2013/8/28 今年度「能楽座」公演 | 好雪録

2013/8/28 今年度「能楽座」公演

暑さは少し戻ったが、やはり秋気は疑いもない。

本当は夏土用の酷暑中に済ませるところ、大分遅れ、茶の湯で用いる灰作り
一般には殆ど知られていないことに、冬・春の炉と夏・秋の風炉と、茶の湯で炭火を入れる灰は亭主みずから仕立てるのが約束。市販の茶の湯灰に正しく完成されたものはない。
したがって、糠床のように気軽に人に分かつものではなく、灰は茶家の秘蔵で門外不出。外部の茶会で釜を掛ける際もその場所の炉灰だけで辛抱して、自家の灰は持ち出さない掟である。
仕立て方には人によって家によって色々な手法がある。
炉灰は毎夏、濃厚な茶汁で練り返すのが当流の基本。
お年を召したご婦人などどうしているのかと思うほどの結構な力仕事だが、したことが必ず結果に出るので、これは実に愉しい作業である。

午後は国立能楽堂で毎夏恒例「能楽座」公演を見る。

同人の高齢化に伴い、このところ毎年決まって追悼公演の趣旨を兼ねている。
今日は山本孝・茂山千作の追善とて、山本哲也は能〈葵上 古式〉大鼓を、茂山千五郎は独吟〈祐善〉を、それぞれ手向けた。

ただ正直、全体は低調な印象。「これ」といったものは一つもなかった。
長老連の「至藝」も間々弛緩あるいは日常的、権威的で、「見ていて座席から背が離れる」感がない。
〈葵上〉も雑然としていて、出演者が持ち寄りの思い付きで演出したらしい結果、舞台面や演技処理がはなはだ締まらない。シテの観世銕之丞が疲労だかどうか、身体のキレきわめて悪く精彩皆無なのも気になった。

先代銕之亟、観世榮夫、銕仙会事務長・荻原達子といった人々が核となった能楽座だが、3人とも故人となって久しい。
これはもう、善悪ではなくどうにも仕方がないこと、同人の中からもそうした声を聞くように、長いこと務めを果たした催会には「とじめ」というのも当然ある、ということを実感させられたことだった。

2013年8月28日 | 記事URL

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