2013/8/11 傘寿記念・坂東竹三郎の会の快挙 | 好雪録

2013/8/11 傘寿記念・坂東竹三郎の会の快挙

本日午後、熔けるように帰京。
空雷で降らぬまま、日が暮れても暑さはまったく去らないが、さすが立秋過ぎとて、夜毎に蟋蟀の鳴声が耳につくようになった。

さて、足掛け3日間の大阪滞在。

8/9(金)には、先ごろ新装なった中之島フェスティバルホールを初訪問。藤間勘十郎と梅若玄祥の父子競演「至高の華~〈道成寺〉二題」を見る。寸評は能楽月評として別記する用意だが、色々な意味で芳しい成果は得られなかった。

昨日、8/10(土)は国立文楽劇場で「傘寿記念・尾上菊次郎33回忌追善」と銘打った「坂東竹三郎の会」夜の部。
これこそ大変な収穫であって、炎暑の熱鬧に足を運んだ甲斐もあるというもの。
労苦の連続だった竹三郎が、役者人生の集大成として美事に咲かせた大輪の花。
われ人ともに心の底から堪能し、愉しんだことだった。

演目は、猿之助を團七縞のお梶に迎え、自ら汚れ役の義平次婆おとらに扮した〈女團七〉(第1幕:柳橋草加屋の場/第2幕第1場:両国橋詰錨床の場/同第2場:浜町河岸の場)。
仁左衛門30年ぶり2度目の伊右衛門を得てお岩・與茂七の2役を勤めた〈四谷怪談〉(浪宅から隠亡堀)。
芝居好きなら嬉しくなる演目2題で、竹三郎の藝質をあまねく現わす好番組。

竹三郎は、力量を具えつつも脇役を中心に芝居を支えてきた役者である。従って、舞台の上で主役として「正面を切る」力は正直、弱い。「浪宅」では外的にも内的にも劇的変身を遂げるお岩だと特に、そうした弱点が散見されることは否めない。

だが、若くして「正面を切る」ことに馴れている福助や勘九郎や菊之助のお岩にないものを、竹三郎は濃厚に持ち合わせている。
それは、忍苦の強さ、耐えて耐えて耐え抜いても報われない「をんな」の哀れと無念だ。
それは結果的に「正面を切れない」弱点からこそ醸成された、重く沈澱した感情である。

たとえば、「浪宅」のお岩。
福助や勘九郎や菊之助だと、醜貌に変じたことを知った時の言葉「さぞや嗤はん、口惜しや」が感情の爆発となる。観客には分かりやすい熱演だが、一方では、ある種単純なこの部分の彼らの演技は、「タメ」が不足したままいち早く感情的解決に走ったようにも見える。

竹三郎は、そうではない。
立ち身になって向こうを見据え、充分に強く言うのだが、彼の藝質であろう、まだまだそこには言葉にもできない、醗酵しかねて解決のつかない鬱情が静かに渦をなしている。
その、行き場のない感情を抱えたままの「髪梳き」。
今回の独吟はめりやす「瑠璃の艶」ではなく地歌「黒髪」(下座では楽器か撥を換えたようで芝居長唄ではなく地歌の音)だった。抽象的かつ美的な感情を彩る「瑠璃の艶」よりも、そのものズバリ、閨怨の芝居歌から地歌に入った「黒髪」のほうが端的に「をんな」の情念が立ち上がる効果がある。
「髪梳き」の手順は、独吟の寸法もあって、菊五郎型より淡泊。鉄漿付けでも本水を口に含まず、抜け毛は左手に置いた鏡台の下の抽斗に手際よく入れ込んでゆくので整然としているが、竹三郎のハラはよく持続しており、決して気は抜けていない。
それでいて、全然、悪い意味での「熱演」ではないのだ。

福助や勘九郎や菊之助が女形に扮しつつも、熱演に至ると「素のままの自分」がモロに出るお岩だとすれば、竹三郎は徹底して「女形」になりきり、その殻の中で役柄に変じて内攻する態のお岩である。
世阿弥風に言えば「離見」を具えたお岩。

その、美事に内に向き、他者との距離を測ったお岩が、「隠亡堀」ではガラリと気の変った気風の良い與茂七に変身する美事さ。
その変わり身の鮮やかさは、殆どあさましいほどである。
竹三郎が、役に充分なりきりながらも、役柄や女形に淫する性質の役者でないことがよく分かる。

こうした竹三郎の役者性、女形性は、脇役たる義平次婆ではさらによく表現される。
この、主役に取り付いて蛭のように離れない、老婆役とて原拠〈夏祭〉の義平次よりもっと嫌らしい役は、「正面を切れない」性分の役者だからこそ成し遂げられた、その範囲内で開き直った快演だ。

26年前の「葉月会」公演の際は加賀屋歌江のお梶、實川延壽の義平次婆で、これまた希少な舞台を見せてもらい感謝に堪えなかったが、正直、2人ともに普段は小さな役を勤めるのが常な上、ここぞという場面で他を押し退けて前に出る性分ではないせいか、泥場の殺しではお互いに寄り合いながら芝居のテンポをやっと繋いでいる感も失せなかった。

今回のお梶は、いかにも深川藝者らしく鉄火で小股の切れ上がった猿之助。
セリフも動きも充分手に入っている上、役と芝居に親和性があって、嬉しくなるような役者ぶりである。竹三郎も心おきなく突っ込むところは突っ込み、憎体の芝居を効かせ通したのは、猿之助のお梶が至極良かったためである。

私が感心したのは、そんな「熱演」でありながら、2人の演技には自己主張の煩さや鬱屈した挟雜味がなく、あくまで爽やかな点。
傘寿の竹三郎に醸成された役者性、女形性を、「正面が切れる」若い猿之助もまた、持ち合わせているのだ。

今回のお梶をよく見ると、これは猿之助の普段の特色だが、車輪になっているようでいて目は醒めている。演技のすべてに意味付けやダメ押しを付与せず、キビキビ進めながら流している。
そして、「ここぞ」という一点でカッと気を籠め、ヤマを作っている。

思うに、先代猿之助は「不器用な役者」だった。
先代は、当代のように「キビキビ進めながら流す」とか「ここぞという一点でカッと気を籠め」とかの活殺よりも、「ノリに従って一気に熱演してしまう」ほうが得意だった。心身ともに磨り減らし燃え尽きた先代猿之助の業績はその「不器用さ」の徳だった。「不器用さ」に身を挺し、命まで削って辞さななかった彼の潔さを、われわれは愛したのだ。

私が当代猿之助に時として役者よりも批評家の「眼」を見取るのも、当代のそうした個性からである。

だが、当代猿之助は決して芝居を投げているわけでもなければ、舞台に立っていて白けているわけではない。
むしろ逆に、常に変化する潮境を読み、風向きを確かめるように、一瞬一瞬に生動する舞台や客席の「気」の流れを読み、その「読み」に実直に対応する身体というものをその場その場で編み出している。
それは、芝居のないところの彼の身の殺しようや、派手な立ち回りのさなかで彼が示す身体の取り捌き、相手役を見定める視線などから容易に見て取れる。
彼の「熱演」は、活殺の自在を得て巧みに塩梅され、余計な個人的感情が振り落とされた、演出の眼を通した「熱演」である。

私は彼のこうした藝風をひどく愛する。
その意味で、彼の團七縞のお梶は、私にとって待望の成果である。

思うに、昔の役者は案外こうしたものではなかっただろうか(例えば、『梅玉藝談』に見る三世中村梅玉)。
明澄な智慧を感じさせる当代猿之助も、やはり竹三郎と同じ意味で「女形」に徹し得る体質を持ち合わせている。序幕で正面の襖がサッと引き分かれ浴衣姿で登場した猿之助のお梶の、張り切ったイキの良い立ち姿の美事さ。これは「女形」に徹し、その歓びを知らずしては成立しない良さである。
こうした体質の似通った適役の相手役を得て、竹三郎の義平次婆がどれだけやり易く、引き立ったか、計り知れない。
いくらイケズを言っても、憎体に毒づいても、竹三郎は猿之助と同じく、役に、女形に徹する智慧を持ち合わせつつも醒めていて、不要な自我を見せない。
主役として正面が切れても、切れなくても、芝居に対する感覚は通底している。
この濃厚無比な書き換え狂言を通じて、熱演でありながら爽やかだったのは、2人のこうした感覚と力量ゆえだ。

共演者ということでは、仁左衛門の伊右衛門のすばらしさ。
30年前に玉三郎と共演した折の蒼く細い感じは失せ、痩身にもかかわらず黒紋付姿が図太く見えるのは藝が円熟しきった証拠。あくまで「お芝居」に徹して素の弱さを見せず、口跡も深い。「隠亡堀」で花道に行き掛け「誰だ、俺の名を呼ぶのは誰だ」と呼ばわる声の陰翳の深さ。
だんまりの最後で立ち身に決まった顔の美事さ。
これみな、竹三郎がたった2日、計4回を限りに勤めたお岩・與茂七への花向けなのだ。

すべて竹三郎の手銭で打った自主公演である。全席13,000円均一とはいえ、赤字は必定だろう。
だが、その範囲内で大道具も衣装もできる限り立派なものを揃え、共演者も本息、何よりも、仁左衛門と猿之助の「侠気」によって本興行でも通用するレベルの核ができ、竹三郎の美質が最大限、舞台に顕われた。

終演後、與茂七姿で幕外に出、挨拶した竹三郎の感動的な謝辞に、満場の誰もが祝福と共感の喝采を送ったのも心地よいことだった。

演出・演技の細部にの評も試みたいところだが、とりあえず、簡便な感想のかたちで本日のところは擱筆することにする。

2013年8月11日 | 記事URL

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