2012/12/22 森下洋子と歌右衛門 | 好雪録

2012/12/22 森下洋子と歌右衛門

年末恒例のバレエ〈くるみ割り人形〉。
初演120周年というのに他に調整が付かず、今年は本日の松山バレエ団による公演しか見ることができなかった。
むろんお目当ては、64歳でクララを踊る森下洋子である。

森下のクララは一昨年に見たが、同じ役がらでも2年のブランクは大きかった。

下半身のガラスのような脆さを上半身の濃厚な表情で補うのは、能や日本舞踊の老大家にもよく見られることで(近藤乾之助、片山幽雪、關根祥六、花柳壽南海、西川扇藏、みなこれと同じ傾向である)、ダンサーとしては限界を感じさせる。第1幕はほとんどがマイムで実質的には踊らず、さすがに第2幕のパ・ド・ドゥはイワーノフの名振付を遵守したものの、音楽をかなりスローテンポに落させて綱渡りで繋ぐ半面、静止と静止の間が持たず、型を決めるための時間稼ぎが目につく。パ・ド・ドゥ全体の設計にも、コーダで舞台上手奥から下手手前へ一直線に出る有名な振リに体力を温存させる計算が見えたようだ(それでも、足元のゆらぐ瞬間があった)。

森下ほどすべてを擲って踊りに捧げる偉大な藝術家にして、加齢に伴う不可抗力。
古典バレエの要求する水準の高さ、厳格さを、かえって思い知らされ、襟を正す感がある。

これに比べたら、「老い」を認め得る日本の伝統藝能とは、ある意味で「甘いもの」だ。
歌右衛門が最後に白拍子花子を踊った道行のテンポは、亡き勘三郎が襲名前に踊った時に比べてほとんど二倍速の遅さだった。それでも認められる「至藝」。
プリマが年を取ったからといって、グラン・フェッテ・アン・トゥールナンを二倍速の遅さでようやく踊って見せ、観客がそれを「至藝」と讃える価値観は、バレエにはない。

だからこそ、伝統藝能的に森下洋子のクララを見る時、その濃密な表情や心の描写、純化された(それだけに原作のホフマン的におどろおどろしい)少女の「夢想」の表現、こうした舞踊内容の点で森下ほど劇的な〈くるみ〉を見せる踊り手はいないのである(今回は震災横死の犠牲者に思いを寄せる解釈過剰な演出だったとしても......)。

私は森下が身を削るように踊りなすクララを見ていて、晩年の歌右衛門が演じた心の叫びのような八重垣姫や三千歳を思わずにはいられなかった。これらのクドキは、単に惚れた男の前でほうとなっている女の痴情ではなかった。絶望と裏腹の幸福を前にした女が生死の境に立って哲学的箴言をつぶやくようなクドキ。ヴァグナー〈トリスタンとイゾルデ〉第2幕の長大な愛の会話のようなクドキ。

われわれを長いこと楽しませ続けてくれた森下洋子のバレエ。いま全幕物のレパートリーとしては、〈くるみ〉のほか、〈白鳥の湖〉〈コッペリア〉〈白毛女〉を残すばかりではなかろうか。それも、相当程度に振付・手順の改編を加え、森下の「至藝」に瑕が付かないよう細心の努力を試みた上でのことである。
先に述べたように、バレエの古典演目が要求する水準というものは厳然として存在する。老大家が無理をして手掛ける必要はない。80歳を超えても踊り続けたマイヤ・プリセツカヤ(彼女は1948年ロンドン版〈シンデレラ)初演に出ているのだ)の故智に学び、個人藝として特異かつ個性的な舞踊表現を目指してもよいところに森下洋子は立ち至っているのではなかろうか。

なにせ、あの歌右衛門を私に想起させる舞踊家は、森下洋子ただ一人あるのみなのだ。

2012年12月22日 | 記事URL

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