2012/8/22 ミュージカル〈ミス・サイゴン〉青山劇場初日 | 好雪録

2012/8/22 ミュージカル〈ミス・サイゴン〉青山劇場初日

先月、めぐろパーシモンホールで開幕し、その後、広島や甲府を巡演した東宝ミュージカル〈ミス・サイゴン〉が、いよいよ本格的な初日を東京・青山劇場で迎えた。

公的には全日程完売の景気である。
これに気を良くして「再来年は帝国劇場で」などという声も聞こえてこないわけではないが、定員1,200席の青劇と1,897席の帝劇とでは30回も公演すれば2万人の動員が加わるわけだから、なかなかそう簡単に柳の下ともゆくまい。

さて、私は思うのだが、〈ミス・サイゴン〉とは、音楽的達成度と劇的訴求力と社会的問題提起力とにおいて、ほとんど完璧なミュージカル作品ではなかろうか。
ここには汎神論的・血縁土俗的な東洋社会とキリスト教的・原理主義的なアメリカ社会との絶望的な隔絶が描かれており、その点、女性の孤的な魂の尊厳の問題に集約される原作のオペラ〈蝶々夫人〉とはまったく異なっている。

事実、〈ミス・サイゴン〉には〈蝶々夫人〉の音楽引用は皆無と言ってよいほど見られない。
その中にわずかな箇所だけそれを明示する場面があって、ここが〈ミス・サイゴン〉に潜む根源的な劇性を射抜く鍵だと私は思っているのだが、これについては後考を期したい。

本日は初日だけあって充分の気迫と充実。
私はまことに堪能させられた。

ただ、余計な感想を漏らすならば、第2幕で混血児救済の演説をするジョン役に扮した上原理生について、私はちょっと不満がある。
藝大出身とて声楽的には真っ当な歌唱であり、上背があって舞台映えもする。
でも、その歌と演技が冷たいというか、ストレートに過ぎて、ことに第2幕のこの役に必須の懐疑の精神が浅いのである。

この役はダブルキャストで、もう一人は恐らくこれまでの邦人キャストで最高のジョンだった岡幸二郎である。
彼は年功もあり、今回の演出で乱痴気騒ぎを極めるサイゴンの歓楽街での演技にも抑制が効いているし、歌声の陰翳や情念の表現の深さによって「この男にも、実はブイ・ドイ=ベトナムに遺した混血児がいるのではないか?」という腹が生まれて、それだけに贖罪や自責の念が強いジョンになっているのだ。
上原の場合、第2幕冒頭の名曲「ブイ・ドイ」で「父親をあの子に与える義務がある!」と力強く片腕を挙げて聴衆に語りかける岡ほどの深い説得力が迫らず(この日の上原はこの所作そのものをしなかった)、なんだか綺麗ごとを朗々と歌い上げているだけなようなのは頂けなかった。

オペラと違い、ミュージカルというものはある種の挟雜物が必要で、ただ美しく、巧く歌っただけではダメなのだ。

上原ジョンには将来、「業(ゴウ)」の深い岡ジョンを手本として、もっともっと人の世の痛みと苦しみをえぐり出すような、深い、深い歌を歌ってもらいたいものである。

2012年8月22日 | 記事URL

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