2012/9/14 『足ながおじさん』と夏目漱石『こゝろ』 | 好雪録

2012/9/14 『足ながおじさん』と夏目漱石『こゝろ』

気が付くと、最近の本項は日本版ミュージカルの話題ばかり。「ミュージカル評論家に転身ですか?」と真面目に訊かれると恐れ入る。
別にそんな色気はないのだけれど、こうしたジャンルについて試考すると、古典藝能に立ち帰った時に色々と得るものが多いのである。

昨夜、クリエの客席で〈ダディ・ロング・レッグズ〉を楽しく見ていたら、この劇設定は原作の発表年である1912年で終わっていることに気付かされた。

ジョン・グリア孤児院で育った通称「ジュディ」。本名「ジルーシャ・アボット」は電話帳と墓石から採られた命名と説明されるが、そんな逆境をものともせず大学入学。当初は落第して落ち込むものの、気を取り直し、さまざまな人生経験を経、最優秀の成績を収めて卒業。
これが、1912年の夏のことである。

時あたかも明治45年。
当時の日本の学制はアメリカと同じ夏卒業の秋入学であり、夏目漱石『こゝろ』前半の語り手である「私」が東京帝国大学を卒業したのがこの年。

自明のとおり、この年は明治終焉の年である。
同年7月10日の帝大卒業式が明治天皇の臨幸した最後の公式行事。同19日の夕食時に天皇は倒れ、29日の夜(公式発表では30日)に崩御した。
故郷へ戻った「私」の卒業祝宴が延期になった件に、「私はついこの間の卒業式に例年の通り大學へ行幸になつた陛下を憶ひ出したりした」との一文がある。

つまり、太平洋を隔て、「ジュディ」と「私」は時を同じくして大学生活を送っていたのだ。

国情の違い、男女の違い、さまざまな点でこの2人は違った人生を歩んだわけだが、それにしても両者の明暗のはなはだしさは、どうだろう。
この2人を対置して考えると、そこには優れて「ドラマティックなあるもの」が髣髴しないだろうか?

舞台化されれば、こうした構造的な「読み替え」を加えて演出することも可能なのが『足ながおじさん』の物語である。

2012年9月14日 | 記事URL

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