2012/7/20 京劇と三波春夫と文楽と | 好雪録

2012/7/20 京劇と三波春夫と文楽と

このところ密かにずっと、京劇に興味が深い。

といっても、さすがにそこまで観劇のフォローは中々しきれない。
私が実際に接したのも2000年に梅葆玖が演ずる父譲りの〈貴妃醉酒〉の名舞台が最後。機会が許せばさらに蘊奥を極めてみたい気がするけれども、観劇の守備範囲が拡大した現在、物理的にちょっと無理そうなのは残念。

古典京劇は総じて「大時代」の演物だが、たとえば傑作のひとつに〈二進宮〉がある。

明・隆慶帝の崩御後、幼い萬暦帝を擁する母・李艶妃は「垂簾聴政」に臨む。妃の父・李良は帝位簒奪を画策。忠臣たる定国公・徐延昭と兵部侍郎・楊波の二人は李良に靡かず、李妃を諌めるが、聞き容れられない。

ここに挙げる〈二進宮〉の映像は、張君秋(青衣)の李艶妃、裘盛戎(正淨・赤面のほう)の徐延昭、譚富英(老生・緑衣のほう)の楊波。1956年に設立された国立・北京京劇団を支えた第一級の名手の最盛期の競演で、戦後歌舞伎で言えば歌右衛門・勘三郎・幸四郎のトリオにでも当たろう。実にすばらしい出来ばえである。

この〈二進宮〉は公開録画のようだ。旦(タン・女形)の妙手として高貴の役柄「青衣」を得意とした名優・張君秋(1920~97年=まさに歌右衛門と同世代)が精密微細な曲節を美事に歌いきるたび、感極まったような聴衆の拍手が入る。オペラや文楽と同じく、京劇もまた「聴きに行く」ものであって、よく修錬された高度な武技(立ち回り)は大きな魅力ではあるが、やはり歌こそ京劇の精髄であることはいまも変わらない。

私が好きなのは京劇屈指の人気演目〈空城計〉で、諸葛孔明が街亭の敗戦後、追撃する司馬仲達の大軍を前に城門を開け放ち悠然と歌って見せる計略の後段。毛沢東も好んで歌ったという一節「我正在城樓觀山景」を、張君秋と同時期に活躍し、文革の迫害に遭って非業の最期を遂げた名優・馬連良(1901~66年)の諧謔味を含んだ名唱で聴くと、色々なことが胸に迫りタマラナイ気持ちになるが、こと藝味だけに限って言えば、これはもはや、三波春夫の〈元禄名槍譜~俵星玄蕃〉に聴き惚れ陶然となる感動と異なるところはない。

現在では京劇も若い世代にとって遠いものとなりがちで、従って、あれほど人口の多い国から厳選された名手が擡頭する競争も鈍磨傾向にあるらしく、そうなると厳しく修錬された身体技は低下を免れない。とはいえ、足音一つ立てず激しい武技をこなし、個々工夫を凝らした精緻な歌唱技巧を聴かせる技術力は、まだまだ高いものと言えるだろう。

〈道成寺〉の急ノ舞でドタドタ不要な足音を立てなければ動けない能役者。時代物の切場を丸ごかし大音量で語り切れる力量もない大夫。そんな者が「人がらが反映された藝」などと意味不明の遁辞で評価されかねないわが国の古典藝能は、どこか根本が甘いのではなかろうか。

橋下某に売られたケンカを文楽関係者が買う、その「買いよう」に、ちょっと鉾先のズレた点がある感の深い昨今、京劇の潔いまでの技術至上主義と残酷な競争主義が尊く思われてならないのが、私の本音だ。

2012年7月20日 | 記事URL

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