2012/8/16 名優・松本幸四郎の〈ラ・マンチャの男〉 | 好雪録

2012/8/16 名優・松本幸四郎の〈ラ・マンチャの男〉

「いつでも見られるから、いつ見てもいいや」と思うがために、結句、見ずに済ましているというような舞台って、ないだろうか?

私にとってミュージカル〈ラ・マンチャの男〉がそうだった。
今宵、はじめて見て、ただただ感服という以外、ない。
この演目に関する限り、九代目松本幸四郎は歴史に残る名優である。

今興行中の8月19日をもって満70歳の幸四郎。昔に比べて弱くなった部分もあろう。
海外のミュージカルシーンでは、たとえ老け役ではあってもこれを演ずるのは40代前後の壮年俳優という「常識」に照らせば異様だ、との異論もあろう。

だが、1949年生まれの市村正親、1950年生まれの鹿賀丈史に比べても、1942年生まれの幸四郎のセリフのほうが開口明瞭だ。
本格の歌手でないのはもちろんだが、名歌「見果てぬ夢"The Impossible Dream"」は聴かせるし「ドルシネア"Dulcinea"」もすばらしい。
老騎士ドン・キホーテの半ば老狂の物語は、こうした自閉的ヒロイズムを自ら藝質に持つ幸四郎にはうってつけのものと言えるが、これを劇中劇として前後と折々に挟まれる作者・セルバンテスの演技は覚醒しており、いわば「離見」をもって老騎士の物語を相対化する構造を示し得ている。そこに立ち顕われる、「夢こそが現実を改革する力となるのだ」との強いメッセージの感動。

つまり、エンターテイメント性と、知的把握と、両者において幸四郎は勝れている。こうしたものをこそ、真の「当たり役」と言うのである。

むろん、微細に丁寧な歌舞伎の演技術は役づくりに力を貸している。
「よって」というような促音の語尾を発するのに、促音「っ」を巧みに息継ぎに替えセリフの呼吸を長く継いでゆくのは〈勧進帳〉辨慶の読み上げに聞かれる技術だが、こうしたところは幸四郎ならではの「手」なので、市村も鹿賀も決して真似られないところだ。

ただし、この優れた〈ラ・マンチャの男〉にも問題はある。
そのひとつは、この演目が既に幸四郎の、松本家の「家の藝」と化して、外部に開かれた演目たり得ていない点。

もっともこれには「裏」もあろう。
プログラムで幸四郎ほかが証言するとおり、初演当初から現幸四郎とその周囲の自発的努力なくしては長期公演が成り立たない事情があったこと。つまり、動員力の面で幸四郎自身とのその「贔屓連中」に頼らざるを得なかったこともあろう。幸四郎にしてみれば「その努力ができるのは自分だけだから、この作品が寡占状態になるのはやむを得まい」との認識もあるだろう。

ただ、そうなると実態は、東宝の興行でありながら幸四郎の自主公演の如き体裁をなしてしまうので、やはり公演形態からすれば健全ではない。
客席の雰囲気も他のミュージカル作品とは全く異なり、若いファンの姿がほとんどなく、幸四郎とその周囲の愛好者、またはこの作品自体に特殊な愛着を持つ古い観客が多かったようだ。
〈ラ・マンチャの男〉自体、名作であるから、海外のプロモーションであれば次々に若い才能を発掘し、主役を育てて行くところである。
だが、一般的傾向として、日本の興行界と観客には「当たり役」意識、つまり「この役・この演目はこの役者に限る」というこだわりが極めて強い。
それは必ずしも悪いことばかりではないにもせよ、気の抜けたテヴィエや林芙美子をいつまでも特定の老人に演じ続けさせ、「至藝・名物」と持ち上げて観客動員を図るという現象は、海外ではとうていあり得ない。思えば奇怪なことである。

幸四郎自身の名演技は認める反面、松たか子のアルドンサ、松本紀保のアントニアと2人の実子を共演に配し(前者は熱演で見せるが必ずしも最適役ではなく、後者は水準に達しているとはちょっと言われない)、プログラムには嗣子・染五郎、孫・金太郎の言葉まで寄稿させて家ぐるみの出し物としているところなど、これも歌舞伎式の贔屓連中には訴求力の高い配慮なのだろうけれど、私の目にはまことに異様なものに映る。

そうした点から、初演以来さまざまな算段を尽くして42年、1,200回の上演を誇るこのプロダクション自体、すでに命数が尽きているとする厳しい批評も出てきて当然と思う。

こうしたもろもろを背景に、それでもやはり、舞台上で「ラ・マンチャの男」に化した幸四郎はすばらしい。

それが舞台藝術の複雑怪奇な魅力というものだろうし、個人藝を評価することのある意味での容易さと上演そのものを批評する難しさとの乖離なのだと、私は考える。

2012年8月16日 | 記事URL

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