/3 狂言における性差と体制の問題~野村萬の〈花子〉

82歳の野村萬が32年ぶりに演じた〈花子〉をさきほど見て、色々と考えることが多かった。

前後二場、1時間に及ぶこの大曲を、齢80を超えて勤めおおせた役者は古今そうはいないはずである。
もっとも、たとえば亡き茂山千之丞のように格別な声や謡の力量に恵まれた老練の演ずる〈花子〉は、走り馴れたアスリートと同じで体力配分が行き届き、若い初演者よりよほど楽にこなす手技を心得ている、ということはある。
今回、当代一の妻の演じ手である山本東次郎を迎えた萬は、さすがに後場の最後こそ少し謡が弱くはなったものの、総体に「叩き上げた藝」としか言いようのない立派なシテを演じ納めたと見るべきで、充分に満足した観客も、たぶん多かったことだろう。

〈花子〉とは、いったい、どんな狂言なのだろうか?
「そんなこと、批評家なら当然分かっているべきはずじゃないか」と言われるかもしれない。
が、ちょっと待って欲しい。

狂言に限らず、演劇作品には「こうでなければならない」なんていう決まり切った演じかたや見かたなんて、ない。
まず、同じ〈花子〉とはいえ、現行の大蔵流と和泉流とでは台本が違う。
そして、これは古典藝能には共通した性質だが、演者のキャラクターや技巧によって、同じ台本でもかなり異なった成果につながるブレ幅がきわめて広い。

そうしたさまざまな違いを考慮せず、ただそのとき接した舞台の印象をのみ一方的に語るということは、いわば、使用する楽譜の版や指揮者の解釈を弁別せずにブルックナーの交響曲の演奏を論ずるのと同じほど、的外れで無意味なことに繋がりかねない、のではないだろうか?

ある意味で、われわれは〈花子〉という狂言を、常に「全然わかっていない」のだ。
そうしたところから今日の舞台を考えなければ、野村萬の〈花子〉をより良く見て取ったことにはならないのじゃないか、と私は考える。

〈花子〉の上演は、総計すれば大蔵流のほうが多い。私も知らず知らず、そちらの台本に慣れている傾向がある。
それだからだろうか、萬が発するコトバの随所には改めて「ああ、そうだったな」と思い直す部分があり、新鮮だ。
たとえば、萬が基づく和泉流三宅派の台本では、旅先で契ったシテを追い上京した花子が何度も手紙を送るにもかかわらず、妻が薄々気づいてつけ回すため男は1度しか返事が出せないでいる。それを悲観した花子は「今宵参らずば、はやお目にはかかるまい。いかなる淵川へ身を投げて」と言って寄こすので、いまや男は余儀ない状況に直面し家を脱出する算段を立てる、という説明がなされる。
この点だけ取り上げても、入水云々の「脅し文句」がなく、予想外に来京した愛人の恋文に浮かされた男がただもう逢いたい一心で動く大蔵流の台本とは、同じ恋男とはいえシテの性根が違うのである。

そのことを反映してか、近年でもっとも優れた大蔵流の〈花子〉を見せた山本東次郎も茂山千之丞も、この冒頭の名ノリの段は格調を保ちながらも基本的には浮き浮きと、抑えきれない内心の躍動を放射する活気があった。

単純にこれと比べる気はさらさらないけれども、萬のこの部分は、明らかに暗い。

位取りをことさら重くしているのではない。身についた重厚味だけで充分だから萬はむしろ淡々と、丁寧にコトバを紡いでいて、その練り上げられた響きは明晰でありながら陶酔感を呼び覚ます。舞台人として最高の口跡である。
もしかしたら、薄茶と白と浅黄色の段熨斗目に薄茶色の素袍上下という渋く上品な扮装の印象もあるかもしれない。
だが、よくよく見、考えても、どうもそれだけではないようだ。
理知的な萬の藝風が彼の明晰な口跡に支えられると、この台本に示されたシテの思考が奇妙に理路整然と響いてくる。この「恋する男」は、なんだかとても現実の人間関係を測ることに長けている。その行き届いた思考が衝動の火を消す冷水となり、一種の「暗い」感じを呼び覚ますのだ。

身替りに座禅を組めと言われて拒む太郎冠者をシテが脅す、その際、和泉流の台本では「賤しいヤツには故事を引いて聞かしょう」と前置きし、「主君は恩、臣下は命を惜しまぬ忠、これが人間関係の基本だ」と決めつけざま、腰の刀に手を掛ける。これも大蔵流にはない一節である。
このコトバを発する萬は、正直、私は好きではない。
いや、萬に限らず誰が演じたって、あまり好感の持てるコトバではない。驚いた太郎冠者が身替りを承諾したあと「今のは頼みを聴いて欲しいがための冗談」と言い直しても、シテの「理屈」はいかにも封建的で身勝手な自己顕示である。
もっとも、そうしたことを萬も良く知ってか腰刀に手を掛ける時の意気込みは、他の演目で見せる同じ演技に比べていくぶん軽いイキであって、そうは凄まない。ここで本息を示すと「主君は恩、臣下は忠」がもっと嫌味に聞こえる危険を考慮したのかもしれない。さすが萬だけあって、その工夫は、そんなことを思わせるほど行き届いている。

それでも余儀ないことと言うべきか、美事な口跡に反映される理知の解釈が明晰な萬の手に掛かると、和泉流台本がこの部分に書き籠めた大蔵流へのアンチテーゼ「精神の自由よりも身分差に則った秩序」という主張がせり出してくるのは免れない。
これは萬の個性に限った善悪ではない。萬の藝風と和泉流三宅派台本の〈花子〉とが双方からみ合って織りなす構造的な問題、と言うべきだ。

私は、見ていてこんなことを考えた。
「自民党政権が盤石な頃、または明治時代の元勲たちが、愛人や権妻を抱えていた時は、きっとこうだったのだろうな......」
社会的役割を背負って生きる男たちの癒しの場として、月々の決まった手当も出、シッカリ「囲われて」生きる女性たち。男の側からは「蓄妾」という端的な言葉もある。

千之丞や東次郎の〈花子〉に、そんな実感は皆無だった。
萬の〈花子〉は、なるほど内面には純愛も潜もうけれど、表層的には社会秩序に組み込まれた男女関係、という色彩をきわめて強く私に印象付けた。愛人から愁訴を受け、タイトな政治日程をやりくりして妾宅に赴く男の、好きで足を運ぶにしろ妙に義務感をも感じさせる微行。いわば、個人を支配する「体制」の存在を纏った、制度的な男女関係なのだ。

難関の後場。終盤いくぶん声が嗄れて弱くはなったものの、萬の後シテの謡はさすがな年功、言っているコトバの実在感がすばらしい。ただ美声を張り上げる謡とは一線を画した、劇性を表に立てる実(ジツ)のある名調というべきだろう。

艶冶な朝帰りの後場で謡われる小謡は周知のとおり大蔵流とは内容も配列も異なってはいるが、シテの言動そのものは前場ほど大蔵流とは相違せず、その意味では前場ほど性格の違いはない。
だが、それでもしかし、前シテの造形は後シテにも投影される。それが演劇台本の性(サガ)なので、能・狂言とはいえこのことは免れない。

大蔵流の後シテが謡いながら登場して発する、コトバとしての第一声「わたくしの恋は」は、東次郎に言わせるとまことに口にしにくい、恥ずかしいコトバゆえ、省くこともあるのだそうだ。それだけに、ここに大蔵流の後シテの性根「恋する男のあられもない慕情」があるともいえよう。事実、これを省く、省かないに限らず、東次郎も千之丞も直前までの交情に身も心も捉われて他人が付け入る隙もないほど「イッパイイッパイ」の状態で後シテを通したし、その慕情の高揚は謡い謡った果ての小謡の最後の一節「月細く残りたり」で最高音をクリ上げる部分にハッキリと示されていた。

和泉流の台本に「わたくしの恋は」なんていうコトバはない。また、枯淡閑寂な萬の後シテには千之丞や東次郎のような回春の高揚もない。

私はなんとなく、珍奇な花々の蒐集を趣味とする政治家が、秘蔵の押し花のコレクションを繰っているさまを見るような気がした。
制度の中で、支配・被支配の人間関係の中で、「囲われる女」があるとすれば、それは、たとえば「押し花」と同じではないだろうか。

そうした女性と男性の性差、もっとはっきり言えば、女性蔑視的な男性至上主義とでもいうべき感覚を感じたのは、今回、予想と違って東次郎の妻が弱かったためもある。
千之丞のシテに付き合った時の東次郎は実に生き生きと、自分の信ずる解釈と度量で、「わわしい」けれども情理を具えた個性的な人間を活写した。今回は流儀の違い、または年長で尊敬すべき先達を相手にしたためか、前半の夫婦の対話が弾まず、忠実だが頑固な女中頭のようだった。
つまり、ここでの東次郎は、太郎冠者や花子と同じく「精神の自由よりも身分差に則った秩序」を標榜する和泉流台本の設定に呑み込まれていたのだ。今回の東次郎の役割は、寄り添うよりも、むしろこれに風穴を開けることだったはずである。大胆でぶっきらぼうな野村又三郎の太郎冠者が相手に代わると東次郎の藝もまた精彩を取り戻した。正直な変化と評すべきだろう。

だが、しかし、さらに私は改めて考える。
基本的に同じ台本に則っていたにも関わらず、これまた兄に劣らず美事に勤めおおせた野村万作がシテを演じた〈花子〉では、以上のような性差と体制の問題はまったくと言って良いほど感じなかったのである。
万作のシテは今日の萬のシテとはあまりにも違う、むしろ、千之丞や東次郎とならば肩を組んで共有できる「恋する男のあられもない慕情」を主立たせたものだった。

われわれはこのことを、どう、理解すべきなのだろうか。
単なる「演者の個性の違い」とのみ捉え、野村萬の至藝さえ評価し、味わえば、それで済むのだろうか。

確かに解釈のひとつの姿ではあるにせよ、今日の舞台は狂言〈花子〉のドラマとして本当に有効か、どうか。こんなふうに私が感じた問題は、台本に依るものか。あるいは、シテを演じた萬自身に内在する問題なのか。
おそらく、そのどちらでもあるのだろうけれども。

こうしたことを考えるにつけ、つくづく、舞台批評は難しいと思う。
もちろん、ここでいう舞台批評とは、藝評・技術評とは当然、イコールではない。

2012年6月 3日 | 記事URL

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