2013/8/17 能〈住吉詣〉について少々 | 好雪録

2013/8/17 能〈住吉詣〉について少々

暑いが秋風の感触で、よく吹きわたっている。

夕刻、久しぶりに九品仏あたりを散策し、参道口の「庵」で蕎麦。
新蕎麦に早い今時分はあまり食べないのだが、この店は自家製粉のせいかなかなか捨てがたい。面倒なことなく手打ちで気軽に蕎麦を楽しみたい人にはオススメである。

先日、天野文雄氏と話した折、能〈住吉詣〉について訊ねた。天正年間の制作とする氏の説は作者付の記載から想定した由だった。
この珍しい能については来月創立30周年を迎える国立能楽堂パンフレットに上演解説を書いた際、ちょっと考えることがあったのだ。

金剛流で〈住吉詣〉は五番習の内に数える「家の能」とされていて、これは坂戸金剛最後の家元・23世右京氏慧の『能楽藝話』P.129にも見える。

ただ、この能は古くから上演演目として用意されていたものではないらしい。寛文初年(1661年~)の「書き上げ」(公定演目リスト)には諸流ともに見えない。「家の能」という割に、江戸時代の金剛流公儀演能は文政8年(1825年)江戸城本丸舞台の1度きりである。
この記録を含む、享保6年(1721年)から文久2年(1862年)に至る江戸城の公的演能記録『触流し御能組』に見える全16回の上演中、11回を誇る宝生流が飛び抜けて多い(観世流4回、金剛流1回)。上記宝生流演能の最古である享保19年(1734年)江戸城二之丸に先立つ元禄7年(1694年)柳沢吉保邸徳川綱吉御成能も宝生流。
つまり、惜しいことに明治になって非現行化した同流に最も由緒が深い能らしい。
ちなみに、天保年間には金春流(現在も非上演)を除くシテ方4流のレパートリーに入った。

作リ物が2つ、登場人物が多く手間がかかる割に、謡としてさほど深みがないせいか(版本としては明和2年=1765年の「観世流明和改正謡本」に初収録)、プロの演能にも素人の謡稽古にも重要視された歴史はない。
中で金剛流が重んじるのは、同流に小書「蘭拍子」があるために違いない。金剛右京も勤める機会を逸した珍しい小書だが、金剛龍謹の子方時代に2度勤めたのを見たし、2001年の元日にテレビ収録版が放映もされている。
実際は、垂髪の子方・舞童が2段の短い「蘭拍子」を踏み、中之段を取って中ノ舞を舞う、何と言うこともないもの。同流におけるこの小書の由来については未調査である。

9月16日の国立能楽堂で上演される〈住吉詣〉は「悦之舞(よろこびのまい)」の小書で、大槻文藏の明石の君、梅若玄祥の光源氏、という顔合わせ。金春流の戦後編入曲〈正尊〉がこれまた新規制定らしい小書「起請文」の演出で併演される、「通好み」の凝った番組だ。
〈住吉詣〉は宝生大夫の弘化=嘉永勧進能(1848年)でも演じられている。流儀にゆかりも深く、5,000名収容の大会場にふさわしい演目だからだろう。こうした機会に出されるということは、一種「バブリー」な演目である。
実際、〈住吉詣〉がもてはやされるのは、ともすると何となく華美なものを好む世相と連動する現象。事実、今世紀に入って上演頻度はかなり高くなっている。

9月の国立能楽堂は記念能とて、1983年開場時「日賀寿(ひかず=日数)能」第2日目・9月24日に上演された吉例を踏んだものであろう。その時の明石の君・武田太加志、光源氏・観世元昭、どちらも故人である。

私が能を見始めて、今年でちょうど30年。
この30年が能楽界にとってどのような30年だったか。来月の〈住吉詣〉を見ながら、色々と考えてみたいと思う。

2013年8月17日 | 記事URL

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